2011年1月30日日曜日

元日ー夏目漱石

 この作品で、著者はタイトル通り、元日について論じています。そして、そこには元日に対する、彼のある〈違和感〉が描かれています。それはめでたくもない元日に、世間の習慣に合わせてめでたいように振舞わなければならない、ということです。また彼はめでたく振舞う事によって、かえってめでたくなくなるのではないか、とも考えています。その例として、著者は昨年の自身の随筆の中で、元旦について何も浮かばなかったので、一昨年の元旦の自分の恥を告白しなければならなかったことを明かしています。
さて、確かに彼の言うとおり、確かに自分の気持ちを周りに合わせようとしてかえって失敗してしまった、ということは私たちの生活の中にも潜んでいます。例えば、あなたは異性の友人の結婚式に呼ばれ、仲人を頼まれたとします。当然、あなたはその友人のため、必死でスピーチを練ってくることでしょう。そして、当然他の友人達と同様、めでたいように振る舞います。ですが、その友人があなたがかつて淡い恋心を抱いていた相手だったとしたら、果たして心の底から祝福できるでしょうか。勿論、式の最中にそんな素振りを見せることは出来ませんので、表面は楽しく振舞うでしょう。しかし、その内心は穏やかなものではない筈です。ましてや本心から喜んでいないにも拘らず、他の友人に合わせて彼女を祝福しなければならない立場にいるのです。素直に自分の感情を表現できないということは、通常のそれとは比べ物にならないほど辛いはずです。少し、レベルは違う話ではありますが、このように私にとって、自分の気持ちを無理やり合わせようとして、かえって失敗するということは稀ではない話なのです。

2011年1月27日木曜日

疑惑ー芥川龍之介

 ある年の春、著者は実践倫理学の講義を依頼されて、その間一週間ばかり、岐阜県の下の大垣町へ滞在する事になりました。そんなある夜のこと、彼のもとを何者かが訪ねてきます。その者は自身を中村玄道と名乗り、著者に聞いてほしいことがあるというのです。そしてその話から著者は、彼の恐ろしい一面を垣間見ることとなるのです。
この作品では、〈勘違いとはどういうことか〉ということが描かれています。
まずこの玄道という男の悲劇は、彼が濃尾の大地震で妻を殺してしまったことからはじまります。というのも、彼もはじめのうちは「生きながら火に焼かれるよりはと思って、私が手にかけて殺して来ました。」と、火に焼かれ死んでいく妻に同情し、自ら手をかけたと考えていましたが、徐々に、様々なことをきっかけに自分は本当は妻を殺したくて殺したのではないかと、考えるようになっていったのです。ところが、もしそうだとすれば、妻の体を梁の下から引きずり出そうとしたことや、火の粉から妻の体を自分の身を挺して庇ったことへの説明がつかなくなります。はじめから殺したけければ、そのような行動に出るはずがありません。
では、彼は何故このように殺人衝動を自身の内に見ているのでしょうか。これは上記とやや矛盾するかもしれませんが、そもそも、彼にも少なからず妻を殺したかった気持ちはありました。それは本人も認めています。ですが、これはあくまでも「少なからず」思っていることであり、もともとそれが彼の心の中心にあったわけではありません。しかし、今回の妻の殺人によってその衝動が浮き彫りになってしまい、彼を悩ませることになっていきました。言わば、殺人という大きな現象に引きずられ、徐々にもともとの本心が追いやられ、その現象に合うような感情を引っ張てきてしまったのです。
さて、ではこれを私たちの世界の出来事に置き換えると、どのようなことになるのでしょうか。例えば、ある男性が道端で歩いていると、同僚の女性が何か捜し物をしている様子。そして彼女と親しかった男性は、彼女を助けようと思い、一緒に捜すことにします。その中で、男性はもう一度、何故自分は彼女と捜し物をしているのか、改めて考えてみます。すると、自身は彼女のことが好きで、実は以前からこのようなチャンスを望んでいたのではないか、と思い始めます。
このように、はじめの感情とは別に、ある感情を用意し、それを現象に当てはめることを私たちは〈勘違い〉と呼びます。まさに、彼は妻を殺してしまったことにより〈勘違い〉を起こし、自分で自分を苦しめているのです。

