2010年12月8日水曜日

饗応夫人―太宰治

 お客をもてなす事が好き、というよりもお客に怯えながらも義務的にそうしている節がある未亡人の奥さまは、彼の夫の友人で医者の笹島が彼女の家を訪ねるようになって以来、そのもの静かで上品な生活を奪われていくことになります。この笹島という男は全く遠慮を知らず、彼女の家にいる時でさえ、あたかも自分の家にいるかのように振る舞い、頻繁に彼女の家に通い、自身の友人を勝手に招き、料理にさえ注文をつける始末。ですが、それでもこの奥さまはお客たちを招くことを決してやめようとはしません。一体彼女は何故そのお客たちを拒まないのでしょうか。
 この作品では〈優しさとは何か〉ということが描かれています。
 まず、私たちがこの作品を読むにあたり不思議に思うこととは、あらすじでも触れたように「何故彼女はそこまでしてお客たちの世話をするのか」ということでしょう。彼女はいつも自身よりも、笹島たちお客のことが自分の中で第一にあるのです。それは例え自身が苦しくても、経済的に困難な状況に陥ろうが、そして血を吐こうとも彼女の姿勢は崩れませんでした。しかし、奥さまがそうまでしても俗物のような笹島達の人間がその恩を返すとも考えられるはずもありませんから、私たちがこう考えることも無理もない話なのです。この私たちの素朴な疑問に、奥さまはこう答えています。「ごめんなさいね。私には、出来ないの。みんな不仕合せなお方ばかりなのでしょう? 私の家へ遊びに来るのが、たった一つの楽しみなのでしょう。」つまり彼女は自身も夫を戦争で失っているにも拘らず、笹島たちの不幸を思うと自分は幸せであり、また彼らの唯一の楽しみは自分の家に来て遊ぶことである。それを奪うことは自分にはできない、と言うのです。この彼女の強い意志が最も強く表れている箇所が、切符を破る場面です。奥さまは自身の身を案じ、女中の言葉に従い家を離れることにしたのですが、笹島を前にして彼らのことをもう一度思い返し、その場に留まり、もてなすことを決心したのです。この強い意志を見た女中は、「奥さまの底知れぬ優しさに呆然となると共に、人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴いものを持っているという事を生れてはじめて知らされたような気がし」たと述べています。一般的に動物は自身の身を案じ守りますが、他人の身を自分の命を投げ出して守ることは決してありません。自分よりも他人を先におけるのは人間だけであり、その姿こそ貴いものなのです。

2 件のコメント:

  1. バックリンクでコメントしました。
    (こうして書いておくのは、すでにコメントしたことのサインです)

    返信削除
  2. このコメントは投稿者によって削除されました。

    返信削除