2012年12月7日金曜日

トロッコー芥川龍之介

 小田原熱海間で鉄道の工事がはじまった頃、8歳になる良平はトロッコ見たさに度々現場に通っていました。そしていつしか、自分も土工と共にトロッコに乗ってみたいと思うようになっていきます。
 そんな良平の願いは突如として叶えられました。彼はある日、現場にいた2人の若い土工に「おじさん。押してやろうか?」と声をかけた事で、念願のトロッコに乗る機会を得る事になるのです。ですが土工についていくうちに、はじめは楽しかったものの、時間が経ち徐々に遠くへ行くにつれて、不安がこみ上げてきます。
 ところが土工達はそんな良平の不安をよそに、なんと帰り道は別だから1人で家まで帰りなさいと言うではありませんか。そこで彼はなんとも言えない心細さを感じながら、自分の家まで帰っていきました。
 あれから長年の月日が経ちました。良平は上京し、妻子を持ち、職も持っています。ですが塵労に疲れた彼は、その時の心細さを感じながら日々を過ごしています。一体彼は何故、現在においてそれを感じているのでしょうか。

 この作品では、〈未知の世界を1人で進むことに不安を感じている、ある男〉が描かれています。

 上記の質問に答える前に、一度良平が1人で家まで帰る場面の彼の心情を整理してみましょう。彼は家まで1人で帰らなければならない事を知った時、「もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――」を悟りました。この事実は8歳だった少年に、どれ程の心細さを与えたことでしょう。それを顕著に表している一文が下記にあたります。

「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷(すべ)ってもつまずいても走って行った。

 1人で暗くなっていく中、殆ど歩いたことのない道を1人で帰らなければならなかった良平は、身の危険すら感じています。それは良平が無事帰宅してからも、暫くはおさまりませんでした。
 そして社会に出てからも、良平はこれと似たような感覚を感じています。というのも、恐らく彼には、社会という未知の世界が自分を生命を脅かす対象として見えているのでしょう。また人生を共にしている妻子はいるものの、それらと常に一緒にいる訳ではありませんし、何より自分1人がそれらを養っていかなければなりません。ですから、孤独と不安に耐えている彼は自身の生活の中に嘗て彼が少年だった頃、死ぬ思いをしながら通った道の続きを見出していくようになっていったのです。

2012年12月1日土曜日

てがみーアントン・チェーホフ

 10歳もに満たない少年、ユウコフは嘗ては母と2人でマカリッチという男の、村の裕福な家庭に住み込んでいました。ですが母が死んでしまいお金を稼がなければならなくなった彼は、3ヶ月前から靴屋のお店で奉公していました。しかしその家での自信の扱いの悪さに、ユウコフは次第に萎えられなくなっていき、ある時マカリッチ宛に手紙を出すことにしたのです。彼はそこに日頃自分が受けている仕打ちの数々、またマカリッチのもとでどうしても働きたいという思いを綴りました。そしてそれを書いてポストに入れてしまうと、彼は淡い希望を胸に抱きながら安らかに眠っていったのです。

 この作品では、〈不幸な暮らしから救われる事を信じている少年が、絶望する未来〉が描かれています。

 この作品は上記にある通り、9歳の少年ユウコフが日頃の不幸な暮らしに耐えかねて、嘗て自分を住み込ませてくれていたマカリッチに対して、その思いを手紙に綴る姿が描かれています。そして彼がポストに手紙を入れたその時、彼と私達読者はホッと息をついた事でしょう。ですが、物語の終盤にある、下記の一文に注目して下さい。

 だが、あんな上がきでもつて、マカリッチさんのところへつくでせうか。

 この一文によって、読者たる私達は、ユウコフの暗く閉ざされた未来(マリッチに手紙が届かず、不幸な日々を送り続けるユウコフの姿)を想像せずにはいられなくなって行く事でしょう。これこそがこの作品の最大の狙いなのです。作者たるチェーホフは、あえて自ら少年の一連の不幸な出来事を全て書かず、必ず近い将来に裏切られるであろう期待を少年が夢見ている姿だけを描くことで、かえってこれから待ち受ける彼の不幸を鮮明に描くことに成功しています。
 そしてこの彼の作家としての手法は、日常の私たちの精神のあり方をうまく利用しています。例えば、私達が小学生ぐらいの年齢だった頃は宿題をやっていなかった時などは、お父さんやお母さん、学校の先生たちに叱られる事がとても怖かったはずです。ですが叱られる事を想像している時間と、実際叱られている時とでは、前者の方が堪えられないものがあったのではないでしょうか。これは、前日には確実に起こりうるはずの出来事に注意を払うあまり、かえって現実に起こりうる事以上の恐怖を私達自らが想像してしまっていたのです。
 そして物語の私達の見方としても、同じ現象が起こっています。私達は少年ユウコフに感情移入すればする程、彼の描く将来が裏切られた時の彼の心の痛みをどんどんと膨らませずにはいられなくなっていくのです。

2012年11月23日金曜日

人間レコードー夢野久作

 日本がまだ昭和の年号でロシアと不仲だった頃、その敵対国ロシアから日本に一部の国民を懐柔する目的で、人間レコードなるものが密かに送られてきました。人間レコードとは、各国の言葉に精通している外国人を雇い、特殊な方法を用いて文字通り言葉を記憶させる「もの」の事を指します。また記憶している本人は内容を一切知らず、自白も出来ないため、このように重要な情報をやり取りする際に用いられていました。
 しかしこのロシアの懐柔作戦は、とある日本の青年ボーイと少年ボーイの活躍によって阻止されてしまいます。そして、人間レコードとなったその人物は、ロシアの役人に売国奴として、「処分」されてしまうのでした。

 この作品では、〈同じ人間であるはずの人間レコードを、人間として扱わず、「もの」として見なしている不気味さ〉が描かれています。

 この作品は、一人の、或いは一つの人間レコードをめぐって進行していきます。そしてその中で私達は少なからず、このレコードを扱う人々に対して、人間を「もの」として扱っている事に対して、ある種の不気味さを感じる事でしょう。
 ですが、彼らはレコードを完全に「もの」として扱っている訳ではありません。例えば、ロシアの役人はレコードの内容が日本側に漏れてしまった事を知ると、レコードに対して、同じ人間として感情をぶつけている節(※1)があります。彼らとしても、「ナアニ。レコードを一枚壊したダケだよ。ハッハッハ」とはいうものの、レコードが「もの」なのか人間なのか、自分たちの中で定義しきれていないところがあるようです。しかしこの作品の中では、この問題が統一されることはなく、主人公と思われる少年ボーイと私たちの中に大きなしこりとして残り、それが更にレコードに対する不気味さを増しているのです。

注釈
1・この二枚の号外を応接室の椅子の中で事務員の手から受取った東京駐箚××大使は俄然として色を失った。やおらモーニングの巨体を起して眼の前の安楽椅子に旅行服のままかしこまっている弱々しい禿頭の老人の眼の前にその号外を突付けた。
 老人は受取って眼鏡をかけた。ショボショボと椅子の中に縮み込んで読み終ったが、キョトンとして巨大な大使の顔を見上げた。
 その顔を見下した××大使は見る見る鬼のような顔になった。イキナリ老人にピストルを突付けて威丈高になった。ハッキリとしたモスコー語で云った。
「どこかで喋舌ったナ。メッセージの内容を……」
 老人は椅子から飛上った。ピストルを持つ毛ムクジャラの大使の腕に両手で縋り付いて喚めいた。
「ト……飛んでもない。わ……私は人間レコードです。ど……どうしてメッセージの内容を……知っておりましょう」
「黙れ。知っていたに違いない。それを知らぬふりをして日本に売ったに違いない。タッタ一人残っている日本人の連絡係の名前と一緒に……」

2012年11月18日日曜日

月夜ー与謝野晶子

 父と兄を早くに亡くし家も貧しく、母だけに仕事をさせている事を心苦しく思っていたお幸(こう)は、高等学校を卒業してからは、友人の家で女中として働いていました。しかしその友人が女学校に進学してからというもの、意地の悪い他の女中からご飯を食べさせて貰えずに働く毎日を送っていました。そしてお幸はその事を家族の誰にも告げず、ただ堪えるばかりでした。ですが、やがてそうした暮らしにも嫌気がさし、郵便配達見習募集の張り紙を見たことをきっかけに、彼女は職業というものを今一度考えはじめます。そして人のために何か役に立つことをしたいという思いから、次第に転職を考えるようになっていくのでした。
 そんな事を考えて帰っていた月夜のこと、お幸と同じ家で働く音作(おとさく)が職場での彼女の待遇を彼女の弟に話した事で、家族に彼女が他の女中にいじめられている事がばれてしまいます。そしてお幸はそれをきっかけに、自分が郵便配達見習に転職しようと考えている事を母や弟に話しました。しかし彼女は、そこで母の農業へ向ける思いを聞いた途端、百姓になることを決意していきます。そしてそこから親子で農業をすることを夢見た3人は、幸福に包まれていくのでした。

 この作品では、(母への思いが強かった故に、自分の問題意識を捨てたある少女)が描かれています。

 この作品において、お幸の心情が大きく変化している箇所が下記にあたります。

「お幸は百姓をどう思ふの。」
「まだそれは考へません。」
「それを考へないことがあるものですか。母様が若し間違つたことをして居たらおまへは注意をしてくれなければならないぢやないの。母様のして居ることは百姓ですよ。私は世の中へ迷惑をかけないで暮して行くと云ふことが世の中の為めだと思つて居るよ。自身で食べる物を作つて私は自分やおまへ達の着物を織つて居ます。自分の出来ないものは仕事の賃金に代へて貰つて来ると云ふこの暮しやうが私には先づ一番間違ひのない暮しやうだと思つて居るよ。」

 この母の言葉を聞くまでの彼女は、女中にいじめられていた事をきっかけに、何か世の中の為になる仕事はないのか、という問題意識を持っていました。そして母は、上記で人様に迷惑をかけないで生きていくには、という問題意識から、百姓という仕事について論じています。ところが、お幸は自分が持っていた意見と相反するものにも拘わらず、母のこうした持論を聞くと、その後すぐに百姓をしたいと言い出しました。一体何故彼女は、それまでの問題意識を捨て、母の意見を採用したのでしょうか。
 そもそも彼女がこうした問題意識を持ったのは、女中が社会の人々の為になる仕事だと思えないから、ではなく、女中から郵便配達見習に転職したかったからに他なりません。つまり彼女の問題意識というものは、転職する口実を自分の中につくる手段でしかなかったのです。
 ですが彼女は母の話を聞き、今一度職業というものを冷静に考えはじめます。そして、もともと母だけに仕事をさせている事を心苦しく思い助けたいという目的から、女中をしていたお幸は母の言葉を全て採用し、転職の口実としていた自分の問題意識をあっさりと切り捨てます。彼女にとって最も大切だったものは、仕事やそうした社会に対する思想ではなく、純粋な母への思いだったのです。またそうした思いは、母や弟もそれぞれにあります。ですから彼女たちは物語のラストでそれを共有し、幸福に包まれる事ができたのです。

2012年11月14日水曜日

千代女ー太宰治

 和子の日常は、叔父が彼女の綴方を文芸誌、「青い鳥」に投稿し一等を当選した事で一変してしまいます。母や学校の先生からは期待するような眼差しで見られ、仲の良かった友達は彼女を遠ざけるようになりました。そして和子の方では、そうした周りの人々の変化に反抗するように、文章を頑として書きませんでした。
 ですが周りの期待の目があまりにも大きかった為に、彼女は徐々に自分の運命を受け入れていき、やがてその為に苦しまなければいけなくなっていくのです。

 この作品では、〈自分が考える自分と、周囲が考える自分との葛藤の末、自分が分からなくなっていったある少女〉が描かれています。

 この作品の中で和子が悩んでいる問題とは、言うまでもなく、文芸誌に彼女の作品が掲載されてしまった事で、彼女が考える「自分の像」と彼女の周りの人々が考える、「彼女の像」とに大きな隔たりができてしまったというところにあります。というのも、それまで平凡に暮らしてきた和子は、自分の作品が掲載された後でも、あくまでそれまでの「平凡な自分」(※1)でしかありません。ところが、周りの人々は彼女の作品が文芸誌に載った事で、和子を「平凡な和子」としてではなく、「文才のある和子」(※2)として見るようになっていったのです。そして彼女は、自分がはじめから持っている「平凡な彼女」と、この人々がつくりあげた、「文才ある彼女」との間で苦しんでいます。
 ところがこの彼女の苦しみは、物語の終盤以降から徐々に変化を見せはじめます。和子は人々が自分に文章を書くことをすすめる中で、それを拒みながらも、やがてそうした意思に負ける形で、人々のそうした意思を受け入れていきました(※3)。
 ですが、この作品の最大の悲劇は、そうしてこれまで和子に文章をすすめていた人々が、彼女に対する印象を再び変えてしまっていったところにあります。人々は、彼女が文章を書くことを拒んでいる間に、冷静に彼女の文章と向き合うようになっていきました。そして改めて、彼女を「平凡な少女」として見るようになっていったのです。(※4)しかし、和子本人はこうした変化をどう見ているでしょうか。嘗ては自分を苦しめていた、人々の中の「文才ある自分」は確かに消えつつあります。ところが彼女自身、現在は本当はそうありたかった「平凡な自分」を諦め、そうありたくなかった「文才ある自分」の存在を受け入れてしまったので、再び「自分が考える自分」と「他人が考える自分」との間で、それまで以上に苦しまなければならなくなっていきます。
 こうして彼女は、自分は平凡な自分として生きれば良いのか、文才がある自分として振る舞えば良いのか分からず、気の狂う思いをしなければならなくなっていったのです。

※注釈

1・私はそれを読んで淋しい気持になりました。先生が、私にだまされているのだ、と思いました。岩見先生のほうが、私よりも、ずっと心の美しい、単純なおかた だと思いました。

私は息がくるしくなって、眼のさきがもやもや暗く、自分のからだが石になって行 くような、おそろしい気持が致しました。こんなに、ほめられても、私にはその値打が無いのがわかっていましたから、この後、下手な綴方を書いて、みんなに笑われたら、どんなに恥ずかしく、つらい事だろうと、その事ばかりが心配で、生きている気もしませんでした。

2・それから、また学校では、受持の沢田先生が、綴方のお時間にあの雑誌を教室に持って来て、私の「春日町」の全文を、黒板に書き写し、ひど く興奮なされて、一時間、叱り飛ばすような声で私を、ほめて下さいました。

それまで一ばん仲の良かった安藤さんさえ、私を一葉さんだの、紫式部さまだのと意地のわるい、あざけるような口調で呼んで、ついと私から逃げて行き、それまであんなにきらっていた奈良さんや今井さんのグルウプに飛び込んで、遠くから私のほうをちらちら見ては何やら囁き合い、そのうちに、わあいと、みんな一緒に声を合せて、げびた囃しかたを致します。

3・柏木の叔父さんだけは、醒めるどころか、こんどは、いよいよ本気に和子を小説家にしようと決心した、とか真顔でおっしゃって、和子は結局は、小説家になる より他に仕様のない女なのだ、こんなに、へんに頭のいい子は、とても、ふつうのお嫁さんにはなれない、すべてをあきらめて、芸術の道に精進するより他は無いんだ等と、父の留守の時には、大声で私と母に言って聞かせるのでした。(中略)今は、その叔父さんの悪魔のような予言を、死ぬほど強く憎んでいながら、或いはそうかも知れぬと心の隅で、こっそり肯定しているところもあるのです。

4・先日も私は、こっそり筆ならしに、眠り箱という題で、たわいもない或る夜の出来事を手帖に書いて、叔父さんに読んでもらったのでした。すると叔父さんは、 それを半分も読まずに手帖を投げ出し、和子、もういい加減に、女流作家はあきらめるのだね、と興醒めた、まじめな顔をして言いました。

2012年11月5日月曜日

セロ弾きのゴーシュー宮沢賢治

 ゴーシュは町の活動写真館の楽団でセロを弾いていましたが、その中でも演奏は一番下手で、いつも学長に叱られていました。 そんな彼がある夜中にセロを熱心に弾いていた時、一匹の三毛猫が彼の家を訪れます。猫はゴーシュの演奏を聞きに来て「あげた」ので、弾いて欲しいと言うのです。そこでゴーシュは家中の窓を閉め切り、自分は耳栓をして、「印度(インド)の虎狩」という曲を嵐のような勢いで弾きはじめました。それは猫も思わず扉の方へ飛び退く程の騒音でした。そうしてゴーシュは猫を散々いじめた挙句、家から追い出しました。
 ですが次の日の夜、ゴーシュのもとにまた別の動物がやってきました。それはカッコウで、この鳥は自分にドレミファを教えて「欲しい」というのです。そこでゴーシュは仕方なく、少しの間だけ付き合うことにしました。しかし、はじめの申し出とはあべこべに、カッコウはゴーシュのドレミファに対して指摘をはじめます。またゴーシュの方でも、自分よりもカッコウの方が音程が合っているような気がしてきました。そしてそう考えていくうちに腹立たしくなったゴーシュは、癇癪を起こしてカッコウを追い出してしまったのでした。
 その次の日、今度は狸の子供がゴーシュに音楽を習いにきます。そこでゴーシュは、はじめは例によって追いだそうとしました。しかし演奏を一緒にはじめてみると、狸の子供は小太鼓を叩いていたのですが、その演奏がなかなか上手でついつい楽しくなっていきます。そしてその夜は朝がくるまで、狸の子共と演奏しました。
 こうして、ゴーシュは動物たちと触れ合う中で、自分では知らず知らずのうちにセロの腕を上げていく事になるのです。