2011年1月26日水曜日

猿ヶ島ー太宰治

はるばる海を超え、ある島にやってきた「私」は、そこが何処であるのかを散策している最中、自分と同じ猿である「彼」に出会います。「彼」は「私」よりもこの島に長くからいるらしく、「私」に島に関する様々なことを教えてくれます。そして、「私」が人間たちをその島で目撃した時、「私」は「彼」の口からこの島の真実を聞くことになるのです。
この作品では、〈甘んじるとはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、この物語の鍵を握るこの島の真実ですが、それは実は「私」を含む猿たちは人間の見世物になっており、島は動物園の敷地の中だったのです。これを知った「私」は「彼」共に危険を冒し、動物園を脱出しました。さてここで注目すべきは、行動だけを見れば2人共動物園を逃げ出した同じ脱走者なのですが、その動機には大きな違いがあるのです。
はじめに「私」の動機ですが、彼は山で自分を捕らえ、無理やりここまで連れてきた人間に強い怒りを感じており、その人間に見世物にされていることを恥じています。そして人一倍プライドの高い「私」は自身の羞恥心に従い、動物園を脱出しました。
一方の「彼」ですが、そもそも「彼」は動物園の暮らしに全く不満を感じていませんでした。むしろ、「ここは、いいところだろう。この島のうちでは、ここがいちばんいいのだよ。日が当るし、木があるし、おまけに、水の音が聞えるし。」とその生活に満足さえしているのです。ですが、その傍らでは「おれは、日本の北方の海峡ちかくに生れたのだ。夜になると波の音が幽かにどぶんどぶんと聞えたよ。」と自身の故郷を懐かしんでいます。「彼」は自身の故郷を懐かしく感じながらも、動物園から出る恐怖とその場の居心地の良さから、今の環境に甘んじているのです。そして、そんな「彼」が彼と行動を共にした理由はなんでしょうか。そもそも「彼」というのは、「私」が来るまではずっと一人ぼっちだったと語っています。そして孤独な毎日を送る中、ある日同じ日本出身の猿が同じ境遇を経て、この動物園にやってきたのです。それは「彼」にとってどれほど嬉しいことだったのでしょう。何しろ「彼」がこれまで苦労して築いてきた縄張りをあっさりと、「ふたりの場所」にしてしまったのですから。まさに、「彼」は「私」の中に自分と同じものを感じているのです。しかし、そんな中、「私」はこの島の真実を知ると、すぐに動物園から出て行くというではありませんか。「私」がいなくなれば、「彼」再び孤独になってしまいます。そして、「私」の制止に失敗した「彼」は孤独になることを恐れ、「私」と共についていくことにしたのです。
このように、「彼」はその環境こそ変わりはしましたが、「彼」の中にある、何かに甘んじるという姿勢は対象を変えただけであり、根本は何も変わっていないということが理解できます。

さて、この現象を現実に当てはまると、どのようなことになるのでしょうか。例えば、学校に遅刻しないで通学した2人の学生がいるとします。この2人は行動だけ見れば同じ遅刻をしなかった者同士ですが、それぞれの動機は同じとは限りません。一方は先生に叱られる事が嫌で、毎日真面目に通学している人だとします。そしてもう一方の学生は、自身の勉強に対する姿勢として、遅刻しないことなど当たり前だと考えている人です。そして、この2人の間にある大きな違いとは何も動機ではありません。最大の違いは、他人というものが関係ないということがいえるでしょう。前者は先生という第3者の存在があり、そのために遅刻を嫌っています。ですが、後者はいかなる状況においても、勉学をするのであれば、遅刻は絶対にしないでしょう。

それでは、上記の例を踏まえて、もう一度物語を見てみましょう。すると、「彼」という人物は、環境に左右されやすく、たまたま「私」が脱走したから、ついて行ったに過ぎません。一方の「私」は自身の恥から、動物園を脱走しています。このように行動が同じなために、レベルが見えにくい場合でも、その動機によってそこには大きな違いがあることは確かなのです。

2011年1月25日火曜日

佐渡ー太宰治(未完)

この作品では、著者が佐渡を旅行した際の体験談や感じたことがつらつらと書かれています。その中で著者は、結局佐渡には何もなくそれははじめから分かっていたことなので、自分は無駄な旅行をしてしまったと述べています。では、彼は何故佐渡にきたのでしょうか。これは単に彼が結論からそう論じているだけで、彼は何かを求めて佐渡へ渡ったのです。作中にも、「新潟まで行くのならば、佐渡へも立ち寄ろう。立ち寄らなければならぬ。謂わば死に神の手招きに吸い寄せられるように、私は何の理由もなく、佐渡にひかれた。」と、佐渡に何かを感じ、それを確かめに行こうとしていることを匂わせる箇所があります。それは何かは、残念ながら具体的には書かれていませんが、彼は確かに何かを求めて佐渡へと向かったのです。

2011年1月24日月曜日

作家の手帖ー太宰治

 この作品では、タイトルにもあるとおり、彼が思いつき手帖に記したことが書いてあります。ですが、個々の話は全く独立したものではなく、著者のある〈連想〉からその繋がりを持っています。
では、この手帖にはどのようなエピソードがあるのか、一度下記に整理してみました。

七夕の話、曲馬団の話、幼少の頃の話、産業戦士の話、その奥さんの話

大まかに分けてこの5つのエピソードがあります。次に、これらのエピソードはどのように繋がっているのかを見ていきましょう。まず彼は冒頭で「七夕の話」について、幼少の頃の疑問について述べています。そしてその幼少の頃の疑問から、その当時のことを思い出し「曲馬団の話」へと移ります。その曲馬団での一件から、当時の著者は一般の人々に素朴な憧れを抱いていました。ですが、月日は流れ、今では著者も一般人の一人だということを思い出から現実にかえった彼は改めて自覚するのです。しかしそこから話を進めて、彼は自身の中に一般人ではないものを見て、「産業戦士」と自分とを比較しはじめます。そしてその話をする中で、彼は自身がある奇妙な発言をしたことを打ち明けます。やがてその奇妙な発言から、「ある産業戦士の奥さんの唄」をそう言えばと語りだします。彼はこの2つの中から同じものを見たからこそ、前者から後者を連想したのです。このように一見おのおののエピソードは独立しているようにも見えますが、実は著者の連想によってそれぞれが繋がりを持っているのです。

2011年1月23日日曜日

指ー佐々木俊郎

 ある時、彼女は銀座裏で一匹のすっぽんを買い、電車に乗って帰ろうとしていました。そして神田駅に付近に着き腰をおろすと、彼女は、自分の左脇に腰をおろしている男が、顔全体で痛さを堪えながら指先を握っているのに気がつきました。その男はなんと指の一節が切れてなくなっていたのです。話を聞くと、彼は扉に指を挟まれてそうなってしまったというのです。そして、事情を説明するやいなや、男はその場を後にします。男は一体その後、どうなったのでしょうか。
この作品の面白さは、〈すっぽんと人間の立ち位置が入れ替わる〉というところにあります。
まず、彼女はすっぽんを切る時、「あの男の指のように、このすっぽんの首がぐしゃぐしゃに切断されるのだ。彼女はそれを考えると厭(いや)な気がした。」と神田駅で指を握っている男のことを思い出します。この時彼女の世界では、自分は切る側、やる側であり、一方のすっぽんは切られる側、やられる側と立場にあるといえます。ですが、いざすっぽんを切ってみるとその口から指が見つかり、更に後日の新聞で神田駅で指を握っていた男は扉に挟まれたのではなく、すっぽんに指を切られたことを悟ります。ここで、すっぽんと人間の、切る、切られるという立場は逆転するのです。更にその男はスリであり、彼女のかばんの中身を狙っていたことを新聞の中で打ち明けています。ここでまた、彼女の立場も、やる側からやられる側に変わっていることが分かります。そしてこれらの立場の逆転に私たちは目を見はり、驚愕するのです。まさに物事の関係は絶対的なものではなく、一時的なものであり、それらは変化し合うところにこの作品の面白さがあるのです。