 この作品では、〈動物たちに音楽を教えていく事で、かえって自らと向き合い、その実力を高めていったある男〉が描かれています。

 結論から言えば、ゴーシュは動物たちと音楽を通して触れ合っていく中で、技術を磨き、最終的には自分の楽団の演奏会で活躍する事が出来たのです。そこで、ここではゴーシュが具体的に、どのようにして自らの技術を高めていったのか、彼と動物たちとの触れ合いを軸にして見ていきましょう。
 そもそも、彼ははじめ動物たちと触れ合う事に関して、どういうわけか嫌悪感を感じていました。そして動物たちの方でも、どういうわけか、ゴーシュに音楽を教えたがっている様子でした。ですから、はじめの三毛猫とのやりとりでは、そうした両者の「対立した」気持ちが見事に反発する形で表れています。つまり、三毛猫はゴーシュに音楽を教えたくって教えたくってたまらない(※1)のに対して、ゴーシュ本人は関わりたくなて関わりたくなくてたまらない(※2)。だから彼は、酷い演奏を猫に聞かせていじめた挙句に、追い出してしまったのです。
 そして次の夜にはカッコウがきました。カッコウは三毛猫とは違い、形の上ではゴーシュに音楽を教えてもらう、という方法で彼に音楽を教えようとしました。そしてこの作戦は成功の兆しを見せます。演奏をしていくうちに、ゴーシュは自分よりもカッコウの方が音程が合っているのではないか、と考えていくようになっていきます。
 ですが、ここでカッコウにとって、予期せぬ出来事が起こります。なんとゴーシュは途中で演奏をやめて、カッコウを怒鳴りはじめたではありませんか。そして怒鳴った彼に驚いたカッコウは、硝子へ激しく頭を何度もぶつけはじめます。流石にこのカッコウの様子を見かねた彼は、硝子を割って逃がしてやりました。しかし、一体何故彼はいきなりカッコウを怒鳴ってしまったのでしょうか。実は、この時点では、彼は自分の技術とまともに向き合だけの実力がなかったのです。仮にも音楽を教えている彼にとって、動物を見下している彼にとって、カッコウが自分よりも技術が下でなければ困ります。そこで彼は癇癪を起こし、カッコウを追い出してしまったのです。
 しかし、このカッコウの為に破った窓が、後に彼の内面を大きく変えていくことになります。というのも、彼は度々作中で壊れた窓を気にしています(※3)。彼は壊れた窓を見る度に、恐らく、自分の実力を認める事のできない未熟な自分を見ていたのでしょう。やがて、そうして窓を見ていく中で、そうした自分と向き合う心をつくり、それが動物たちとの触れ合いにも影響を与えていったのです。
 現に次の夜、狸の子供がゴーシュを訪ねてきた時、はじめはやはり追いだそうとしたものの、狸の子供の実力を認め、更に狸の子供から指摘されても素直に受け入れていました。
 更にその次の夜には、病に苦しんでいる野ねずみの子供の為に演奏し、更にはパンまで与えてやりました。
 そうして動物たちと暮らしていき、自分の楽団の演奏会を迎えた彼は、学長や他の楽団員達の信頼を勝ち取ります。そしてその夜、彼は再び例の窓から遠くの空を眺めながら、「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と言いました。この台詞こそが、彼が動物達と触れ合う中で、壊れた窓を度々見る中で、自分の技術と向き合う実力を身につけ、磨いていった何よりの証拠なのです。だからこそ、この作品の最後の一文であるこの台詞は、私達に強い印象を与えているのです。

2012年11月4日日曜日

真珠の首飾りーークリスマスの物語ーーレスコーフ

 ある教養ある家庭で、友人たちが文学談をしていました。やがてその中のある男は、自分の弟にまつわる、クリスマスをテーマにした美談を話しはじめるのでした。

 3年前のクリスマス、弟は休暇を利用して兄(語り手)のうちに泊まりにきていました。そこで彼は突然、猛烈な剣幕で、独り身に堪えられなくなったので、自分に嫁を世話してくれないか、と申し出てきました。その為兄嫁は、頭のいい、気立ての立派な娘であるマーシェンカを早速彼に紹介しました。ところが兄はそれに異を唱えます。彼曰く、彼女の父は、お金に関しては世間の人々が噂する程の曲者で、弟も一杯食わされるに違いないない、というのです。これに対して兄嫁は、結婚する事にお金などは問題ない、と真っ向から対立してきました。2人の意見は平行線をたどるばかりですが、それに反して弟とマーシェンカの準備は着々と進んでいってしまいます。
 そして結婚式の当日、マーシェンカの父は彼女に立派な真珠の首飾りを送りました。ですが、真珠は結婚式の贈り物としては縁起の悪いものだったので、マーシェンカは泣き、兄嫁は彼女の父に抗議しました。しかし父の言い分では、それは迷信であり、尚且つこれを送ったのには理由あるというのです。そしてその理由は、翌日の彼自身の手紙によって明らかになりました。その手紙によると、真珠は偽物で心配することはないといった事が書かれていたのです。これには兄嫁も呆れてしまいました。ですが、弟の方はその手紙を受け取って痛快な様子。一体何故彼は、この手紙を受け取ってそう思ったのでしょうか。

 この作品では、〈お金は家庭にとって、常に価値のあるものとは限らない〉ということが描かれています。

 上記の疑問に答える為には、この物語に登場する人々のお金に対する価値観を見なおしていく必要があります。何故ならば登場人物たちは、「弟とマーシェンカに良い家庭を築かせるには」という共通の問題意識を持ちながらも、それに対するお金の位置付けにおいて、桜梅桃李の意見を持っており、それがこの問題を解く鍵になっているからです。
 そしてこの問題に対して、はじめに物申したのは兄でした。彼は弟達の結婚に関して、「あの親父と来たら、上の二人の娘を嫁にやるとき、婿さんを二人とも一杯くわせて、びた一文つけてやらなかったんだぜ。――マーシャにだって、一文もよこさないに決まってるよ。」、「マーシェンカにはびた一文よこすまいってことさ、――困るというのは、つまりそこだよ。」等と言っていました。
 そして、これに対して意見したしたのは兄嫁です。彼女は、幸せな家庭が築けるのかと、彼女の父からお金が貰えるのかは全く別の問題である、と反論しました。しかし、いざマーシェンカの父が娘に偽物の真珠を送ったことを知ると、「ちぇっ、ひどい奴!」と避難していました。
 上記から彼らに共通して言えるのは、兄達夫婦は家庭とお金に何らかの関係性を認めており、必要不可欠なものである、と考えていたということです。ですから兄は、弟夫婦にお金が彼女の父から渡らない事を予想できたからこそ、黙ってはいられず、兄嫁は、真珠に値打ちがない事を知ると避難せずにはいられなかったのです。
 しかし弟の方はどうでしょうか。彼が真珠が偽物と分かり痛快だと言っているところを察すに、彼は家庭とお金との関係性を切り離して考えているのです。ですから真珠が偽物だと知った時、弟は騙されたという気持ちはなく、何故贈り物として縁起の悪いはずの真珠を娘に送ったのか、という疑問と不安を抱いていたそれまでの自分を、笑わずにはいられませんでした。
 では弟は家庭において、お金というのもをどのように考えていたのでしょうか。それは彼の腹の中を知った、マーシェンカの父とのやりとりの中で見えてくるはずです。彼の気持ちを知った父は感激のあまり、夫婦に大金を渡そうとします。ですが、金銭のトラブルのために父とうまくいっていないマーシェンカの姉夫婦達の姉の事を考えると、弟は彼女たちと自分が今度はトラブルになることを恐れました。そこで彼は3つの過程を円満に取り持つ手段として、大金を姉夫婦達と3等分して受け取る事を提案してきます。ここから彼は、お金というものは家庭において、それを保つ手段のひとつでしかない、と考えている事が理解できます。
 そして、これまで自分の家庭のためにお金に執着していた人々を憎み、それをこらしめる手段として、お金を使い自分を守っていたマーシェンカの父だからこそ、弟のお金の使い方に感心し、心から娘の結婚を祝うようになっていったのです。

2012年10月30日火曜日

登つていつた少年(修正版)ー新美南吉

 一年に一回の学芸会の時期が近づいてきた頃、ある学級の少年少女たちは先生を希望に満ちた目で見るようになっていきます。というのも、彼、彼女らはそこで発表する対話劇において、自分の配役が気になって仕方がないのです。最も、女性の主役の方は才色兼備の「ツル」であろうということは、彼らの共通した意見でした。しかし男性の主役たる樵夫(きこり)の約において、彼らの頭の中では鋭い感性と自信に満ち溢れた「杏平」と、裕福な家庭に育った「全次郎」の2つの名前が浮かび上がりました。そしてその一方の杏兵の方では、自分が主役に選ばれる事を信じて疑わない様子。何故なら、彼はこれまで自分の期待が裏切られた事が一切なく、そのような想像をする事が不可能だったからです。
 ところがそんな杏兵も同じ学級の少年達と同様に、「ある変化」を感じ取り、心を大きく揺れ動かされていくことになるのです。その変化とは一体どのようなものなのでしょうか。

 この作品では、〈性という、自分たちにとって未知のものに対して、その心を大きく揺らす少年少女達の姿〉が描かれています。

 あらすじにもある通り、これまで自分の期待が裏切られたことがない事から強い自信をもっていた杏平は、「ある変化」を感性的に感じ取り、その心を大きく揺れ動かすことになります。
 その日の放課後、彼は「美しくない、現実的な空想」によってツルを描きはじめます。またそれだけでは飽きたらず、草の中から梅の実を手に取り、その種を割って、その卑猥な妄想を膨らませていったのです。この描写から、彼自身が性に対して興味を持ちはじめたことが理解できます。そしてその性への興味が彼の心を大きく揺れ動かしていったのです。というのも、彼ら少年少女にとって、性というものが全く未知のものであり、現時点ではその大きさを計る術もありません。ですが、どうしてもそれを知りたい杏平は想像を膨らませるよりほかなく、また自信のその想像を大きさを全身で受け止めたいという思いから、ツルの名を連呼したり、力いっぱい走りだしたのです。
 ですが、そうして自分なりに性の大きさを計り満足はしたものの、やはり杏兵にはそれがどういうものなのか理解できません。そしてそうして理解しそこねた事から、これまで失敗もうまくいかなかったこともない彼は、少しずつ不安を感じはじめていき、やがては彼の自信にも影響を及ぼしていきました。だからこそ彼は他の少年達と木に登って、登った高さを競い合った後、「杏平は日頃の優越感が確かめられたことを感じないわけにはいかなかつた。」と、その確かな自信と実力をわざわざ再確認しなければならなかったのです。

2012年10月28日日曜日

黒猫(修正版)ーエドガー・アラン・ポー

 物語は、明日斬首刑となる『私」が、何故首をはねられることとなったのか、という経緯を遺書として書かれる事で展開していきます。そしてその遺書は、彼はこの事件を何故自分が引き起こしたのか、自分でも分からないから論理的(※1)に解いて欲しい、という願いを書いた上ではじまっているのです。

 子供の頃から大人しく、動物好きだった「私」は、成人してから、自身の奥さんとともに実に様々な動物を飼っていました。中でも黒い大きな猫は「私」から特に気に入られており、「プルートゥ」と呼ばれ親しまれていました。
 ところがその「プルートゥ」と親交を深めていった頃、「私」は酒乱して、あれほど可愛がっていた動物を虐待していくようになっていきました。「プルートゥ」もその例外ではありません。はじめはそうした心遣いもありましたが、次第にそれすら失っていったのです。
 そしてある時、「私」はひょんな事がきっかけで例の癇癪を起こして、なんと「プルートゥ」の目をえぐりとってしまいます。この時、「私」はひどく後悔しましたが、「天邪鬼の心持ち」(※2)の為に、再び「プルートゥ」を虐待しはじめ、遂には涙を流しながらも猫の首を吊って殺してしまいます。
 その後、彼の家は原因不明の火事で焼けてしまいますが、焼けた壁から「私」は巨大な猫の焼痕を発見します。それは「私」に恐怖と混乱をもたらしました。しかし時間が経つにつれて、「私」は「プルートゥ」を殺してしまったことに対して、後悔しはじめ、似たような猫を探し求めはじめます。やがて「私」は「プルートゥ」と似た猫を見つめ、家で飼う事にしたものの、どういう訳か、その猫に恐怖を感じはじめます。そして恐怖は、猫の首筋から自分がつけた縄の痕を発見したことで怒りへと変わり、「私」は再び猫に手をあげ、それを庇った奥さんを殺してしまいました。
 こうして殺人を犯した彼は、死体を家の壁に塗りこんで隠しましたが、警官が彼の家を捜索しにきた時、「私」は一つの、恐ろしい声(※3)を壁から聞いた為に動揺し、犯行がばれて、斬首刑を待つ身となっていったのです。

 この作品では、〈後悔の念が強いあまり、かえって自らの異常性を認めなければならなかった、ある男〉が描かれています。

 あらすじにもある通り、「私」は遺書の冒頭で、自分が何故あのような犯行に及んでしまったのか、何故このような運命を辿ってしまったのか、是非解いてもらいたいという願いを書いていました。今回はそんな「私」の思いに答える形で、その謎を解き明かしていきたいと思います。
 そもそもこの彼の疑問というものは、あれ程やさしく、動物が好きであった自分が、何故動物を虐待し、殺人を犯し斬首刑にならなければならなかったのか、というところにあります。そして、彼はどうやらその原因を「天邪鬼の心持ち」なのではないか、というところまではつきとめているようですが、具体的にそれがどのようなものなのかがわからない様子。では、この「天邪鬼の心持ち」とは一体どのようなものなのでしょうか。
 そもそもこの心持ちが起こったのは、彼が「プルートゥ」の目をえぐってしまった後に感じはじめます。その直前までは、彼は後悔していた訳ですが、その後、どういうわけか、してはいけないからする、「プルートゥ」が何もいていないから殺す、といった、通常とは逆の発想の展開をしていくようになっていきました。つまり彼の異常性は、彼が後悔したところからはじまっている、ということになります。では何故彼は後悔しているにも拘わらず、そのような恐ろしい考えと行動をとるようになってしまったのか。それは、その彼の後悔というものが、あまりにも大きかったからに他なりません。つまり、彼は強く後悔しているからこそ、彼が「プルートゥ」にやってしまった異常な行動が、深い傷として見えてしまっているのです。そしてその傷は、これまで可愛がっていたにも拘わらず、彼自身が片目をくりぬいてしまった「プルートゥ」を見る度に、嘗ての優しかった自分と、異常な行動をとってしまった自分とを頭の中で比較することで、より深くなっていきます。やがて彼は、こうして現在の自分と過去の自分とを比較していく中で、その傷がどのようにしても消えないものだと悟ると、最早過去の自分には戻れない事を理解し、残虐で異常な自分というものを認めていかなければならなかったのです。こうようにして、彼は理性の上で自分の異常性を認めて、そうした自分を想像し、つくりあげていきました。ですから彼は理性の上では、「プルートゥ」を殺す際に涙を流しながらも、ここで殺すことをやめても嘗ての自分には戻れないという思いから、留まることはできなかったのです。
 また、こうしてひとつの謎が解けると、私達が考えていたであろう他の謎も次々と解けていくはずです。焼けた家の壁から猫の焼痕が残っていた、奥さんを埋めた壁から奇妙な声を聞いた等怪奇現象は、彼の後悔の強さからきているものでしょうし、黒い猫を飼いはじめた途端に再び異常な彼が現れたのは、それまで薄れていた、嘗ての自分には戻れない、だから残虐になる他ないという思いが、黒い猫を見る度に再び強くなっていったのでしょう。そして異常な彼が再び現れる過程の中で、黒い猫を恐れていたのは、そうした自分自身を垣間見るのが、理性の上で恐ろしかったからに他なりません。
 まさにこの悲劇は、彼の後悔というものがそれ程までに強すぎたことが裏目にでてしまっていたことから起こっているのです。

※注釈

1・――多くの人々には恐ろしいというよりも怪奇(バロック)なものに見えるであろう。今後、あるいは、誰か知者があらわれてきて、私の幻想を単なる平凡なことにしてしまうかもしれぬ。――誰か私などよりももっと冷静な、もっと論理的な、もっとずっと興奮しやすくない知性人が、私が畏怖をもって述べる事がらのなかに、ごく自然な原因結果の普通の連続以上のものを認めないようになるであろう。

2・この心持を哲学は少しも認めてはいない。けれども、私は、自分の魂が生きているということと同じくらいに、天邪鬼が人間の心の原始的な衝動の一つ――人の性格に命令する、分つことのできない本源的な性能もしくは感情の一つ――であるということを確信している。してはいけないという、ただそれだけの理由で、自分が邪悪な、あるいは愚かな行為をしていることに、人はどんなにかしばしば気づいたことであろう。人は、掟を、単にそれが掟で あると知っているだけのために、その最善の判断に逆らってまでも、その掟を破ろうとする永続的な性向を、持っていはしないだろうか? この天邪鬼の心持が いま言ったように、私の最後の破滅を来たしたのであった。なんの罪もない動物に対して自分の加えた傷害をなおもつづけさせ、とうとう仕遂げさせるように私 をせっついたのは、魂の自らを苦しめようとする――それ自身の本性に暴虐を加えようとする――悪のためにのみ悪をしようとする、この不可解な切望であったのだ。ある朝、冷然と、私は猫の首に輪索をはめて、一本の木の枝につるした。――眼から涙を流しながら、心に痛切な悔恨を感じながら、つるした。――その猫が私を慕っていたということを知っていればこそ、猫が私を怒らせるようなことはなに一つしなかったということを感じていればこそ、つるしたのだ。――そうすれば自分は罪を犯すのだ、――自分の不滅の魂をいとも慈悲ぶかく、いとも畏るべき神の無限の慈悲の及ばない彼方へ置く――もしそういうことがありうるなら――ほどにも危うくするような極悪罪を犯すのだ、ということを知っていればこそ、つるしたのだった。

3・私の打った音の反響が鎮まるか鎮まらぬかに、その墓のなかから一つの声が私に答えたのであった! ――初めは、子供の啜り泣きのように、なにかで包まれたような、きれぎれな叫び声であったが、それから急に高まって、まったく異様な、人間のものではない、一つの長い、高い、連続した金切声となり、――地獄に墜ちてもだえ苦しむ者と、地獄に墜して喜ぶ悪魔との咽喉から一緒になって、ただ地獄からだけ聞えてくるものと思われるような、なかば恐怖の、なかば勝利の、号泣――慟哭するような悲鳴――となった。

2012年10月21日日曜日

黒猫ーエドガー・アラン・ポー

 「私」はもともと大人しく情け深い性質で、動物が大変好きでした。その為、鳥類や金魚や兎や「黒い猫」等を飼っていました。特に最後に挙げた獣は非常に大きく美しく利口であり、「私」の一番のお気に入りでした。ですが彼はいつしか、酒乱の為に自分の奥さんはおろか、可愛がっていた動物、そして自身のお気に入りだったはずの「黒い猫」にまで手を出すようになっていってしまいます。
 そしてある時、とうとう彼はあるひょんな事をきっかけに憤怒(ふんぬ)し、「黒猫」の目玉をくり抜いてしまいます。しかしその時の興奮がおさまり我にかえった彼は、自分のしたことに対して後悔を感じはじめました。ところがやがてその後悔は消え去り、彼は再び暴力をふるいはじめ、遂には「黒猫」を殺してしまいます。
 こうして「黒猫」を殺した後、彼は再び後悔の念に襲われる事になります。そして次第にその感情の強さ故に、自然と同じような猫を探し求めるようになっていきました。そんなある時、彼は酒場で自身が嘗て殺した猫と瓜二つのものに遭遇します。その猫と出会った瞬間、彼は迷わず持ち帰り、家で飼うことにしました。ですが、やはり彼の動物への虐待の習慣は抜けきっっておらず、嘗て「黒猫」を殺した時と同じ感情をこの猫に感じはじめていきます。しかし猫を殺した時の後悔がその時は強かった為、彼は猫に手をあげる事を我慢することにしました。
 ですが、次第にそうした感情は強くなっていくにつれて、彼は猫に対してどういうわけか恐怖をも感じはじめ、とうとう猫を庇った奥さんと猫自身を殺して家の壁に塗りこんでしまうのでした。
 そしてある時、彼の家に警官が来て、家宅捜索が行われました。ですが怪しいものは一切出て来ません。これに気を良くした彼は、警官たちの前で、「この壁はがんじょうにこしらえてありますよ。」と言ってわざと壁を叩いて見せました。すると、彼はどこからともなくあの忌々しい「黒猫」の声を聞き、慄いてしまいます。その様子を見ていた警官たちはすぐに壁を崩し、死体を発見したのでした。

 この作品では、〈後悔の念が強いあまり、かえってそれ以上の失敗をしなければならなかった、ある男〉が描かれています。

 この作品を一読した後、多くの読者は「何故主人公はあれ程までに猫を殺した事を後悔していたにも拘わらず、それ以上の失敗をしなければならなかったのか」という大きな疑問を感じるのではないでしょうか。その理由を考えるにあたって、私は彼の感情の揺れ動きに着眼しました。というのも、彼は猫と関わっている時、いない時に拘わらず、恐らく酒乱し猫を傷つけた時点から、彼の精神は極めて不安定になっていき、そこが螺旋階段を転げ落ちるように、転落しなければならなかった要因になっているのではないかと考えたからです。
 そこでここでは順を追って、彼の行動と感情を軸に、何故彼が猫を殺さなければならなかったのかを見ていきましょう。そもそも彼は酒乱の為に、猫自身に虐待するようになっていきました。ですが、この時はまだ猫の中には彼の怒りをかう要素は全くなく、単なるとばっちりに過ぎなかった、と言って良いでしょう。そして次第に虐待はエスカレートしていき、遂には「黒猫」の目玉をペンナイフでくり抜いしてしまいます。そこから彼は「黒猫」に対して、後悔の念を感じはじめます。ところがそうして後悔を感じていくにつれて、その後悔はやがて怒りへと転化していきます。これはちょうど、私達が昔の失敗を友人達に掘り返される心情に似ているところがあります。幾ら、その事を後悔しているとは言え、その友人が第3者か当人であったかに拘わらず、数度、数十度と言われれば、怒りがわいてくるものです。この作品の主人公もそれと同じで、直接的に掘り返されずとも、「黒猫」を見る度に、嘗ての恐ろしい自分を思い出し、いつしかしつこく責めたてられているような心情になっていったのです。やがて、ある時点で彼のその怒りは頂点に達し、「黒猫」を殺してしまったのです。
 ですが、再び同じ失敗をしてしまった彼は、再び後悔の念にとらわれていったのです。感の鋭い方はもうお分かりでしょう。彼はこうして、自身の心の中で後悔と怒りとを交互に感じていき、しどろもどろになっていったのです。ですが、ただ同じ繰り返しを心の中でしていたわけではありません。1度目の失敗と2度目の失敗とでは、後者の方が罪がより大きくなっているわけですから、後悔の念もより大きくなっており、それだけ猫を見た時に感じる気持ち(自分で自分を責める気持ち)も大きくなっていったのです。すると、今度はその後悔の念が大きすぎるあまり、その怒りに加えて、恐怖を感じていくようになっていきました。こうして「黒猫」は彼の心の中で、彼の存在を脅かす、まさに魔物と化していったのです。だからこそ、彼は是が非でもその魔物を再び退治して、自分の身を守る必要があったのでした。そしてそうした念の強さあまって、彼はなんの関係もない奥さんまで殺してしまったのです。ですが、いよいよ後悔と恐怖の念が強くなっていった彼は、壁を叩いた瞬間、つい自分がしてしまった事の恐ろしさを改めて感じてしまったのでしょう。その時、彼は自分の心の中の猫の像から、「黒猫」の声を聞いてしまい、つい慄いてしまい、つかまってしまったのです。
 このようにして彼は、後悔と怒りと恐怖を複雑に感じていくにつれて、殺人という大罪を犯してしまったのです。

※余談
 またこの作品の不気味さというものは、こうした彼自身の心情の変化の他に、著者自身の描写力からきています。というのも、この作品は主人公である「私」の一人称視点から物語られています。そして主人公は自分が殺人を犯し他人に見つかるまでの過程の中で、2匹目の「黒猫」に対して、1匹目の「黒猫」に自分がつけた痕が日に日に浮かび上がってくる、壁に埋めたはずの猫声を聞く、等の奇怪な現象に遭遇します。その描写はどれもリアリティがあり、恐ろしいながらも、つい目を休めてしまうことを忘れていくことでしょう。ですがもし一般の作家が同じ場面を書いたならば、「あたかも」、「まるで」など、それは主人公だけにしか見えていなかったのだ、という含みの言葉を用いて、作品自体のリアリティを削いでしまうことはないでしょうか。そして、もしそういった言葉を使わなかったとしても、ここまでリアリティある言い回しになっていたのでしょうか。
 そう、こうした場面は作品の世界では起こっていないが、主人公の頭と「読者には」そう見えていなければならない。また、後に「あれは主人公の頭の中でしか起こっていないのだ」ということを「読者にだけは」理解させなければならないという、複雑な場面なのです。
 こうした場面を描ききってしまい、私達にリアリティがあるけど、作品の中でこの描写が起こっているのではなく、主人公の頭の中で起こっているのだ、と理解できるのは、この著者の手腕がそれだけ確かな事への証明にもなっているのです。

2012年10月16日火曜日

落ちてゆく世界ー久坂葉子

 喘息持ちで廃人同様の生活をしており、嘗ての財産で生活をしている元華族の父、そんな父よりも神様を崇拝してなんでも神様に拝む母、戦争中の無理がたたって肺結核を患い、世間とは別の世界で過ごすことを余儀なくされている兄、大人として成長していく中で、徐々にその変化を見せる弟。そして、そうした家族に囲まれながら、自分の人生を歩もうとする雪子。これらの人々は家族という関係にありながらも、それぞれがそれぞれの独立した世界観で生きていました。
 ところがある時、父が自殺した事をきっかけに、雪子は今再び自身と家族との繋がりについて考えはじめていくのです。

 この作品では、〈家族への独立心がある故に、かえって父の死によって、家族の繋がりを意識しなければならなかった、ある女性〉が描かれています。

 雪子はもともと父とは他の家族同様、必要以上の関わりを持ってはいませんでした。ですが唯一趣味の面では、他の家族以上の関わりを持っていました。そんな彼女だからこそ父の自殺によって、今一度家族と自分のあり方について考えはじめたのです。
 そもそも父にとって家族とは、生活の煩わしさを忘れるための憩いの場となるはずのものでした。しかし不幸な事に彼は子供達との接し方が分からず、子供達との距離はその成長につれて大きくなっていきます。そして母は母で、父よりも神様、と言った具合に信仰に身を委ねることで精一杯でした。
 そんな父にとって雪子との趣味の共有は、彼と家族を繋ぎとめる数少ないもののひとつだったのでしょう。だからこそ彼は雪子に母にはないものを求めました。そして雪子自身も、そうした父の眼差しを思い出すと各々が独立して暮らしている今、父との小さな繋がりを感じずにはいられなくなっていきます。そしてその父との繋がりが、やがて彼女に他の家族との繋がりを考えさせていったのです。こうして彼女は、現在は表面的にはそれぞれ独立はしているものの、どこかしらで家族との繋がりがあることを否定できなくなっていき、嘗て自分の家が華族であったにも拘わらず没落していっていること、父の死を受け入れ背負う覚悟を自然と決意していったのです。
 そしてこうした彼女の決意の裏には、彼女に家族への独立心があったからだということを忘れてはいけません。もしも彼女に独立心がなければ、彼女は父の自殺を嘆くばかりか、或いはそうした父の思いに飲み込まれていただけかもしれません。父を含めた家族と一定以上の距離があったからこそ、このような冷静な決断が下せたのです。

2012年10月15日月曜日

イオーヌィチーアントン・チェーホフ

 近頃S市の近くに引っ越してきたばかりの医師、ドミートリイ・イオーヌィチはトゥールキン家の主人、イヴァン・ペトローヴィチから彼の家に招かれていました。人々の話によるとトゥールキン家の人々は皆、芸術に関して一技一芸を持っており、S市では最も教養と才能のある家で是非伺わなければならないということだったので、イオーヌィチはその招待を受けることにします。そして彼はトゥールキン家の人々と交際していく中で、ピアノが堪能な娘のエカテリーナ・イヴァーノヴナに惹かれていくのでした。ですが音楽学校に進学しピアノで名声や成功、自由を掴むつもりでいた彼女自身は、彼と結婚すればそれが叶わないだろうと考え拒みます。
 やがて彼の恋が破れて4年がたった頃、イオーヌィチはいよいよS市の人々に嫌気が差してきます。というのも、Sの人々は彼に比べて無学、無教養な人々ばかりでカルタとお酒遊びに没頭ばかりだったのです。ですから教養人の彼としてはS市の人々と馬が合わず、カルタ遊びとお金の収集を唯一の楽しみにしていました。
 そんなある時、イオーヌィチはトゥールキン家からの招待状を受け受け取ることになります。そこには嘗ての最愛の人、エカテリーナの字もありました。実は彼女はその後音楽学校に入ったものの、夢破れて今は自身の家に帰ってきていたのです。彼は4年間の間に、トゥールキン家をたった2度しか訪れていなかった事もあり、迷ったものの、招待を受けることを決意していきました。果たして今度こそ彼の恋は成就するのでしょうか。

 この作品では、〈俗人を嫌うあまり、かえってその俗人以上の俗人になってしまった、ある男〉が描かれています。

 イオーヌィチの恋の行方に関してもの申す前に、もう一度彼とS市の人々との4年間の触れ合いについて考えてみましょう。彼はそもそもS市の人々の、無学で無教養なところを嫌っていました。そしてS市の人々の方も、イオーヌィチが教養あふれる人物である為に、彼とあまり話が弾まず、『高慢ちきなポーランド人』と評していくようになっていきました。こうしてS市の人々とイオーヌィチの間には、大きな壁が出来上がっていったのです。
 しかしS市の人々を彼は嫌いつつも、その習慣を嫌うことはなく、自然とカルタ遊びに没頭し、芝居や音楽を遠ざける事を自分の生活に取りいれていきました。そう、彼はS市の人々の性質を嫌いながらも、そうした性質がこうした習慣の中で形成されていった事を理解していなかったのです。ですから彼自身もそうした習慣を通じて、徐々に俗人と化していきます。そして更に悪い事は、イオーヌィチのS市の人々に対する気持ちが彼の俗人化に拍車をかけてしまった、ということです。というのも、上記の性質から彼の立場としては、どうしてもS市の人々と一線を画す必要があります。そこで彼は自身の地位によって、人々との格差を広げるという考えに至ったのでしょう。そうして彼は自分とS市の人々区別することで、彼らとは違った俗人へとなり、S市民の人々は愚劣な俗人であるという図式をつくっていったのです。
 そんなある時です。彼はトゥールキン一家から招待を受けたことで、エカテリーナとの再会を果たします。しかし俗人と化したイオーヌィチには、S市でも教養があるトゥールキン家も、最早彼らがS市民である以上、無教養な芸術家かぶれの家族にしか見えなかったのです。ですがエカテリーナにだけは彼の心を開きかけていました。というのも彼がそもそも俗人となったのは、教養なきS市民の中で暮らす孤独からきていました。そして芸術に関心を持ち、嘗てS市を離れる事を羨望していたエカテリーナは、彼にとって自身の俗人化を止め得る最後の砦のようなものだったのです。ですが彼女自身、夢が破れた為に、以前のような音楽への熱心さ、S市を離れる気持ち、そのどちらともが弱くなり失われつつあると知ると、彼は再び心を閉ざしていきます。この時、彼の中では彼女もまた、愚劣なS市民になってしまったのでしょう。
 こうしてイオーヌィチはS市の人々という俗市民を嫌うあまり、彼ら以上の俗市民にならなければならなかったのです。

2012年10月14日日曜日

イオーヌィチーアントン・チェーホフ(未完成)

完成版は近日中に公開します。


 近頃S市の近くに引っ越してきたばかりの医師、ドミートリイ・イオーヌィチはトゥールキン家の主人、イヴァン・ペトローヴィチから彼の家に招かれていました。人々の話によるとトゥールキン家の人々は皆、芸術に関して一技一芸を持っており、S市では最も教養と才能のある家で是非伺わなければならないということだったので、イオーヌィチはその招待を受けることにします。そして彼はトゥールキン家の人々と交際していく中で、ピアノが堪能な娘のエカテリーナ・イヴァーノヴナに惹かれていくのでした。ですが音楽学校に進学しピアノで名声や成功、自由を掴むつもりでいた彼女自身は、彼と結婚すればそれが叶わないだろうと考え拒みます。
 やがて彼の恋が破れて4年がたった頃、イオーヌィチはいよいよS市の人々に嫌気が差してきます。というのも、Sの人々は彼に比べて無学、無教養な人々ばかりでカルタとお酒遊びに没頭ばかりだったのです。ですから教養人の彼としてはS市の人々と馬が合わず、カルタ遊びとお金の収集を唯一の楽しみにしていました。
 そんなある時、イオーヌィチはトゥールキン家からの招待状を受け受け取ることになります。そこには嘗ての最愛の人、エカテリーナの字もありました。実は彼女はその後音楽学校に入ったものの、夢破れて今は自身の家に帰ってきていたのです。彼は4年間の間に、トゥールキン家をたった2度しか訪れていなかったので迷ったものの、招待を受けることを決意していきました。果たして今度は彼の恋は成就するのでしょうか。

 この作品では、〈俗人を嫌うあまり、かえってその俗人以上の俗人になってしまった、ある男〉が描かれています。

2012年10月9日火曜日

青ひげーシャルル・ペロー

 むかしむかし、町と田舎に大きな屋敷を構えた、大金持ちの男いました。ですが彼は運の悪いことに、恐ろしい青ひげを生やしているため、他の者から恐れられ中々結婚できません。
 そこで青ひげは自分の屋敷の近くに住んでいる美しい娘を奥さんとして迎えようと、その親子と近所の知り合いの若い人々を大勢招いて、一週間自分の屋敷でもてなして機嫌をとることにしました。この青ひげの作戦は功を奏し、娘は青ひげと結婚することを決意していきます。
 そうして、結婚して娘が彼の奥さんとなってひと月経ったある時、青ひげは6週間旅に出る事にしました。その際、彼は家の鍵を全て奥さんに預けます。そして彼女に、地下室の大廊下の、一番奥にある小部屋の鍵だけは決して使ってはならないと告げました。奥さんは、はじめはもし開けてしまったら何をされるのか分からないという青ひげへの恐ろしさから、その約束を守っていました。しかしその部屋がどうしても見たくなった彼女は、とうとうその部屋を開けてしまいます。中には5、6人の女の死体がありました。それを見て奥さんは恐怖し、すぐに扉を閉めます。
 ですがやがて青ひげが帰ってきて、自分の奥さんが約束を破ったことがばれてしまいます。そして彼は怒り、奥さんを殺そうとしました。ですが運良く青ひげの屋敷に向かっていた兄達に彼女は助けられ、青ひげは殺されてしまいます。
 こうして奥さんは青ひげの狂気から救われて、彼の財産は自分の姉たちに分けることにしました。