2011年1月22日土曜日

極楽ー菊池寛

 京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは、文化二年二月二十三日六十六歳にしてこの世を去りました。そして彼女が再び意識を取り戻したときには、薄闇の世界におり、その中を彼女は歩き出します。極楽とも地獄とも分からぬ道をただ、「南無阿弥陀仏々々」と唱えながら一心不乱に長い長い道のりをただ歩きます。果たして、そこは極楽なのでしょうか、それとも地獄なのでしょうか。
この作品では、〈生きるとはどういうことか〉が描かれています。
彼女が長い道のりの果てに着いた場所は、浄土真宗の教えの通りの極楽の世界がそこにはひろがっていました。そして、おかんはその場所で自身の夫である宗兵衛と再会を果たします。そして彼女は暫くの間は、娑婆での生活の話、極楽の景色を楽しむのです。ですが、そういった話も尽きて、極楽の景色にも慣れてしまうと、やがて極楽の暮らしにも飽きていき、何も感じず、ただ座っているだけの状態になっていきます。では、彼女はどうしてこのような状態になってしまったのでしょうか。
彼女はここに辿りつくまでの間、極楽に行くという目的がありました。その目的を思うと彼女は、「一日々々が何となく楽しみであった。あの死際に、可愛い孫女の泣き声を聞いた時でも、お浄土の事を一心に念じて居ると、あの悲しそうな泣き声までが、いみじいお経か何かのように聞えて居た」とさえ述べています。そう、彼女にとってこの目的こそが、生きる糧であり、望みだったのです。ところが、その目的を果たしてしまうと、はじめは多少の刺激に満足していましたが、やがて何をするでもなく、ただそこにいるだけの状態になってしまったのです。
また、これは極楽に行かずとも、私たちの世界でも起こっている現象なのです。たまに、奥さんと死別し、仕事も定年し、子供達も独立しただ毎日生活しているという老人の話を耳にすることがあります。この老人たちは何か目的があって生きているのでしょうか。もしそうでないのであれば、彼らはこの物語のお韓と同じく、ただそこにいるだけの状態ということが言えるでしょう。
生きているとは、ただその場にいるだけではなく、何か目的を持って生活をしている状態のことを指すのです。

2011年1月20日木曜日

座興に非ずー太宰治

 おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られなった著者は、アパートを後にして上野駅まで歩いて行きました。すると、そこには如何にも田舎から出てきたばかりの青年を見つけます。著者はその青年がどうにも滑稽に見え、彼をからかおうとします。さて、この青年は一体どのような目にあうのでしょうか。
この作品では、〈意識と無意識の間〉が描かれています。
著者はこの青年を見かけ、「彼をからかってみたくなった」とその衝動を吐露しています。ですが、彼をからかい、彼から20円貰った時には、「もともと座興ではじめた仕事ではなかった」とはじめのからかうことがきっかけとしてあったはずなのに、それを無かった事のように、はじめから20円取ることが目的のように話しています。一体どういう事なのでしょうか。
まず物語を整理してみましょう。彼は、明日払えるか、払えないかわからい家賃に多少なりとも苦心し、自身のアパートを後にしました。そして上野駅まで歩いて歩いている間にも、彼の頭の中には家賃のことがあったに違いありません。そんな時、彼はこの田舎から出てきたばかりの青年を見かけたのです。そしてこの青年の滑稽な姿を見て、彼はついからかいたい衝動に駆られます。ですが、そう考えている間にも、彼は心のどこかでは家賃のことを考えていたに違いありません。だからこそ、彼はあとになって思えば、「もともと座興ではじめた仕事ではなかった」と回想しているのです。彼はその日、或いはもっと以前から必死になって考えていた家賃の問題が、彼のひょんな座興によって解決したことには、まさに彼がどんな時でも水面下では家賃のことを考えていたことにあったのです。