 この作品では、〈身に余る好奇心は身を滅ぼしかねない〉ということが描かれています。

 本来、私の評論というものは作品の中から著者の主張を読み取り、それを一般性として括弧の中に表現して、それを軸に論じていきます。ですがこの作品では既に、著者であるシャルル・ペロー本人が作品の末尾に自身で一般性を述べているので、それをもとに論じていきたいと思います。因みに本文の一般性は、「ものめずらしがり、それはいつでも心をひく、かるいたのしみですが、いちど、それがみたされると、もうすぐ後悔が、代ってやってきて、そのため高い代価を払わなくてはなりません。」というものです。そして著者の一般性をもとに作品を見ていくと、この作品は奥さんの、青ひげの秘密の部屋を覗きたいという好奇心が彼女自身の身を危険に晒したのだ、という事を描いていることになります。
 ところで私は著者の一般性をもとに、新たに一般性を出しているわけですが、私は著者の一般性にはない、「身に余る」という言葉を用いています。というのも、この表現こそ、この作品の理解をより深いものにしてくれる言葉だと考えたからです。そしてこの表現を用いるに至ったのは、奥さんのある葛藤について注目したからです。その葛藤とは言うまでもなく、地下の部屋を開けるか開けまいかということに他なりません。もし彼女がここで踏みとどまっていれば、このような悲劇は起こらなかったでしょう。では、何故彼女は地下の部屋を開けてしまったのか。
 ひとつは彼女に危機管理が欠けていたことにあります。例えば優秀なレーサー等はそうした能力に長けているものです。彼らは自分の走るコースを見た時に、このコースでこのカーブならばここまでのスピードなら曲がれるがそれ以上出すと危ないと判断することができます。そしてこの奥さんにも、青ひげと自分の心の距離をはかり、これぐらいのことであれば許してくれるという判断が、自分で下すことができていれば良かったことになります。
 ですがこう考えると、世の中にははじめての宇宙飛行やはじめての世界一周など、我が身に有り余るだけのリクスを背負わなければ、成し得ない大成だってあるはずではないないか、という反駁があっても可笑しくはありません。しかしそうかと言って、果たして奥さんが青ひげの秘密を知ることが、彼女にとって、或いは他の人々にとってどれだけ必要なことだったのでしょうか。結果的に青ひげの殺人が分かり、それ以上の犠牲者が出る事を防いだものの、部屋を開けるまでの時点ではそれが分からなかった訳ですし、何よりも、奥さんは多少なりとも青ひげの残虐性を知っておきながら部屋を開けてしまったのです。ですから彼女は、自分の危機管理能力も足りなかった上に、リスク管理すらできていなかったことになります。
 こうして奥さんは、自分の身に余る判断と行動をしてしまった為に、恐ろしい体験をしなければならなかったのです。

2012年10月7日日曜日

ヴィヨンの妻ー太宰治

 俗人で破天荒な性質を持っている詩人、大谷は女遊びとお酒を好み、ある時そうした遊びのお金欲しさの為に自分がよく通っている料理店からお金を盗んでしまいました。そしてその現場を店の主人と奥さんに目撃されてしまい、家までおしかけられてしまいます。そこで大谷の妻である「私」は夫に変わってそのお店で働き、お金を返すことにしました。
 退廃的で死を望む夫は日々女と酒に溺れ、自分の生を呪いながら生きています。その一方で「私」は他の女といる夫を見守りながら仕事に奮闘し、たとえお店のお客に汚されても生を肯定し、日々を過ごしてゆくのでした。

 この作品では、〈生きていくことに価値を見いだせないあまり、かえって誰よりも自然に生きてゆくことができた、ある女性〉が描かれています。

 この作品は、自分がこの世で生きることを呪いながらも死ぬに死ねず、生きている大谷と、その妻である「私」とを比較する形で描かれています。そこでここではそれぞれの生き方を比較ながら論じていくことにします。
 はじめに大谷の方ですが、彼は死にたくて仕方がないが、へんな「怖い神様にたいなもの」が、死ぬことを引き止めているというのです。この「神様みたいなもの」が引き止めるという表現の中には、恐らく生きるということに何か絶対的な強制力、価値を認めているという含みがあるのでしょう。ですから彼は死ぬに死ねず、だらだらと生きるしかなったのです。
 それでは一方の「私」はどうでしょうか。彼女は夫が他の女と一緒にいようが、夫の借金を肩代わりしようが、世の中の見方を変えるような事は一切ありません。また彼女は何かに対して喜怒哀楽する事はあっても、夫は妻以外の女といるべきではない、他人に迷惑をかけてはならない、生きなければらない、といった義務的な価値観を持っていないのです。この彼女の性質が読者たる私達に、「私」に対して奇妙かつ神秘的な印象を与えているところなのでしょう。
 では、何故彼女は大谷のように、また私達のように義務的な価値観をもたないのでしょうか。価値とは何処にあるのでしょうか。そもそも価値とは人間以外が持ち得ない概念なのです。というのも、例えば蜘蛛は母親が殺されようが、自分の子供が殺されようが、悲しんだりはしません。それどころか種類によっては、生まれた瞬間に自分の母親を食べてしまうものだっているのです。またそうして育った蜘蛛もまた、他の動物に捕食、或いは自分も子供達に食べられてしまいます。自然界において、生と死というものは現象以上の価値を持たず、単純に生きるために殺し殺されていくのです。しかし動物たちよりも大きな社会で暮らしている私達にとって、それでは困ります。社会的な生き物である私達には、その大きさだけの価値が必要になってくるのです。もしなければ、誰もが必要であれば他人のものを盗み、邪魔であれば他者が他者を殺しといったように、社会が成り立たなくなっていきます。だからこそ、私達は大谷のように生きることに現象以上の価値を求めなければならないのです。
 ですが「私」はそうではありません。彼女にとって大谷の借金を返済することも、生きることも全て現象でしかないのです。そういった意味では、彼女は人間の社会で生きながらも、自然的な考え方をしていると言っても過言ではないでしょう。ですから彼女は男に汚されたすぐ後でも、ただ「私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言うことが出来たのです。
 まさに生きることに必要以上の価値観を持っていない事が、かえって「私」に生きる強さを与えているのです。

2012年10月5日金曜日

和太郎さんと牛ー新美南吉(未完成)

 お酒好きである牛ひきの和太郎さんは、年とった牛と彼のお母さんとで暮らしていました。そんな彼にはある悩みがありました。それは、彼にはお嫁さんと子供がいないということです。彼自身は自分の後を継ぐ子供が欲しいとは思っているものの、以前にお嫁さんをもらってうまくいかなかった経験から、それを諦めていました。
 そんな和太郎さんに、ある時事件が起こります。彼は行きつけの茶屋でお酒を飲むことが好きで、飲んだ夜は牛の車の上にのって帰る事にしていました。しかしその日は牛もお酒を飲んでおり、茶屋を出た後なかなか家に帰り着きませんでした。一方そんな彼を心配したお母さんは、おまわりさんに相談して村の人々と共に彼を探す事にしました。彼と牛は果たしてちゃんと家に帰り着くことが出来るのでしょうか。

2012年10月2日火曜日

花をうめるー新美南吉

 著者は子供の頃、ある遊びに没頭している時期がありました。その遊びとは、2人いれば出来る遊びで、1人が目を瞑り、もう1人が穴を掘ってそこに草花を埋め、硝子の破片で蓋をしてその上から土をかぶせます。そして隠し終わったら、目を瞑っていた者は目をあけて花を探す、というものでした。彼はこの隠された花にこそ、この遊びの魅力を感じていたようです。
 そしてある時、著者はこの遊びを豆腐屋の林太郎(りんたろう)と織布工場のツルとで行っていました。やがて遊びも終わりかけた頃、最後に林太郎とツルが隠す役を、著者が探す役をすることになりました。ですが、いくら彼が探しても花の場所が分かりません。そしてツルもツルで、その場所を教えてはくれず、「そいじゃ明日さがしな」と言うだけでした。彼はツルの作品(花)を常々素晴らしいと評価していたことと、ツルへの好意の気持ちから彼女の言葉を採用し、明日も明後日も、暇さえあればたびたび行ってそこを探しました。そうしていくうちに、彼はその場所に魅力を感じていくようになっていきます。ですが、花は一向に見つかりません。
 そんなある時、著者は花を探しているところを林太郎に目撃され、ツルはそもそも花を隠していなかった事を告げられます。その瞬間から、著者は花が隠されていた場所に何の魅力を感じなくなりました。
 やがて月日は経ち、著者とツルの関係は恋仲にまで発展しましたが、彼自身は彼女の性格を知りひどく幻滅したといいます。またそれは、「ツルがかくしたようにみせかけたあの花についての事情と何か似てい」るというのです。これは一体どういうことでしょうか。

 この作品では、〈ある一部の性質を拡大して、全体を見せているある女性の特性を見抜いた、著者の審美眼〉が描かれています。

 あらすじにある通り、著者はツルが花を隠したように見せかけてその場所に魅力を持たせていた事と、ツルの性格を知りひどく幻滅した事について、ある共通点を見出しています。それは両者とも、故意かそうでないかは兎も角ツル自身が、著者が魅力を感じ得ないものにまである性質を拡大させて、人やものを演出していたということです。というのも、著者はツルがそこに花を隠したという嘘をつかなければ、当然そこに魅力を感じなかった事でしょう。そしてツルがこの遊びを得意だったという性質が更に、その場所に新たな付加価値をつけていた事を手伝っていた、という点も見逃してはなりません。
 また彼はその遊びが得意な、繊細なツルを好いていました。恐らくこれもツル自身のそうした性質を著者の中のツルの像に押し広げていった事で、彼女の本来の性格を隠していたのでしょう。
 そしてこうした性質はもともと人間、特に女性の性質として備わっている節があります。例えば女性は男性よりも「外見的な美」というものに熱心で、服や化粧で自分を可愛く、美しく、またかっこ良く演出することがあります。またそうした演出が、鑑賞者(つまり男性)に「内面的な付加価値」を与えているのです。つまり可愛い女性というものは、実際は気が強くても気が弱く見えることがありますし、美しい女性というものは、普段下品な言葉づかいをしていても、外見だけ見ればそうは見えないことがあります。そしてもし鑑賞者がそこに気づいた時、彼らは著者と同じように大きな幻滅を感じる事でしょう。そしてその差が大きければ大きい程、幻滅も大きいはずです。
 作品の話に戻りますと、この著者もツルのつくる作品(花)を高く評価していたからこそ、その虚構がそれだけ彼に大きな失望を抱かせてしまった事は言うまでもありません。まさにツルの花を隠す事が得意だという利点が、かえって彼女の欠点を目立たせる結果となってしまったのです。

2012年9月30日日曜日

花のき村と盗人たちー新美南吉(未完成)

 昔、花のき村という村に盗人と、その4人の子分がやってきました。彼らははじめこの村に盗みをはたらく為にやってきたのですが、盗人がある子供から牛の子を預かったことをきっかけにその考えが変わっていきます。というのも、盗人はこれまで誰かに信用されたことは一度もありませんでした。ですから、彼は子供が自分を信用して牛の子を預けてくれたことに関して、大変感動したのです。ですが盗人に牛の子を預けた子供は、一向に盗人の前に姿を見せません。そこで彼らは役人のところに行って、牛の子を預かってもらうことにしました。しかしそこで役人と仲がよくなった盗人は、自分が盗人であるということを隠すことが忍びなくなり、遂にはこれまでの罪を自ら役人に話してしまいます。
 こうして村の平和は保たれたわけですが、そのきっかけをつくった子供の正体は結局分かりませんでした。果たして、その子供は一体どこの誰だったのでしょうか。

2012年9月27日木曜日

登つていつた少年ー新美南吉

 一年に一回の学芸会が近づいてきた頃、ある小さい村の学校の先生は、そこで行う予定の対話劇の主役を誰にするかで悩んでいました。一方の子供達の間では、頭の中で2つの名前を思い浮かべでいました。一人は貧しい家の生まれでありながら才能と自信に溢れている杏平、そしてもう一人は、裕福な家庭に育ち先生からの信頼を得ていた全次郎。
 ですが杏平本人は自分が主役に選ばれる事を強く信じており、決して自分からは立候補しません。果たして彼の自信とはどこからきているのでしょうか。

 この作品では、〈他者よりも秀でた実力を持つが故に、他者よりも強い自信を持つことができた、また他者よりも強い自信も持つが故に、他者よりも秀でた実力を持つことができた、ある少年〉が描かれています。

 この作品は、学芸会の主役を先生が選考しており、それを杏平が自信をもって沈黙している場面と、子供達と木のぼりをして杏平が他者よりも高い場所まで登っていく場面の2つで構成されています。そして前者では彼の強い自信から沈黙を守っている事から、彼の自信の面が強くその場面にあらわれていることが理解でき、後者では実際に他の子供達よりも高い位置に登り、自身の実力を見せつけている事から、彼の実力があらわれていることが理解できます。
 こうして整理してみると、この2つの場面はそれぞれ独立しており、彼の大きな2つの性質を描いているに過ぎないと考えてしまうかもしれません。ですが、下記に注目してくだい。下記はそれぞれ、沈黙を守りきった後と木のぼりをしている最中の一文を抜粋しています。

校門を出てからも杏平の自信はくづれなかつた。杏平には自分の期待が裏切られるやうな経験はかつて殆どなかつたので、さういふことを想像することが不可能だつた。

杏平は恐怖を感じなかつたわけではない。しかし杏平の中にある不思議な力がどんどん彼をひきあげてゆくのである。

 はじめに第一文は、杏平はこれまでの事を想起して、改めて自分の実力を確認して今度も主役に選ばれるであろうという自信をつけています。ここから彼ははじめの場面において、自身の実力が彼の自信を裏付けているということが言えるのです。
 そして第2文では、杏平は地面から離れていくことに恐怖を感じながらも、何らかの力(自信)が彼を支えて他の子供達との実力の差を見せつける事に成功出来たと言えるのでしょう。
 ここまで話を進めると2つの場面の見方も変わってくる事でしょう。この2つの場面はそれぞれで杏平の自信と実力を積極面として描きながらも、その裏ではそれぞれがそれぞれを支えています。2つの性質は独立してそれぞれ存在しているのではなく、それぞれが支えあっているからこそ、杏平の性質として成立しているのです。

2012年9月20日木曜日

童話における物語性の喪失ー新美南吉

 この作品では著者が昨今の新聞社やラジオ局の物語の作品募集のやり方について、物申しています。というのも、それらのあるやり方が物語の面白さを失わせ、物語でなくしているというのです。では、それらの具体的にどのようなやり方が、そうさせているのでしょうか。

 この作品では、〈あらゆる物語の重要性は、形式よりも内容にある〉ということが主張されています。

 上記にある、著者が物申したいあるやり方とは、作品に対する制限、特に文字数に関して物申しています。そもそも書き手の側からすれば、作品の重要性は文字数などといった形式にあるわけではなく、言うまでもなくその内容にあります。それを文字数を制限される事によって、その内容の重要性が希薄になり、結果として作品自体が面白くないものになっていると著者は主張しているのです。
 例えば原稿用紙3枚の作品を10枚にしてしまうと蛇足ばかりで退屈になってしまいかねませんし、10枚の作品を3枚にすると今度は内容が薄くなりこれも退屈なものになってしまう、ということです。
 こうした主張は至極当然な主張と言っていいでしょう。ですが中には驚くことに、物語の重要性は内容ではなく形式にあると考えている人物もいるのです。ある児童文芸家はこうした著者の主張に対して、「ストオリイの面白味なら実演童話に求めたまえ。われわれの創作童話にそれを求めて来るのはお門違いである」と反駁したというのです。しかし、当然これは誤りです。あらゆる芸術は表現する事を目的とするからには、必ず鑑賞者の存在を意識しなければなりません。文学作品もその例外ではありません。ですから、鑑賞者を退屈される事を前提とした作品など、あっていいはずがないのです。
 いかなるジャンル、いかなる目的があるにせよ、作品というものは内容を重視し、鑑賞者を楽しませるという目的を常に果たさなければならないのです。

2012年9月16日日曜日

張紅倫ー新美南吉

 奉天大戦争(※)の数日前、ある部隊の大隊長である青木少佐は、仲間の兵隊達を見回っていた最中、大きな穴に落ちてしまいました。ですが青木が穴に落ちていることに仲間たちは誰も気づかず、彼自身は敵兵に見つかってはいけないため、声もあげられません。そんな中彼を救ったのは、中国人である張紅倫(ちょうこうりん)とその父でした。青木は彼らに手厚くもてなされていましたが、ある時張紅倫の村の人々が青木をロシア人に売り渡そうという計画を企てはじめます。それを知った張紅倫は、青木を村から逃してやりました。
 それから戦争も終わり、青木が軍を退役して会社勤めをしていた頃、その会社にある若い中国人が万年筆を売りにきました。それは張紅倫でした。そして、彼は青木と運命的な再会を果たします。しかし、張紅倫は自分の事を張紅倫ではないと、嘘をついてしまいます。一体彼は何故嘘をついたのでしょうか。

 この作品では、〈相手への気持ちが強いあまり、かえって何も言わず相手の前から去らなければならなかった、ある青年〉が描かれています。

 青木は張紅倫と再会を果たした際、彼と話したい一心で張紅倫の素性を問いただそうとしました。ですが当の張紅倫と言えば、そんな青木の態度に応じようとはしません。しかし彼もまた青木と同じか、或いはそれ以上にそうした気持ちを持っていました。その証拠に彼は青木と再会した後日、彼にある手紙を送りました。そこには、自分は確かに張紅倫であることと、嘘をついた理由が綴ってありました。彼曰く、ここで中国人である自分が嘗て日本軍だった青木を助けた事が世間にばれてしまえば、青木の名前に傷がつく為、あの場では本当の事は言えなかったのだと言います。また、彼は明日、日本を旅立ち中国へ帰る事も書かれてありました。
 張紅倫は青木の事を大切な存在だと感じているからこそ、あえて青木と会わず去っていく道を選びました。またそうした彼の悲しくも強い決断が、この作品に感動という要素をもたらしているのです。

※奉天の会戦ー1950年(明治38年)3月、奉天付近で行われた日露戦争中最大最後の陸戦。日本軍が辛勝した。ここでは本文に即して、奉天大戦争としている。
大辞林参照

2012年9月14日金曜日

最後の胡弓弾きー新美南吉

 竹藪の多いある小さな村では、旧正月になると百姓たちは2人一組になって鼓と胡弓を持ち、旅をしてお金を貰う門附けという風習がありました。そしてこの村で育った木乃助は胡弓を弾くことが好きで、12の歳から門付けに参加していました。しかし月日が経つにつれて、門附けそのものが流行らなくなっていきます。更に月日は経ち、やがては彼自身も体の健康を失っていきます。ある年、そんな彼を見かねて妻と娘が木乃助に門附けをやめさせようとします。ですが、それでも木乃助は、自分が門附けをはじめた頃から彼の胡弓を聴いてくれている味噌屋の主人の事を思い浮かべると、「聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは、俺あ胡弓はやめられんよ」と言って、最後の門附けに出ていったのでした。

 この作品では、〈表現する事が好き過ぎるあまり、かえって芸を捨てなければならなかった、ある男〉が描かれています。

 そもそも他の人々が門附けをやめていく中で、木乃助だけは続けていけたのは、彼の目的が表現することそのものにあったからです。というのも、他の人々が門附けをする動機は、その中で貰ったお金で生計を立てる事にありました。ですが木乃助の場合、お金を貰うことよりも家々をまわり自分の芸を披露する事が目的でした。そしてその目的の手段のひとつとして、味噌屋の主人の家を訪れる事があったのです。
 そして彼がこの主人に対し、その目的の重きを置いていたのは、主人が熱心な鑑賞者だったからに他なりません。恐らく日頃から胡弓を練習していた彼は、「本当に胡弓が好きな人に自分の胡弓を聴かせたい」という思いが何処かにあったのでしょう。つまり彼の「聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは」という言葉の裏には、(熱心に自分の胡弓を聞いてくれる人物)という条件が存在していた事になります。
 ですが木乃助は最後の門附けに出かけた時、その熱心な鑑賞者であった味噌屋の主人がなくなっていた事を知ってしまいます。こうしていよいよ自分の胡弓を聴かせる人物を失ってしまった彼は、絶望のあまり自身の胡弓を売ってしまったのです。もし木乃助の胡弓に対する気持ちがもう少し弱ければ、あまり胡弓に興味のない家族に聴かせるだけで満足していた事でしょう。しかし彼がそうではなく、胡弓が好き過ぎた事が仇となっているとことが、なんともやるせない気持ちを私達に持たせているのです。

2012年9月11日火曜日

正坊とクロー新美南吉

 村々を興行して歩く、あるサーカス一座にクロという熊がいました。クロはある村で公演をしている最中、腹痛にかかってしまいます。そこで一座の人々は薬を飲ませようと試みました。しかし、クロは一切口を開こうとはしません。その時、彼をクロを助けたのははしごのりの正坊でした。彼は初日のはしごのりで怪我をしていましたが、クロの事を聞くとすぐに駆けつけていったのです。そしてクロのもとへ行き、すんなりと薬を飲ませることに成功しました。こうの事件があって以来、クロと正坊は一層その絆を深めることができました。
 しかし一座の収入が僅かだった為に、ある時とうとう解散する事になりました。そしてクロも動物園に引き取られっる事になってしまいました。果たしてクロと正坊はこの儘二度と会えないのでしょうか。

2012年9月9日日曜日

お母さんたちー新美南吉(未完成)

 ある日、小鳥のお母さんと牝牛のお母さんはこれから生まれてくる自分の子どもを自慢していました。しかし自慢話はエスカレートしていき、お互いが自分の子どもの方が可愛いはずだといい張り合い、喧嘩腰になっていきます。そんな中、一匹の蛙が間に入り、自慢話よりも赤ちゃんに聴かせる子守唄を覚えるほうが先である、と注意します。そこで小鳥お母さんと牝牛お母さんは、歌を覚えることが苦手でしたが、夕方、風が涼しくなるころまで練習したのでした。

2012年9月7日金曜日

いぼ−新美南吉

 去年の夏休み、小学生の松吉とその弟の杉作のところに、いとこで町の子どもである克己が遊びにきました。彼らは家が離れていたためにもともと深い交流はなかったのですが、池で漂流しかけたために、3人で力を合わせて難を乗り越えたことをきっかけに強い絆を結んだように思われました。
 その後日、松吉と杉作はお母さんに頼まれて、克己の家までおつかいに行くことになりました。2人は夏休み以来克己に会っていなかったので、彼との久しぶりの再会と、また彼のお父さんから小遣いを貰うことを楽しみにしながら出かけて行きました。しかし彼らを待ち受けていたいたのは、予想だにしない出来事でした。

 この作品では、〈いかなる事があろうとも気丈に振舞っている、子どもの底抜けの明るさ〉が描かれています。

 上記にあるように、2人は克己との再会と小遣いを貰える事を楽しみにしていました。ですが克己は克己で、松吉と杉作と貴重な体験を共有したにも拘わらず、彼らの事を忘れたような素振りを見せました。2人はそれにショックを受けて、小遣いを貰わずに帰っていってしまいます。しかし、帰りの途中、彼らは「きょうのように、人にすっぽかされるというようなことは、これから先、いくらでもあるにちがいない。おれたちは、そんな悲しみになんべんあおうと、平気な顔で通りこしていけばいいんだ。」という結論に至り、ふざけ合いをはじめます。ここに、この作品の力強さがあるのです。
 私達大人は職場や家庭など、様々な場所で様々な問題を抱えながら生きています。そのような中で、押しつぶされそうになる場面もいくらかあることでしょう。そうして生きていっている私達に、この作品に登場する子供たちは素朴で子供らしい発想ながらも、ひとつの答えを身をもって示してくれています。ですから、私達はこの作品を読み終えた後、子供の気丈なまでの明るさに感心せずにはいられなくなっていくのです。

2012年9月2日日曜日

去年の木ー新美南吉

 一本の木と一羽の小鳥とは大変仲がよく、小鳥は一日中その木の枝で歌を歌い、木もそれをずっと聞いていました。ところが冬が近づいてきたので、小鳥は木のもとを離れなければならなくなりました。そこで小鳥は木に来年もそこに来ることを約束し、その場を去っていきました。
 ですが、春がめぐって小鳥が帰ってくると、木はそこにはなく、根っこだけが残っていました。木は一体どうなってしまったのでしょうか。

 この作品では、〈火の中に木の精神の存在を認めている、小鳥〉が描かれています。

 実は木は小鳥と別れた後、木こりに切られてしまい、谷の方へ持っていかれてしまったのです。そこで小鳥は様々なものから木の行方を聞いて、探しはじめます。そうする中で、小鳥は木が最終的にマッチ棒になって燃やされた事を知るのでした。ですが、それでも小鳥はランプの火をじっと見つめて、去年に木に歌ったうたを歌いました。この時、「火はゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。」
 こうした小鳥の一連の行動と上記の括弧書きから、小鳥はかつての木の精神の存在を火の中に認めている、ということが言えます。
 そもそも小鳥は木の行方を知る中で、それがどのような形に成り果てようとも決して探すことをやめることはありませんでした。それは、小鳥が素朴ながらも物質がどのように変化し消滅しようとも、精神のあり方は同じであるということを信じているからに他なりません。だからこそ小鳥は、木が物質的には消滅し、火となってもその中に木の精神の存在を認めることが出来たのです。
 そして私達の方でも、この小鳥と同じように物質は滅んでいても、精神の存在を別に認めている時があります。例えば墓参りなどは良い例でしょう。たとえ物質としては骨だけになっていたとしても、死後の者の魂が墓の中に眠っていると考えるからこそ、私達は毎年お盆の時期には墓参りをしているのではありませんか。そしてこうした習慣、価値観でものごとを見ている私達だからこそ、小鳥が火に向かって歌っている姿に心を暖かくせずにはいられないのです。

2012年8月30日木曜日

心中ー森鴎外(未完成)

 これは著者がお金(きん)という女性から聞いた実話を、そのまま作品として描いています。
 それは彼女が川桝(かわます)という料理屋で働いていた頃の話です。ある冬の夜、彼女の同僚であったお松は用をたしに便所へ向かおうとしていました。すると新参のお花という娘が、彼女と共に便所へ向かいたいと申し出てきました。実は、彼女はその時女中の間で噂になっていた、便所の近くの茶室まがいの四畳半の部屋に白い着物を着た人がいるという話を気にして、我慢していたのです。
 こうして2人は真夜中に便所へ向かう事になったのですが、その途中、彼女たちは噂になっている部屋のあたりから、「ひゅうひゅう」という音を聞いてしまいます。さて、一体それはなんの音だったのでしょうか。

2012年8月26日日曜日

サフランー森鴎外

 子供の頃、本好きだった著者は自身の父からオランダ語を習っていた時のこと、彼はオランダ語の辞書からサフランという言葉に興味を抱いたことがありました。しかし、その興味というものはそれ以上強くなることはありませんでした。
 やがて月日は経ち半老人となった彼は、ある日花屋でサフランを買って帰りました。ですが、花は2日でしおれてしまいました。ところが、その翌月になるとしおれたはずのサフランが青々とした葉を出しているではありませんか。これを見た著者は、サフランに対してある感情を抱いていくようになります。

 この作品では、〈自分の所有物に対する、ある著者の冷たさ〉が描かれています。

 サフランが再び葉を茂らせているところを目撃して以来、著者は折々水をやるようになっていきました。ですが、これはサフランに対する愛情からではありません。では何故彼はサフランに水をやろうと思ったのか。というのも、一般的に見れば、著者の行動というものは、ある見方をすればそれは野次馬と見られても仕方のない事のようにも思います。そうかと言って、やらなければやらないで独善や冷酷といった見方をする人々もいることでしょう。ですが、そういった事が頭をよぎりながらも、その動機というものは彼自身にも明確には分からなかったようです。ただ彼はサフランと自分の関係について、下記のように考えて自身の行動を納得させています。

◯しかしどれ程疎遠な物にもたまたま行摩の袖が触れるように、サフランと私との間にも接触点がないことはない。物語のモラルは只それだけである。

◯宇宙の間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をしていた。これからも、サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう。

 つまり彼は、確かに自分はサフランと接点はあるが、それは非常に弱いものである。そして私が水をやろうとやるまいと、私が私なりに生きていくようにサフランもサフランなりにいきていくだろう、と考えています。ですから彼は、自身の花に水をやりたいという衝動を抑えることなく、それを実行することが出来たのです。

2012年8月24日金曜日

蟹のしょうばいー新美南吉

 ある時、蟹はいろいろ考えた挙句、とこやをはじめる決心をしました。ところが、自分より大きな生き物である狸から仕事を引き受けたところ、3日かかってしまいました。ですが、今度はその狸から自分よりはるかに大きいお父さんの毛も刈って欲しいと言われてしまいます。そこで、自分一人ではそれは大変なことだと考えた蟹は、自分の子供達みんなをとこやにしたのでした。こうして蟹という生き物は、手にハサミを持つようになったのです。

 この作品の特徴は、〈大人が自分たちが理解出来ていない、或いは出来ていても説明できない物事を子供たちの理解できる範囲で説明している〉というところにあります。

 私達が子供から質問を受けた時、しばしば困らされた、或いは自分が子供の頃に大人達を困らせてしまったことはないでしょうか。地球は何故存在するのか。どうして朝と夜があるのか。私達は何故5本の指を持っているのか……。これらの質問を子供たちは多くの場合、決して大人達をからかって聞いているのではなく、純粋な好奇心から聞いている事でしょう。ですから、子供の教育する立場である私達としては、そうした質問に誠実に答えてあげたいものです。しかし、子供達はしばしな私達ですら理解できていない事、説明出来ない事を聞いてくることがあります。
 そこで、私達にはどうしてもこの作品のような、現実とは違った世界観をもつことが必要となってきます。そして、こうした世界観は子供達への説明に一定の説得力を持たせる手助けとなるはずです。やがてこうした説明は子供達が自分自身で物事を考えられるようになるまで、考える土台として機能する事でしょう。

2012年8月21日火曜日

食堂ー森鴎外

 ある時、木村は役所の食堂に入り食事をとっているいると、上官と口ぶりが似ている男、犬塚に何らかの悪意があるかのように話しかけらます。犬塚は最近世間を騒がせている、無政府主義に興味を持っている様子。やがて彼らは、その後二人の話に間に入ってきた、山田という男と3人で無政府主義について話しはじめるのでした。

 この作品では、〈無政府主義に対するある知識〉が描かれています。

 この作品では、著者が登場人物である木村の口を借り、先生役として無政府主義の由来、及び歴史を紹介しています。そして、生徒として犬塚と山田が彼に話を促す役割を担っています。
 そして、こうした先生役と生徒役に分かれて、ある種の知識を登場人物たちが調べ読者に発表するという手法は、現在の漫画等の書物にも用いられています。ですが、一般的にそうした書物では先生役と生徒役はそれ以上の役割を持っておらず、人間模様も平面的なものになりがちではないでしょうか。
 ですが、この作品の場合はどうでしょうか。例えば、生徒役の犬塚は単純に木村に話を促すだけではなく、「君馬鹿に詳しいね」と何度か冷やかしています。そもそも犬塚という人物は、他の人々よりも立場が上らしく、食堂から特別に専用の弁当をつくってもらっているくらいです。そんな彼からしてみれば、自分より下の立場である木村が自分以上の知識を持っている事が面白くなかったのかもしれません。ですから、彼はあえて木村に無政府主義に関する知識を披露させる事で彼を冷やかしたとも考えられます。
 また木村は木村で犬塚との話に興が乗らないのか、話が終えると弁当箱を風呂敷に包んでさっさと出ていこうとしています。こうした行動は、あえて登場人物を退場させようとすることで、彼らが無政府主義に対する知識を語らせるという著者の意図とは別に、あくまで彼らの自由意志で話をしているように読者の私達は感じることでしょう。
 こうして著者は登場人物たちの人間模様に深みを持たせることで、無政府主義に対する知識を発表するという本来の目的とは別に、小説としての世界観をこの作品に持たせているのです。

2012年6月23日土曜日

赤い蝋燭ー新美南吉

ある時、里の方へ遊びにいった猿が一本の赤い蝋燭を拾い、山へかえってきました。ですが、猿は花火というものを多く見ていたわけではない為に、この蝋燭を花火だと思い込んで、他の動物達に話してしまいます。そして他の動物達も、この赤い蝋燭を花火として扱っていき、興味をもって覗いていました。ところが、蝋燭をすっかり花火だと思い込んでしまっている猿が、「危い危い。そんなに近よってはいけない。爆発するから」と言った為に、一同は蝋燭を恐れてしまいます。しかし、花火というものの美しさをどうしても見たい動物たちは、どうにかして蝋燭に火を灯そうと奮闘しはじめます。果たして彼らは無事、蝋燭に火を灯す事ができるのでしょうか。

 この作品では、〈蝋燭という未知の物に対して、好奇心と恐怖から右往左往する動物たち〉が描かれています。

 この作品に登場する動物たちは、蝋燭を拾ってきた猿から、2つの情報を与えられます。ひとつは、これは花火であり大きな音を出して飛び出し、美しく空に広がるということ。そしてもうひとつは、火をつける際爆発するので危険であるということです。この2つの漠然とした情報から、他の動物達は蝋燭の前で右往左往しなければならなくなっていきます。
 というのも、私達は当然花火というものに対して、どういうものなのか、またどうのように扱えば危険なのかをある程度の知識として持っているため正しく扱うことができます。しかし、この作品に登場する動物たちは花火に対して猿からの漠然とした情報しか持っておらず、具体的にどのように美しいのか、またどのように危険なのかを一切知りません。ですから彼らは、蝋燭に火をつけたものの、それを恐れるあまりかえってその火を見ようとはしなかったのです。

2012年6月21日木曜日

普請中(修正版)

ある時、日本の官吏である渡辺は普請中のホテルにて、あるドイツ人の女性を待っていました。その女性と渡辺とは、かつては男女の関係にあったようなのですが、彼は彼女に対してどういうわけかあまり興味を持てない様子。そしていざ女性がきても、渡辺のこうした態度は変わることはなく、やがて女性は彼のこうした冷たさに傷つけられていくのです。

 この作品では、〈ある男の女性に対する冷たさが淡々と描かれて〉います。

 この作品は、渡辺と女性との関係を中心に描かれています。かつてドイツの女性と付き合い、再会を果たそうとしている渡辺ですが、上記にもあるように、彼は自分でも驚くほどに「冷淡な心持」で彼女を待っていました。そしてこの態度は、彼女と実際に会ってみても変わることはありませんでした。
 一方の女性は、どこか渡辺との関係に対して期待している節があります。彼女は彼との話の最中に別の男の名前を出して嫉妬心を燃やそうとしたり、また「キスをして上げてもよくって」と甘い言葉で彼を誘惑しようとします。ですが、渡辺はこうした彼女の挑発や誘惑を冷たくあしらい続けます。そんな彼の態度に彼女は悔しさのあまり、「あなた少しも妬んではくださらないのね」と本音を吐露していまします。しかし、それでもやっぱり渡辺の態度は変わらず、彼女はそうした彼に傷つけられてその場を去っていってしまうのでした。

2012年6月8日金曜日

里芋の芽と不動の目ー森鴎外(未完成)

キーポイント
●里芋のより分けを手伝った増田と不動の目を焼いた兄の比較

兄は自分と対立するものを否定するが、増田は拘らなかった

結論にこだわっているか、結論にこだわっていないか
(己なんぞも西洋の学問をした。でも己は不動の目玉は焼かねえ。ぽつぽつ遣って行くのだ。)
(酸素や水素は液体にはならねえという。ならねえという間はその積りで遣っている。液体になっても別に驚きゃあしねえ。)

●お金に執着がない増田の性質
(金が何だ。会社は事業をするために金がいる。己はいらねえ。己達夫婦が飯を食って、餓鬼共の学校へ行く銭が出せれば好い。金を溜めるようなしみったれは江戸子じゃあねえ。)