2011年1月19日水曜日

困惑の弁ー太宰治

 この作品は、著者がある雑誌の懸賞会から原稿を依頼され、書いたものです。ですが、著者はこの雑誌に自分の随筆を載せることを不本意に思っている様子。彼は一体何が気に入らなかったのでしょうか。
この作品では、〈一流とは程遠い著者が、漱石や鴎外を志す読者に向けて随筆を書かなければならない矛盾と苦悩〉が描かれています。
著者はこの雑誌が将来の作家を目指す者たちに向けて発行されており、自身が彼らに向けて随筆を書かなければいけないことに困惑しているのです。というのも、彼は自身がこの雑誌に随筆を載せる程の人格と才能を持っておらず、むしろ誇るべきものは何も無い、悪名だけの作家だと考えているからです。

文鳥ー夏目漱石

著者は早稲田に引っ越してきた頃、三重吉の勧めで文鳥を飼うことにしました。ですが彼は文鳥に多少の愛情を感じているにも拘らず、餌の時間にも遅れてしまいがちで、時には忘れてしまうことさえありました。果たして著者はこの儘文鳥を飼っていくことが出来るのでしょうか。
この作品では、〈責任転嫁とはどういうことか〉ということが描かれています。
結論から言いますと、著者の文鳥は彼の不手際によって死んでしまいます。ですが彼はここで奇妙なことを口走ります。それは、「家人が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。」と、なんと自分の家の小女のせいにしてしまっているのです。一体彼は何故そう考えてしまったのでしょうか。そもそも彼は上記にもあるように、朝に弱いため、餌の時間にもルーズで忘れてしまうことさえありました。そんなある日、だらしない著者に代わって一度家のものが文鳥の世話をします。この時、彼は「何だか自分の責任が軽くなったような心持がする」と述べています。つまり彼の中では、彼の文鳥に対する責任は、少なからず家のものにも少し分けられたということになります。そうして家のものが文鳥の世話をする度、その責任も次第に家のものに向けられていくのです。結果彼は文鳥が死んでしまった際、全てを知らず知らずのうちにその責任を家のもののせいにしてしまったのです。

2011年1月15日土曜日

祭の晩ー宮沢賢治

 山の神の祭の場、亮二は「空気獣」という見世物の小屋から出てくると、なにやら掛茶屋の方から大きな声を耳にします。それが気になり急いでそこに向かい、物陰から覗くと、そこには山男が村の若いものにいじめられているではありませんか。どうやら山男はお金を持っていないにも拘らず、店の団子を買い食べてしまったようです。さて、この山男と村の若者とのやり取りを聞いていた亮二は、一体何を思うのでしょうか。
この作品では、〈対立物の相互浸透とはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、この山男と村人の会話を聞いていた亮二は、山男が空気獣の見世物の小屋から出ていたことを思い返し、「あんまり腹がすいて、それにさっき空気獣で十銭払ったので、あともう銭のないのも忘れて、団子を食ってしまったのだな。泣いている。悪い人でない。かえって正直な人なんだ。」と大男が嘘をついていないことを察し、彼を助けようと彼の足にお金を置いてやります。そうして若者から救われた山男は、その後、彼にその恩を返すのです。ですが、彼の恩は少々大きすぎました。亮二が団子串一本のお金しか出していないのに対し、山男はなんと薪と栗までもを返しました。そこで亮二はおじいさんと相談し、着物と団子と、そして山男が驚く何かを返すことを計画するのです。このように、亮二と山男は、互いに影響を与え合い、物を交換している関係が成り立っています。ですが、この関係は単純にこのような状況になったから成り立っているわけではありません。そこには彼らの性質も大きく関係しています。例えば、山男が正直で物の価値がよく分かっていないことも重要な要素です。彼がもし、打算的でずる賢い人物なら、助けてもらっても恩を返すかどうか怪しいですし、団子串一本と相応のものを亮二に返すでしょう。一方、亮二の方も、彼が村の若者の人物のような人格の持ち主であったならば、果たしてこの関係は成り立っていたでしょうか。更にこの山男をいじめた若者の人格も重要であり、仮に若者が良心的な人物であれば決してこの関係は成り立っていなかったでしょう。このように、この関係に至るまでには、それぞれの性質、また周りの環境が大きく関与していることがわかります。この一連の流れを〈対立物の相互浸透〉というのです。

2011年1月13日木曜日

古典竜頭蛇尾ー太宰治

 この作品はタイトルの通り、古典について何か述べようとしていますが、著者がまとめ損なっているため、一見何が言いたいのか分からない出来に仕上がっています。ですが、著者は古典について、確かに何か言いたげな感触というものだけはしっかりと残しているところはあります。
というのも、彼はここで〈伝統とは何か〉ということについて述べています。彼が考える伝統とは、ある一貫した流れのことを指しています。その流れが続くことにより、それが伝統という像となり形を表すのだと考えているのです。そして彼の話はやがて日本の古典について触れ始めます。彼が主張するには、今自分たちの小説は日本の古典から学んだものは一切無く、大抵海外の作品からそれらを学んでいるといいます。だからこそ、日本の文学とは、他の音楽や美術等の文化に比べてかなり遅れているというのです。ですが、本当に日本の古典からは何も学ぶものがないのでしょうか。例えば、芥川龍之介の羅生門ですが、これは今昔物語の一説をもとに書かれています。また彼は日本の古くからある、さるかに合戦のオマージュ作品をも書き上げています。これは彼は古くからある日本の作品から、「文学的」なものを取り出し、それを洗練し書いていたのです。ですから、著者が述べているように、日本の古典とその当時の文学とは完全に繋がっていない訳ではなく、何らかの形で繋がりを持ち、当時の小説というものに影響を与えていたことが十分に考えられます。よって日本の古典と当時の文学は完全に独立したものではなく、古典の流れから現在の文学というものが存在しているのです。

2011年1月11日火曜日

魚服記ー太宰治

 馬禿山の滝の傍には、いくつかの炭焼き小屋が立っていました。その中でも、他の小屋とは余程離れたところに、スワとその父親の小屋があり、彼女たちはそこで寝起きを共にしていました。彼女たちは滝壺の脇に小さな茶屋を構え2,3の駄菓子を売り、また炭を売りながら生活をしていました。そんな父親との生活の中で、スワは何か一物思うところがあるようです。彼女は一体日々の生活の中に何を感じているのでしょうか。
この作品では、〈孤独とはなにか〉ということが描かれています。
まず、スワは父親の留守中、ふと一方が大蛇になり別れを余儀なくされた三郎と八郎の話を思い出し、孤独感を感じます。そして父親の帰宅後、彼にその思いをぶつけることになるのです。このように彼女は、父親の留守の際、常に寂しさを感じていることがわかります。
そして、そんなスワにもやがて父親との突然の別れが訪れます。ある時、彼女は気がつくとなんと水の底にいたのです。スワは小さな鮒になっていたのです。はじめはその驚きと嬉しさからはしゃいでいましたが、やがて思案し、大好きな父親と永遠の別れを悟るのです。そして耐え切れなくなったスワは、やがて自らの身を滝壺へ投げ入れます。まさに孤独が彼女を殺してしまったのです。

2011年1月8日土曜日

ムーラン・ド・ラ・ギャレットーピエール・オーギュスト・ルノワール

この作品では、パーティに参加している紳士、淑女が仲睦まじく踊っている風景が描かれています。そして、この作品の特徴は男性が黒、女性がその他の明るい色の服を着せることにより、色の暗明をつけ、女性の服装をより美しく際立たせています。また、様々な色を多く起用することにより、作品全に明るく華やかなイメージを持たせています。