2012年6月5日火曜日

飴だまー新美南吉

春のあたたかい日、わたし舟に2人の小さな子供を連れた女の旅人が乗っていました。やがてその舟には遅れて一人の侍が乗り込み、居眠りをはじめました。
 そして、しばらくすると2人の子供は飴を欲しがり、手を出してきました。ですが女は飴玉をひとつしか持っていません。しかしそんな事情などは知らずに、子供たちは出したてを引っ込めません。この儘では、眠っている侍が起きて怒ってしまう。そう考えた女は子供たちをどうにかなだめようします。しかし、子供たちはだだをこねるばかり。やがて子供たちの騒々しさに今まで眠っていた侍がとうとう目を覚まして刀を抜きはじめました。さて、一体親子の運命はどうなってしまうのでしょうか。

 この作品の特徴は、〈侍に悪い印象を持っていたが故に、かえってふとした親切がより良い印象となっていく読者の特性〉を生かしているというところにあります。

 その後、この侍は女の予想通り彼女達に斬りかかったのではなく、ひとつの飴玉を2つに分けてやります。そして、侍は再び眠りにつくという場面までが描かれています。ここまで作品を読んでみると、多くの読者はこの侍に対して強く、良い印象を持つことでしょう。ですが、私達は何故ほんのささやかな親切をしただけの侍に、強い印象を持ったのでしょうか。
 例えば、これが薬屋さんや百姓であったなら話は変わってくるはずです。恐らく女は妙な緊張感を抱くことはなかったでしょうし、そうなれば読者たる私達も、そのような親切に少しも関心をよせなかったでしょう。つまり私達が侍に対して強い印象を抱いているのは、彼が私たちの印象を悪いものから良いものへと大きく揺れ動かしたからに他なりません。侍が侍だったからこそ、私達は彼に強いを持っていったのです。

2012年6月3日日曜日

普請中ー森鴎外

文明開化の時代、ある時渡辺は、普請最中のホテルにてドイツ人らしき女性と再会を果たした様子。その中で、女性は渡辺に対して気のある素振りを見せていますが、渡辺の方はそれに一切応じません。そんな渡辺の様を見て女性もやがては諦め、新たな関係を築いていくのです。

 この作品では、〈一度別れた男女が、新たな関係を当時の時代と共に築いていく様〉が描かれています。

 この作品はタイトルの通り、日本が鎖国をやめて外国の文化を取り入れて立てなおしている頃に描かれています。そしてそれに合わせるかのように、この作品に登場する渡辺と女性の関係もまた、一度は壊れたものの、新たな関係を築いて行っている様子が描かれています。この2人の関係というものはまさに、当時の時代を象徴したものと言っても過言ではないでしょう。

2012年5月31日木曜日

センツアマニーマクシム・ゴルキイ(未完成)

◯あらすじ

 ある時カプリ島の波打ち際にて、一人の若い兵卒と年老いた漁師が話をしていました。彼らはどうやら色恋について話しているようで、漁師曰く現在の若者は女性をもっと大切にしていたというのです。しかし、これには若い兵卒は今も昔も同じ事だと言い全く納得していない様子。そこで彼はSenzamani と云ふ一族の人々の例を持ちだして、いかに彼らが現在の若者よりも女性を大切にしていたのかを兵卒に聞かせはじめました。
 一族の中のお金持ちであるカリアリスの息子、カルロネは貧乏な鍛冶屋の娘、ユリアに惚れていました。しかし様々な邪魔が入り、中々結婚までは至りませんでした。そこで、ユリアに好意をよせるもう一人の男、アリスチドはその隙を狙い彼女を奪おうとしました。彼は巧みに村の人々を騙し、あたかも自分がユリアと愛し合っているかのように思わせたのです。これにはユリアも憤慨し反論しましたが、アリスリドの話術の前では無力でした。そしてその事を聞いたカルロネは大勢の人の前で膝をつき、その後ユリアを左手で打ち、右の手でアリスチドの喉元を掴み怒りを露わにしました。
 その後、カルロネはユリアの為にアリスチドを殺し、彼女を打った左手を切り落として、この事件を清算します。

◯ヒントと思われる箇所
「だがな、色事をするにしても、昔の人のしたやうな事が、お前方に出来るか、どうだか、それはちよいと分からないな。」

「ふん。今から百年立つて見たら、お前方のする事も馬鹿に見えるだらうて。それはお前方のやうな人達が此世界に生きてゐたと云ふことを、人が覚えてゐてくれた上の話だが。」

2012年5月28日月曜日

不可説ーアンリ・ド・レニエエ(森鴎外訳)

ある時、「僕」はあることをきっかけに、自殺する決意をしたためた手紙を「愛する友」に送ります。そのあることとは、どうやら夫を持つある女性との交際が関係している様子。ところが、彼はそれについて悲観的な感情を一切抱いてはいません。加えて、その女性との関係は、単なるきっかけに過ぎないというのです。では、一体彼は何故自殺を心に決めていったのでしょうか。

 この作品では、〈理想を追い求めるあまり、かえって死というものに希望を抱かなければならなかった、ある男〉が描かれています。

 上記にもあるように、「僕」は夫をもつある女性に対して好意を抱いてしまいます。ですが、彼女の方は夫がいることを理由に彼の申し出を断り、代わりに「友達」でいようと提案しました。どうしても諦めきれない彼は、心のなかで彼女との将来像を描いていきます。ところがそうして描いた将来像でも、彼は彼女と一緒にいる場面が想像できない様子。そこで、彼はこうした自身の恋愛を含めた自分の理想により近づく手段として、自殺を選んだのです。何故なら、死後の世界では他人は関係なく、自分の思い通りの未来を描けるのですから。

2012年5月25日金曜日

杯ー森鴎外

ある夏の朝、12歳くらいの少女7人が水を飲むために鼓(つづみ)が滝の途中にある泉までやってきました。彼女たちは皆自然と書かれた大きな銀の杯を持っており、それに水を汲み飲んでいます。そこに彼女たちと別の、第8の少女がやって来ました。彼女もやはり杯を持っていましたが、彼女のそれは他の7人のものとは違い、小さく溶岩の冷めたような色をしていました。7人はこの少女を警戒し、第8の少女の杯を見ると、それを罵倒しはじめました。そして、少女の中の1人が自分の杯を使うように第8の少女に促します。ところが、彼女は7人が知らない言葉でそれを拒み、自分の杯で水を飲むのでした。

 この作品では〈敢えて相手に分からない言語を使うことで、自らの意思をより正確に伝えた、ある少女〉が描かれています。


 この作品は、泉に水を飲みにきた7人の少女とその少女たちとは別で泉にやってきた第8の少女とで成り立っています。はじめ7人の少女は第8の少女を警戒していました。そして7人は彼女の持っている杯が自分たちのそれよりも小さく、色が美しくない事を指摘することで、自分たちと少女との間におおきな隔たりをつくりました。やがて、7人の中の一人がそんな少女に同情し、自分の銀の杯を彼女に渡そうとします。こうする事で彼女は第8の少女を自分たちの仲間として受け入れようしたのです。ところが少女は沈んだ鋭いフランス語で、「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」とそれを強く拒みました。彼女はこうしてフランス語を使う事で、日本語を使った場合よりも更に強い拒否を示したのです。というのも、日本語であるなら7人にも反論の余地がありました。しかし彼女は7人が知らないフランス語を敢えて使うことで、一切の反論を許しませんでした。また、言語が分からずともその口調で自分の気持を示す事で、彼女は7人に想像の余地を与えました。こうして彼女は自分の表現を7人に考えさせる事で、彼女の気持ちそのものを考えさせたようとしたのです。結果、第8の少女は7人の少女達の知らない言語を使うことで、自分の気持をより正確に伝える事に成功したのでした。

2012年5月22日火曜日

木精ー森鴎外

フランツという少年はいつも同じ谷間に行って、「ハロルオ」と叫んで木精が返ってくることを楽しんでいました。ですが、彼は自身の成長と共にそうした習慣を失っていってしまいます。
 そしてフランツが父の手伝いができるような年頃になった時、彼は久しく例の谷間に行って木精を試してみます。ところが、木精はいつまでたっても返ってきません。そこで彼は「木精は死んだのだ」と考え、一度は村の方へ引き返しました。しかし、どうしても木精の事が気になるフランツは、もう一度谷間へと行ってみます。すると彼の見たことのない子供たちが、かつての彼と同じように木精を楽しんでいるではありませんか。そしてそうした子供たちの姿を見たフランツは、木精が死んでいなかった事に対して喜びを感じつつも、自分では叫ぶ事はしない事を心に決めていきます。

 この作品では、〈自分の木精が聞こえなくなった事により、自身の成長を感じている、ある青年〉が描かれています。

 そもそもフランツが木精に対して楽しさを感じていたのは、声が反射する事そのものではなく、声が返ってくるというごく当たり前の事が当たり前にできているということでした。ところが、彼は久し振りに木霊を楽しもうとしたところ、その当たり前だと思っていた事ができなくなっていました。そして、一体何故木精が聞こえなくなったのか不思議に思っている彼の前に、木精を楽しんでいる子供たちが登場します。やがて彼は子供たちを観察する中で、目の前の子供たちとかつてそこで木精を楽しんでいた自分とを重ねていきます。そして、現在の自分に戻った彼は、かつて子供たちのように木精を楽しんでいた頃の少年時代の自分と、父の手伝いをして大人としての準備をしている現在の自分の立場を比較していきます。そうして次第にフランツは、大人として成長している自分が目の前の子供たちのように木精を楽しむべきではないと考え、叫ばない決意を固めていったのです。

2012年5月21日月曜日

クサンチスーアルベエル・サマン(森鴎外訳)

この作品は、著者のある妄想が舞台となっています。ルイ15世時代につくられたグラナダ人形であるクサンチスは、その美貌で他のあらゆる男性人形達を魅了し、楽しい日々を過ごしていました。ところがある時、彼女はその時好意を寄せていたブロンズ製の人形であるフアウヌスに、別の人形と戯れているところを目撃されて、怒り狂った彼によって砕かれてしまいます。では、この作品では一体どのような教訓があるのでしょうか。

この作品では、〈現実世界の有様を鋭く捉えている、著者の妄想〉が描かれています。

どうやら著者は本文でも断っているとおり、この作品に対して予め誰もが感心するような教訓や金言を用意して書いていたわけではありません。寧ろ、著者の遊びをその儘作品として発表しているだけに過ぎないのです。
ですがそれにも拘らず、クサンチスを中心としたこの作品の登場人物たちは、あたかも近代の上流貴族のような、複雑な設定と人生背景を持っています。一体何故、彼は単なる妄想をここまでリアリティある作品として発表できたのでしょうか。それは、彼が現実の世界と向きあう中で、同時に自分の妄想を育んできたのでしょう。というのも、私達は別の世界の出来事であると考えている神話や妄想を何もゼロから思い描いた、或いは頭の中からポンと閃いた訳ではありません。神が人間の形をしているように、また龍がトカゲの形をしているように、私達は現実の世界の物質を一度頭の中で取り入れて、それを別世界の骨組みとして用いています。更に、現実の世界の認識が深ければ想像の世界の出来事もより深いものへとなっていくはずです。これは、思いつきで書かれたライトノベルのSFよろも、独学でもよく研究されている作者が書いたSF小説の方がリアリティがあることからも理解できます。
そしてこの作品の場合も、著者は現実世界の人間の生活をよく観察し、上流階級の人々の暮らしぶりを人形にうつす事で、よりリアルで生々しい関係を描いています。ですから、著者の作品は単なる妄想がこうしてひとつの作品として発表されるまでのものになっているのです。

2012年5月18日金曜日

辻馬車ーモルナールフィレンツ(森鴎外役)

ある貴夫人と男とは、10年ぶりの再会を果たします。2人は再会の喜びを分かち合った後、貴夫人は男に対して、ある内緒話を聞かせはじめました。それは男が彼女に対して抱いていた恋心に関して、彼女自身がどう思っていたか、というものでした。さて、これを聞いた彼はどう思い、これを聞かせた貴夫人はどう考えているのでしょうか。

 この作品では、〈相手の事を思い気を使うあまり、かえって自分が傷つかなければならなかった、ある男〉が描かれています。


 上記にある、内緒話の具体的な内容とは、10年前、男は貴夫人を家まで送ろうと思い1頭曳の辻馬車を用意した事に対し、彼女がどう思っていたのか、というものでした。というのも、彼女は当時男の事を多少は思っていたものの、1頭曳の辻馬車を用意した事に不満を持っていました。彼女の話では、1頭曳の辻馬車では者を言ったって聞こえづらいので、2頭曳を用意しなければならなかったのです。これを聞いた男は、「そうか、あの時のあれは良くないのだ」と後悔しはじめます。そして、そこから彼は10年前の彼女に対する気持ちを思い起こし、恐らく彼女も同じ気持ちになってしまっているのではないかと考えた男は、敢えて一頭曳の辻馬車を用意することで相手の自分に対する気持ちを追い払ってあげようとします。ところがそんな彼の気遣いから一切を知った貴夫人は、「あら、それは余計な御会釈はございますわ。」と、男の提案を断り、男に対する気持ちは全くない事を彼に伝えます。こうして、己の気遣いから彼女の気持ちを知った男は、暗い気持ちで2頭曳の辻馬車を用意しだすのでした。

2012年5月14日月曜日

一人舞台ーストリンドベルヒ(森鴎外訳)

ある婦人珈琲店に夫なき女優、乙が麦酒を飲んでいました。そこに夫ある女優甲が入ってきました。そして甲は入って来るやいなや、乙に自分の喋りたいことを次々と話して聞かせます。一方、乙は甲の事を無視はしていないものの、口を開く機会を得られずじっと黙っている様子。この為やがて甲は乙に対して、ある決め付けをしてしまうのです。

 この作品では、〈相手への疑いが強いあまり、他人の話を聞かなくなっていってしまった、ある女〉が描かれています。

 この作品は一見すれば理解できる通り、一方的に話している甲と、甲と乙の2人の細かな仕草や表情が書かれている括弧書きで物語は成り立っています。その甲の話と彼女たちの反応を見てゆくと、どうやら乙ははじめ、甲の事をあまり相手にはしていませんでした。しかし甲の話が進むにつれて、徐々に彼女も感情的になっていき、やがては口を開きかけるまでに至ります。
 一方の甲は、乙の反応を見て話している様子はありません。甲はどうやら自分の話を乙が熱心に聞いていようがいまいが、構わず彼女に話しかけているのです。そして、甲は乙に対してどうやらはじめからある疑いをもって話している節があります。それは、乙は自分の夫に対して気があるのではないか、ということです。更に不思議な事に甲のこの疑いは乙が全く話していないにも拘らず、甲はその疑いをそうに違いないと言い切っています。一体何故甲は乙の言い分なしに、その疑いを強めていったのでしょうか。そもそも甲にとって、乙の言い分などはあってもなくても良かったのです。ただ、乙がその場にいることが重要だったのです。というのも、甲ははじめから自分の疑いをなんの根拠もなしに信じきっているものの、一応は乙に確認する必要性をある程度感じてはいたのでしょう。もしこの話を甲の中だけに留めておいたのであれば、それは甲の頭の中だけでの出来事であり、現実とは違っているかもしれないのですから。ところが、甲が乙の話を聞く必要性を感じていたかどうかは別の話なのです。事実甲は一切乙の話を聞かずに結論を出してしまったのですから。つまり甲の中では、自分の予測があたっていようがいまいが、それを現実の対象である相手にぶつけるだけで現実の出来事になってしまっているのです。甲にとって他人とはまさに、自分がつくりあげた台本を現実のものにするための、ひとつの装置でしかなかったのです。

2012年5月10日木曜日

白ーリルケ(森鴎外訳)

死期が近いであろう弟の見舞いの為、保険会社の役人であるテオドル・フィンクはニッツアへと向かっていました。その途中、彼はひょんな事からある若い女性と話をはじめます。しかし、彼は次第にその女性がこわくなり、その場を去ってしまいました。一体彼は彼女のどういったところがおそろしかったのでしょうか。

 この作品では、〈病気をおそれるあまり、病人の気持ちを知りたくはなかった、ある男〉が描かれています。

 この作品に登場するフィンクという男は、もともと病気である弟のことを可哀想とは思っていましたが、それと同時に親しみ難く、気味の悪い存在だと考えています。ここから彼は健常者である自分と病気である弟とは、別々の世界観を持って暮らしていると考えているということが理解できます。ですが、彼のこうした考えは、病気の弟に同情しているあたり、病人をおそれているところからではなく、病気を恐れているところからきているのでしょう。
 しかしフィンクは道中で出会ったある女性に、上記の考えを揺るがされることとなるのです。その女性は彼との会話の中で、自分の家での生活のことを彼に話して聞かせました。ですが彼は、彼女の話を執拗に遮ろうとしています。恐らく、彼はそうして話を聞くことで、病気の人々の気持ちを知りたくはなかったのでしょう。知ってしまう事によって、彼は自身が恐れている病気をより身近なものと捉えなければならないのですから。ですから彼は、彼女をおそれ、その話に対して「どうも己には分からない、どうも己にはわからない」といい続けなければならなかったのです。

2012年5月7日月曜日

牛鍋ー森鴎外

ある食卓で1人の男と女、そして7つか8つの、男の死んだ友達の子供(以下少女)が牛鍋を囲んでいました。その時男が黙々と肉を食べている最中、少女も肉に箸をつけようとします。ところが男は少女に対して、「待ちねぇ。そりゃあまだにえていねえ。」と言って、なかなか肉を食べさせようとはしません。ですがどうしても肉を食べたい少女は、どの肉もよく煮えだした頃に、少し煮えすぎたものや小さいものを口に運んでいきます。そしてそんな少女の姿を見て、男はとうとう箸をとめてしまうのでした。

 この作品では、〈他人の子供であるにも拘らず、少女にある優しさを見せる、ある男〉が描かれています。

 この作品は上記にあるように、他人として互いに少女と肉を巡って争っていた男が、少女の必死で肉を食べようとする姿に憐れみを感じて、やがて争う事をやめるところまでが描かれています。
 そして著者はこうした男の姿と親子で餌を奪い合う猿の親子の姿を比較することで、この男の行動から人間としての特殊な部分を引き出そうとしています。というのも、著者はこうした餌を巡る争いと譲り合いは猿等の世界にも存在しているものの、人間のそれは動物のそれよりも一線を画していると考えているようです。では、動物と人間ではどこがどのように違うのでしょうか。
 まず、著者が着眼した箇所は動物は親子でなら食べ物の争いを無闇にはせず、多少自分の食べたいという欲求を抑えて子供に餌を分けることもありますが、人間の場合は他人という、もっと広い範囲でそうした譲り合いが起こっているというところです。では、何故人間は動物よりも、より広い範囲で他人の為に自分の欲求を抑えることができるのでしょうか。それは、ひとつには人間には動物よりも複雑なコミュニケーション能力を持っており、それを使う範囲が動物よりも遥かに広いという事が関係しているのでしょう。というのも、動物の場合も人間の場合も声を出して他人になんらかの情報を発信することが出来ますが、その表現の幅は人間の方が明らかに広いのです。動物は「逃げろ」や「餌がある」など単純な事は説明できますが、その理由などは説明できません。一方、人間は動物よりも遥かに複雑な「言葉」を用いて現在の自分の状況やある場所での出来事を細かに説明できます。また、その活用の範囲においても、動物は餌の事や天敵の存在の事など、使う状況は限られていますが、人間の場合は特にそうした生命に関わる事でなくとも、互いに自分たちの近況を話していることだって頻繁にあります。ですから、人間は自分の状況や状態を動物よりもより細かに伝える事ができ、そうした情報を得る機会も多いのです。更にそうして集めた状況を私達は自分たちの頭の中で想像し、鮮明に描こうとします。そして、こうした情報のやり取りと想像が私達に他人への同情の心を与え、他人に対して優しさをおこすのです。

2012年5月5日土曜日

寒山拾得ー森鴎外

閭丘胤(りょきゅういん)という官吏は、ある時仕事で任地へ旅立とうとしていましたが、こらえきれぬほどの頭痛が起こり仕事を延期しなくてはいけない危機に陥っていました。ですが、そんな彼のもとに豊干(ぶかん)と名乗る乞食坊主が彼の頭痛を治すため、どこからともなくやってきました。閭はその申し出を受けることにして、彼から咒い(まじない)を施してもらいます。すると、なんとあれ程気になっていた彼の頭の痛みは、豊干の咒いによって消えてしまったというではありませんか。
 そして豊干をすっかり気に入ってしまった閭は、仕事で台州(豊干のやってきた土地)に行くのだが、誰か偉い人はいないかと彼に問います。すると彼は「国清寺に拾得(じっとく)と申すものがおります。実は普賢(菩薩)でございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟があって、そこに寒山と申すものがおります。実は文殊(菩薩)でございます。」と答えてその場を去っていきます。これを鵜呑みにした閭は彼ら2人を探す為、台州へと向かいます。
 しかし実はこの2人の正体は、やはり菩薩などではなくただの下僧だったのです。ですが、豊干の言ったことを信じきってしまっている閭は、結局彼らの前で丁寧に挨拶をしたばかりに、下僧に笑われ恥をかいてしまいます。

 この作品では、〈自分よりも信仰心の強い相手を尊敬するあまり、かえって信仰を外れてしまった、ある官吏〉が描かれています。

 この作品での閭の失敗は、言うまでもなく豊干のいう事をその儘鵜呑みにしてしまったというところにあります。では、何故彼は豊干の言うことを鵜呑みにしてしまったのかを、一度考えてみましょう。そもそも閭は豊干のことをあまり信用してはいませんでしたが、自身の悩みの種である頭痛をいともたやすく治したことで尊敬の念を抱いていきます。この尊敬というのは、彼が坊主であり日々の仏道修行によって磨いたであろう咒いによって彼の頭痛を治した事から、信仰の面から起こっているのでしょう。しかし閭は信仰心というものをそれなりには持っているものの、豊干の咒いは彼のそれを遥かに超えており、正しくはかることは出来ませんでした。そこで彼は、自分より強い信仰心を持っているであろう豊干の言葉をまるっきり信じることにしたのです。
 ですが、閭よりも強い信仰心を持っているからと言って、豊干が常に正しい行動をしているとは限りません。例えば、一般的に親は子供よりも知識は豊富にありますが、童話「裸の王様」のように大人が間違っており、子供が正しい場合だってあるではありませんか。しかし閭の場合、そうした考えに至らなかったのは、豊干の言葉をその儘採用することで自分で考えることをやめてしまったというところにあります。まさに、閭の信仰心が彼の考える力を奪ってしまい、結果的に恥をかかなければならなかったのです。

2012年5月1日火曜日

女の決闘ーオイレンベルク(森鴎外訳)

とある女房は、ある時夫をあるロシア医科大学の女学生に奪われた事をきっかけに、拳銃を用いた決闘を申し込みます。その死闘の挙句、女房はその女学生を射殺し復讐を遂げることが出来ました。ですが、彼女はその女学生の後を追うように自らの命を絶ってしまいます。一体女房は何故死ななければならなかったのでしょうか。

 この作品では、〈夫との関係を守ろうとして自分の命を投げ出すあまり、かえって関係を壊してしまった、ある女房〉が描かれています。

 上記の疑問を解くにあたって、何故女房は決闘を行わなければならなかったのか、というところから考えていきましょう。彼女は夫の不倫を知った時、その怒りの矛先を彼にではなく、相手の女学生に向けています。この時、女房は女学生に「侮辱」されたと考えているようです。恐らく、これは自分の知らないところで密かに愛する夫を奪われたという思いからきているのでしょう。そして侮辱された儘では気が済まない彼女は、堂々としたした形で夫を奪い合う事で自分の名誉を保とう考え、決闘への決意を固めていったのです。
 ところが、その結果は女房の予期せぬ方向に向かってしまいます。もともと彼女の計画では、その決闘で女学生に殺されて、夫との関係を明け渡す覚悟でいました。ところが女学生は死に、女房は生き残りました。ここが彼女にとって悲劇のはじまりだったのです。生き残った彼女は、はじめは女学生を殺した喜びに浸りきっていました。しかし、徐々に冷静さを取り戻していくにつれて、ある不安が彼女の脳裏をよぎり出します。それは、果たして人を殺してしまった自分が、夫や子供の前で人を殺す前のように振る舞えるのか、ということです。彼女の出した結論は否でした。彼女は人を殺した罪悪から、どうしても夫や子供の前で自然に振る舞う自分が想像できず、その代わりにそれまでの関係が壊れていく様を思い描かずにはいられなくなっていきます。その結果、彼女は夫の傍に帰る事なく自殺を心に決めていったのです。

2012年4月29日日曜日

田舎ーマルセル・プレヴォー(森鴎外訳)

脚本作家であるピエエル・オオビュナンはかつて自分が恋をしていた田舎の女性、マドレエヌ・スウルディエ(現在は結婚していてジネストとなっている)からある1通の手紙を受け取ります。その内容とは、夫が他の女性と関係を持っており離婚したいと考えている。しかし、自身の体裁を考えると周りの人々に知られたくなく、途方に暮れているので相談に乗って欲しい。一度うちに来てはくれないか、というものでした。ですがピエエルはこの手紙から、マドレエヌが自分と不倫して夫に復習したいという気持ちがある事を感じ取り、一人の男としての好奇心からではなく、作家としての好奇心から彼女のもとを尋ねる事を決心します。
 しかしその当日、ピエエルは彼女のもとを尋ねたにも拘らず、散々待たされた挙句、その家の下女からマドレエヌは彼に会う事が出来ないと伝えられてしまいます。
 そしてその後日、ピエエルは彼女から再び手紙を受け取る事になるのです。さて、そこには一体どのような事が書かれていたのでしょうか。

 この作品では、〈相手を思う気持ちが強いあまり、かえってその相手と二度と出会えなくなってしまった、ある女性〉が描かれています。

 第2通目手紙の内容に触れる前に、一度ピエエルが第1通目の手紙を受け取った時、彼は何を考えた上でマドレエヌのもとに行くことを決心したのかを整理してみましょう。一通目を受け取った時、彼は彼女が何故自分にそのような手紙を書いたのかを考えてみることにします。そして彼は、マドレエヌは現在39歳であり40歳が目前に控えている年齢であるから、その前に彼女にとって6歳も若い自分と遊んでおきたかったのではないか、恐らく夫への復讐心もそうしたところからきているのだろう、という考えに至ります。そして次に、彼は彼女のそうした淫らな気持ちを想像した上で、自分はどういう決断をすべきかを考えはじめす。やがてピエエルは自分にこうした経験がないことから、これは脚本のネタになるのではないかと考えはじめ、興味を引かれていったのです。
 ですが、いざそうしてマドレエヌのもと訪ねても、彼女は彼のもとには現れませんでした。その変わりに、彼は彼女から2通目の手紙を受け取ったのです。そして、そこには彼女の旨のうちがありありと書かれていいました。
 そもそも彼女は一部でピエエルが指摘している通り、彼に会いたいが為に一通目の手紙を送りました。ですが、彼が彼女の家を訪れ待っている姿を隠れて垣間見た時、彼女は自分が考えていた以上に彼に好意を抱いていたことを理解します。しかし田舎の女である彼女は、結婚と恋愛を分けて考える事がどうしても出来ません。つまり結婚して夫がいる彼女にとって、ピエエルと交際することは不実なものに他ならないのです。またそうかと言って、ピエエルが自分に本気になり結婚するとも、考えられません。例え交際をしても、本気にならない彼が彼女に飽きてしまうのは目に見えています。そこで彼女は、ピエエルに対する自分の気持を優先すべく、二度と彼に会わない事を心に決めていったのです。

2012年4月27日金曜日

カズイスチカー森鴎外

この作品は医学の道を志す青年、花房が学校を卒業する前に医者である父のもとで代診の真似事をしていた頃を中心に描かれています。その中で、彼らは病気に関して対照的な考え方をもっているようですが、それはどのようなものだったのでしょうか。

 それは、〈父は病気に熱心になるが故に患者を物質として見ており、息子は病気に熱心になれないが故に患者を人間として見ている〉ということです。

 というのも、父は長年人間の病気というものを治療することを生業にしているだけに、病気に対する向き合い方も真剣そのものでした。また、そうした病気への向き合い方は日々の生活の中にも表れており、盆栽をいじっている時も、茶をすすっている時も同じ態度でいたのです。しかし、彼は人間の病気を熱心にみるあまり、人間の事に関しては無頓着なところがありました。例えば、顎が外れて困っている青年やそのお上をよそに、彼は息子に病気のことばかり質問し、患者に同情している気配すら感じさせませんでした。
 一方、息子である花房は医学の道を志してはいるものの、その先は漠然としており、父のようにどうしても病気に対して熱心にはなれませんでした。ですが、その代わりに彼は父のように人間に無頓着にならず、患者を人間として扱うことができました。
 さて、上記にあるこの彼ら2人の違いは、その職業にどれだけ熱心に、どれだけの年数関わってきたのかというところからきています。即ち、父は一人前の医者でしたが、それ故に患者を人間としては扱うことが困難になっていき、花房は医者としてまだ未熟ではあったが、それ故に患者を人間として扱うことが出来たのです。

2012年4月24日火曜日

あそびー森鴎外(未完成)

◯ヒントー木村の遊びとは

仕事の重大さを自覚しており、笑談とは考えていない
しかし、他人から見れは笑談に見える
それは彼が、仕事をあそびの感覚で楽しんでいるからである

◯不明な点
笑談とあそびの区別
木村のあそびの具体的な内容(単なる空想の事を指しているのか否か)

2012年4月21日土曜日

極楽ー菊池寛

染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母「おかん」は、文化二年二月二十三日六十六歳で突然亡くなってしまいます。彼女は死後、生前夢にまで見ていた極楽へと辿りつき、死に別れた夫、宗兵衛とも再会を果たしたのです。そしておかんは暫く極楽の生活を漫喫していましたが、次第に飽きてしまい、やがてまだ見ぬ地獄へ憧れを抱いていくようになっていきます。

 この作品では、〈極楽に行くという夢を達成したが故に、かえって地獄に憧れをいだいてしまった、ある老母〉が描かれています。

 はじめおかんにとって極楽に行くということは上記にもあるように、夢でありました。そして彼女は、その夢へと向かうため、生前は強い信心をもって生活してきたのです。反対に地獄行くことは彼女の夢に向かって進んできた上での失敗、つまり自分の信心が偽りであったことを意味していました。そして彼女は死後、極楽か地獄かに行くことになり、これまでの自分の信心を試されることとなります。結果、彼女はその強い信心で極楽へと辿りつきます。
 ですが物語の終盤ではその極楽にも飽きてしまい、その挙句に地獄での様子を思い描いています。一体、何故おかんは自分が失敗の末に辿りつくと考えていた、地獄に対して憧れを抱くようになってしまったのでしょうか。
 それは、極楽に行くという目的を果たしてしまったからに他なりません。恐らく、彼女はそこに至る強い信心を持つために様々な形で、自分や自分の周りを変えていったのでしょう。例えば、自分の信心に対して疑いを持つこともあったはずです。周囲の人々から、自分の信心を批判されたことがあるかもしれません。彼女はそうした葛藤や苦難の末、自分の信心をより強く「変化」させ、或いは他の人々に信心の素晴らしさを訴えて、その人の心を「変化」させてきたのです。ところが、極楽に着き自分の信心が正しかったことが証明されると、彼女の身の周りからはそうした変化は徐々に失われていきました。真新しかった景色や最愛の夫との感動も徐々に薄れていき、やがては飽きてしまいます。やがて彼女は次なる「変化」を追い求めて、自分が行くかもしれなかったまだ見ぬ、地獄という場所に興味を持ちはじめ、憧れを抱くようになっていったのです。

2012年4月19日木曜日

三浦右衛門の最後ー菊池寛

豪奢遊蕩の中心であり、義元恩顧(よしもとおんこ)の忠臣を続々と退転させたと噂されていた「三浦右衛門」は、戦場で自身の命の危機を感じた為に、君主を捨ててその場から逃げてしまいます。その後、彼はかつて自分が数々の好意を与えた人物、「天野刑部」(あまのぎょうぶ)を頼って、高天神の城へと向かいました。ですが刑部は右衛門が仕えていた氏元が死んだことを知ると、氏元の敵方であった織田勢に好意を示すために、彼を殺すことにしました。
しかし、命を惜しんだ右衛門は必死で形部にそれを訴え、彼のいうことはなんでも聞きました。一方形部は、こうした右衛門の命を惜しむ姿がどうにも滑稽でならない様子。やがて、右衛門の訴えも虚しく、彼は形部に弄ばれ、形部や彼の武士たちの笑いものになりながら死んでいってしまいました。

この作品では、〈自分の命を大切にするが故に、戦の時代を生きた人々に蔑まれなければならなかった、ある人間〉が描かれています。

この物語は言うまでもなく、主人公である三浦右衛門が死んだところで終わっていますが、その最後の箇所で、著者は次のような事を述べています。「自分は、浅井了意の犬張子を読んで三浦右衛門の最後を知った時、初めて“There is also a man.”の感に堪えなかった。」彼はここで、人々に笑われながらも命を惜しんだ右衛門こそが、彼を笑った人々よりも人間らしいと述べているのです。一体それはどういうことなのでしょうか。
そもそも右衛門の命乞いを笑っていた人々は、何故彼はそこまで命を惜しんでいるのか、全く理解していませんでした。彼らが生きた時代では、命というものは現代を生きる私達の価値観とは違い、それ程尊いものではなかったのです。寧ろ、命をいかに安く見せて死ぬか、ということの方が問題だったのです。
そんな中、右衛門は決して自分の命を安く見積りませんでした。彼は何に変えても自分の命を第一と考え、惜しんできたのです。
ではこの2つの考え方を比較した時、命の尊さというものが分からず、見栄を張って死んでいく人々と、命を惜しんで見苦しく生きている右衛門、果たしてどちらが人間らしいと言えるのでしょうか。そこが著者が右衛門を当時の武士たちよりも人間らしいと述べている所以なのです。

2012年4月16日月曜日

若杉裁判長ー菊池寛

刑事部の裁判長をしている「若杉浩三」は、罪人に対して強い同情心を持っていました。その為に若杉は罪人たちをなかなか憎めず、彼らの動機を聞いて汲み取っては寛大な処置を常に施していました。
ところが自分の家に強盗が押し入ったことで、妻や子供たち、そして若杉自身の心に大きな傷負ったことをきっかけにそんな彼の思想は大きく変わってしまいます。そしてある時、彼は悪戯心で富豪の家の門に癇癪玉を投げ入れた少年の裁判で、禁錮1年という普段の彼らしからぬ判決を言いわたし、その場を後にしました。

この作品では、〈罪を憎むあまり、かえって罪人を許せなくなっていった、ある裁判長〉が描かれています。

若杉は別に罪を憎んでいない訳ではありません。寧ろ、ある警官が自分だけ罪人を捕まえず手ぶらで帰る気まずさから、またまた反抗してきた青年を捕まえて警察署に送る場面を見て、憤る程の正義感は持っていました。ただ彼は罪人そのものに対しては強い同情心をもっており、厳しい判決を言いわたすことは出来なかったのでしょう。そこで彼は、文中の「この少年の犯罪は、これ少年自身の罪にあらずして、社会の罪である。」という箇所からも理解できるように、罪人と罪そのものを切り離して、罪そのもの(罪人が犯行に至った原因)を憎むことにしたのです。
ですが、若杉は自身の家が強盗に襲われた事でこの考え方を一変させます。金品は盗まれなかったものの、彼は犯罪者に襲われる恐怖を知り、罪人と罪とが切っても切り離せない関係にあることを身をもって理解しはじめます。そして次第に彼は罪人と罪を切り離すという考え方をやめ、罪人と罪、両方を憎むようになっていったのです。

2012年4月13日金曜日

屋上の狂人(修正版2)

身体に障害を持っている狂人、「勝島義太郎」は毎日屋根の上にのぼり、雲を眺めていました。彼曰く、そこには金毘羅さんの天狗が住んでおり、天女と踊っていると言うのです。この義太郎の狂人的な性質に、「彼の父」は日頃から手を焼いていました。そこで彼は、近所の「藤作」が「よく祈祷が効く巫女」がいるという話をもちかけた事をきっかけに、早速その巫女に祈祷を依頼します。そして彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の身体にのりうつり、「この家の長男には鷹の城山の狐が懸いておる。樹の枝に吊して置いて青松葉で燻べてやれ。」というお告げを彼らに残しました。そこで父らは気は進まないものの、神のお告げならばと義太郎に火の煙を近づけます。そんな中、義太郎の弟である「末次郎」がたまたま家に帰ってきました。彼は父から事の次第を聞くと憤慨し、松葉の火を踏み消してしまいます。そして事の発端である父を諭し、巫女をその場から追い払いました。その後、弟に救われた兄は何事もなかったかのように、屋根にのぼりはじめます。そんな兄を弟は労り、2人で同じ夕日を眺めるのでした。

この作品では、〈狂人であるあまり、かえって不狂人以上の信仰をもっている、ある男〉が描かれています。

この物語は義太郎の家族がそれぞれの意味で使っている、「神」という言葉を軸に話が進んでいます。ですから一度、各々が考えている言葉が指しているものはどういうものか、一度整理してみましょう。
まず兄の義太郎ですが、彼の考えている「神」とは雲の中の金毘羅さんの事を指しています。それは彼にとって絶対的なものであり、何をさしおいても優先すべき対象なのです。
一方、彼の父を含めた家族の「神」とは、彼以上に曖昧なものでした。その事は、巫女が自らお金を稼ぐため自らの祈祷によってつくりあげた、「偽りの神」にまんまと騙された事からも理解できます。また、彼らが祈祷によって騙されたという経験は、弟の「またこんなばかなことをするんですか」という台詞からも理解できるように、この一度だけではなさそうです。つまり、父たちにとって「神」の存在はどうでもよかったのです。ただ兄の狂人的な性質をなおしたいが為にすがっただけの、言わば手段のひとつでしかなかったのです。ですから彼らはその信仰心の無さから、これまでにも形は変えながらも人々がつくりあげてきた「偽りの神」に騙され続けてきたのです。
そして、こうした兄とその他の家族を傍にいながら冷静に比較している人物がいます。それが弟の末次郎その人です。というのも、彼は物語のラストで兄と夕日を眺めている際、「不狂人の悲哀」を感じています。これはどういうものなのでしょうか。その時の彼の頭の中には、理不尽に火を燻べられながらも、騒動が終わるとまたすぐに屋根にのぼった兄の姿が印象的に残っています。そこから彼は、巫女に騙さたとは言え常軌を逸した行動をとった父たちと、狂人とは言え自らの信仰心によって屋根にのぼっている兄、果たしてどちらが本当の意味で狂人なのだろうと考えていったのでしょう。ですがその一方で、そうした兄の不狂人以上の信仰心という一面を知った末次郎は、その時、兄との絆を同じ夕日を見ることでその絆を一層強いものにしてもいるのです。

2012年4月10日火曜日

無名作家の日記ー菊池寛

文学を志す青年、「俺」は同じく文壇への野望を抱いている「山野」や「桑田」らの天分への嫉妬から、また彼らから直接的に受ける圧迫から、東京を離れ京都へと移り住んで日々精進していました。ですが、「俺」がどうにかして山野達に追いつこうと四苦八苦している一方、その山野達は自分たちの雑誌をつくり、文壇へ出ていきます。こうした現実に「俺」は彼らに対して嫉妬を感じ、一人取り残される淋しさに耐えられなくなっていきます。しかし次第に彼はそうした感情を失い、やがては自分から文学への道を諦めていってしまうのです。

この作品では、〈友人たちが文壇に名をあげていき、自分だけが取り残されることに淋しさと不安を感じるあまり、かえって文学の道を捨てなければならなかった、ある男〉が描かれています。

この作品の主人公である「俺」は、日頃から自分には「将来作家としてやっていくだけの天分があるのかという不安」、「文壇へ出れないことへの淋しさ」を感じていました。ですがその一方で同じく文学の道を志し、彼が仲間意識をよせている山野や桑田らの「誰か一人有名になれば、もうしめたものだ、そいつが、残りの者を順番に引き立てていけばいいんだ」という強い言葉、姿勢からそれらを拭い去り、安心を得ていました。しかし、こう語る彼らの方では「俺」の存在を軽く見ており、自分たちとは才能という点において大きな隔たりがあると考えています。また彼らのこうした考えは頭の中だけには留まらず、彼らの「俺」に対する態度にも表れていました。その為、彼は日頃からある不安、淋しさを一層強くしていったことでしょう。
そこで彼は、一旦山野達のもとを離れ、京都で創作活動をすることを決意します。京都で活動し続ける中で、「俺」はかつて天才と激賞されながらも未だ文壇に出ていない吉野、150枚の長編を短編と称しマイペースに夢へと進む杉田と知り合います。また、この時点では彼ら山野達は文壇に進出しておらず、文学の道を志しているという点では同じ立場にいました。ですから「俺」はこの2人に対して尊敬する点をそれぞれに見つけ出し、山野達から得られなくなった安心感を代わりに彼らから得ることにしました。
ですが、こうした彼らから得る安心感というものは、やがて脆く崩れ去ってしまいます。山野達が文壇へ徐々に進出していく一方で、吉野は彼らを批判するばかりで文芸雑誌に彼の作品が載ることはありませんし、杉田は杉田で知り合いの有名作家がいつかは自分の作品を雑誌に載せてくれるはずだと夢想を描くばかり。こうして山野達が吉野達との実力を明らかにしていくにつれて、「俺」は吉野達の言葉への信頼を失っていくのです。そして彼自身もまた、ある時を境に山野と自分の立場の違いを見せつけられることになります。それは山野が書いた、「俺」の作品を出来が良ければ自分たちの雑誌に載せたいという旨の手紙を彼が受け取ったことがきっかけとなります。実はこれは山野の「俺」の作品を読んでひとつ嘲笑しようという罠であり、彼は見事に引っかかってしまいます。
こうして立場の違いを見せつけられた「俺」は一層の淋しさ、不安を感じたに違いありません。不安と淋しさにとり憑かれた彼は、どうにかしてこれらを払拭したいところ。そこで彼は、偉人であるアナトール・フランスの下記の言葉を借りて、自らのそれまでの考え方を一転させます。

太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいる蚯蚓は、案外生き延びるかも知れない。そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻は蚯蚓にわらわれるかも知れない

つまり、彼の主張では幾ら作品を書き続けたところで、人間が滅んでしまえば芸術などは意味のないものであり、価値のないものである。従って作品を書くことは無意味なものであり、山野らの作品もその例外ではない、と考えていくようになっていきます。こう結論付けることで「俺」は不安の原因であった作家への夢を捨てて、山野達との立場の違いを自分のレベルにまで引き下げて、淋しさを払拭していったのです。

2012年4月9日月曜日

奉行と人相学ー菊池寛

大岡越前守は江戸町奉行になったばかりの頃、人相学に興味を持っており、旗本の侍で人相学を勉強している、山中佐膳からそれを勉強していました。やがて彼は山中からその知識を全て習得しましたが、自身の人相によって先入観をつくることを恐れるあまり、自身の職務で咎人と面会する時それを用いようとはせず、あくまで参考までにしておこうと考えていました。
そんなある時、大岡は義賊と噂される盗人、木鼠長吉(きねずみちょうきち)の罪科の決断を下すこととなりました。大岡は金持ちからお金を盗み、貧しい人々をにそれを与えるという長吉の噂から彼に同情し、罪を軽くしてやろうと考えていました。しかし、この彼の決断は長吉と直接会った事で再び揺れ動くことになります。というのも、彼は長吉の人相が越前の考えた陰徳の相の1つに、あまりにもぴったりと当てはまっていたのです。そこから彼は、長吉を真人間にしてやろうと考え、笞刑(ムチ打ちなどの、当時としては軽い刑)という決断を下しました。
しかし当の長吉は改心せず、すぐに盗賊稼業をはじめ、前以上の金額を盗み再び捕まってしまいます。これには流石の大岡も彼を一度軽い刑に処した手前、今度は極刑を言いわたさねばと将軍にその旨を書いた書類を提出し許可を求めました。ところが、将軍は認めのサインを書くことを忘れたらしく、長吉の書類のみ主筆がありませんでした。ですが、再度提出することは将軍に対して無礼にあたり、更に長吉の人相から陰徳の相が出いていた事から、もう一度彼を許す事にしました。しかし、二度長吉に軽い刑を言い渡した大岡はその後、実は自分の決断は実は彼を甘やかしているのではないのかと考えずにはいられなくなっていきます。

この作品では、〈自身の人相学が当たった事が嬉しいあまり、かえってその相手の人格を見誤ってしまった、ある奉行〉が描かれています。

上記にもあるように、長吉を一見した大岡は、自身が考えていた「顔色ハ白黒ヲ問ハズ眼中涼シクシテ、憂色ヲフクミ左頬ニヱクボアリ、アゴヤヤ長シ」という陰徳の相に彼がぴったりと当てはまっていた事、そして事実の上でも貧しい人々に「お金を与えていた」事から、その刑を軽くしました。恐らく、この時の彼は自身の人相が当たった事から、義賊としての長吉が全体に押し広げられて、それが彼の人格の全てとして見えたのでしょう。しかし彼は長吉が捕まった事で、もう一度自分の判断が正しかったのか否かを判断するチャンスを得る事になります。ところが、彼は「越前は、長吉の相にめでて、もう一度長吉をゆるしてやることを決心した。」、「越前は、じっと長吉の顔を見ていたが、彼の顔の隠徳の相は、いよいよハッキリと浮び上っているのである。」という箇所からも理解できるように、長吉に対する前回の判断の上に今回の判断を下そうとしています。そうして大岡は、ますます長吉の義賊としての側面を彼の人格全体に押し広げいき、第一回目とほぼ同じ決断を下したのでした。
ですが彼も物語の終わりに反省しているように、長吉は決して手放しで喜べるような善人ではありません。彼の行動というものは、裕福な人々からお金を「盗んだ」上に上記のそれが成り立っているのです。これは長吉自身も認めており、自分が「お金を与えた」事で助かった人もいるが、逆に「盗んだ」事で自殺した人間もいることを述べかけていました。また、この2つの行動は、長吉の「もって生れた性分で、理屈もわけもございません。のどがかわくと水がのみたくなるのと、同じでございます」という台詞や、一度は大岡の厚意もあったものの再び盗みを働いてしまった事からも理解できるように複雑に絡み合っています。ですから、これらに物語の最後で気がついた大岡は、自分の下した決断に自信が持てなくなり、長吉を甘やかしているのではと考えずにはいられなくなっていったのです。

2012年4月6日金曜日

父帰るー菊池寛(未完成)

〈あらすじ〉
ある日、黒田家に突然長年家を出ていた父が帰ってきます。そして何食わぬ顔で母や子供たちに話しかける父に対して、一同もそれに合わせています。ですが、長男の賢二郎だけは、父がいないために受けた苦労から彼に反抗し、自分たちの父は父の権利を放棄して出ていった。従って今目の前で父と名乗る人物は、父ではないので出ていくべきだと主張しています。これに対して、次男の新二郎は、それでも父は父ではないかと兄に反論します。ですが、この兄弟の言い合いを横で見ていた父は、やがて自ら家を去ることを決意していくのでした。


〈一般性〉
この作品では、〈同情の念が強すぎたあまりに、かえって父を家から追い出してしまったある兄弟〉が描かれています。

はじめは、次男の同情の念が父の心を動かし、自責し家を出ていく決意をしているのだと考えていました。ですが、(哀願するがごとく瞳を光らせながら)という箇所から、そうではなく、議論の末の諦めから家を出ることを決心したのであり、自分が考えていた一般性は間違いであったことに気づきます。

〈論証〉
この作品で積極的に物語を動かしている人物は、上で登場する長男の賢二郎、次男の新二郎、そしてその父の3人です。そして賢治郎と新二郎は父を彼らで面倒を見るのか否かで議論をはじめます。兄の賢二郎の主張では、父は父としての義務を放棄してこの家を出ていった。幾ら形の上では父とは言っても、それだけで何もしていない父は、果たして父と呼べるのかと、言わば父としての本質的なあり方と他の家族たちに問いただしています。これに対して次男の新二郎は、形だけでも父は父である。そして現在の父は一人で暮らすことは困難であり、誰かが面倒を見る必要があるのではないか、と、同情の念から形式的な父のあり方をここでは採用しようとしています。
では、一方の父はこの2人の議論をどのように見ていたのでしょうか。彼もまた、3日間家の敷居を跨ぐか否かで迷っているあたり、本質と形式との間で悩んでいた事が理解できます。本質的には父と呼べることは、家族に対して何一つしてあげられなかった。よって父と思われる視覚はない。しかし、年もとって生活にも苦労し、孤独を感じはじめた今、家族を頼る以外に他はない。そして、家族が自分を迎え入れる理由としては、形式的に自分が父であるという一点以外にないであろう。恐らく、彼は3日間家の前に立ってはこのような事を考えていたのでしょう。

上記で述べたように、自分の考えた一般性は間違ってはいるものの、2人の父の像からくる対立、及び父の心情がこの作品の一般性を引き出すヒントになると考えたので、この箇所は残しておきました。

2012年4月4日水曜日

ゼラール中尉ー菊池寛

フレロン要塞の砲兵士官であるゼラール中尉は、リエージェのちょっとした有名人で、彼を知らない者は町の人にはいませんでした。そしてその評判は悪くないものの、どういうわけか友人は一人もいませんでした。
欧州戦争がはじまる少し前、そんな彼が務めているフレロン要塞へ、ガスコアンという若い大尉が転任してきました。やがて、2人はすぐに打ち解けて親交を深めていきました。しかしガスコアン大尉もまた、それまでゼラール中尉と交際したことのある人々と同じく、次第に彼と距離を置くようになります。というのも、ゼラールにはある病的に近い性癖がありました。それは、彼はいかなる場合にも自分の意思を通そうとする、というものです。彼はその性質のために、大尉がキュラソーを食べたいと言ったにも拘らず、ポンチの方が美味しいと言って他の注文を受け付けず、またボルドーの葡萄酒を飲んだことがないにも拘らず、ベルギー産のそれの方が美味しいと主張しました。こうしたゼラールの態度にガスコアンも徐々に彼から離れていったのです。
そして欧州戦争がはじまった頃、2人はある意見の違いによって激しく議論します。それは、独軍はリエージェに侵入するか否かというものでした。ゼラールの主張では、フランスに侵入する進路として、リエージェ意外には考えられないというのです。ですが、ガスコアンの主張では、ベルギーは独軍と協約を結んでいるので、リエージュ侵入はありえないといいます。議論は平行線となり、最終的にどちらが正しいのか、時間を待つという結論に至ります。そして、その結果はゼラールに軍配があがります。ですが彼はこの勝負に勝った為に、ガスコアンに自分自身が敗者である事を証明してしまうことになります。

この作品では、〈勝負に勝ち、相手よりも優位に立とうとするあまり、かえってそうした自身の性質に負けなければならなかった、ある士官〉が描かれています。

上記のゼラールの病的な性癖の裏には、どうやら勝負に勝ち相手よりも優位に立ちたいという意思が強く働いているようです。この為に、彼は自分の主張は一切曲げず、自分の思い通りに他人を従わせました。ですが、彼は他人に勝とうとするあまり、実ははじめから自分自身に負けていたという事を今回の勝負で露呈してしまうことになります。
結果的に勝負に勝ったゼラールは、なんと国家の一大事であるにも拘らず、勝った喜びに酔いしれ、ガスコアンにリエージェは戦争に巻き込まれたぞと言うことで、止めを刺そうと考えはじめます。しかしその一方では、祖国のことも心配してはいました。ですが、彼は自分の気持ちをどうしても抑えられなかったのです。そして、彼のそうした気持ちの暴走(と言っても過言ではないでしょう)は留まらず、遂には敵の砲弾に被弾して助けに来てくれたガスコアンに対して、「ガスコアン君! 時は本当の審判者でないか」と嫌味を囁いてしいます。彼のこうした態度は、無論彼の意思によるものですが、ガスコアンも指摘しているように、いかなる有事よりも、自らの意思を優先してしまう彼は、果たして何に勝っていたというのでしょうか。確かに勝負には勝ったかもしれませんが、自分の意思を満足に律することも出来なかったという意味においては、その意思そのものにはじめから負けていたと言わざるを得ません。まさにその意思が強すぎたあまりに、彼はそれに振り回されなければならなかったのです。

2012年4月1日日曜日

小説家たらんとする青年に与うー菊池寛

この作品ではタイトルの通り、小説家を志す青年に対して著者がある規則を提案しています。
それは〈現実の世界への認識が浅い20代前半のうちは、小説を書くべきではない〉というものです。というのも、小説が現実の世界の事柄を材料にしている以上、人間の細やかな心情を理解したり、複雑な人間模様を捉えることの出来る眼力、そしてその眼力によって見てきたものを整理する能力のないうちは、小説を書いてもろくなものは出来ない、と彼は考えている様子。
確かに私達も恐らくはそうした人々によって書かれた、現実味に欠けている作品、或いは主張が今ひとつまとまっていない作品を駄作と称して再読することはないでしょう。ですから著者が、社会に出はじめの年代である、20代前半の青年たちにこうした訓戒めいた言葉を残しているのも納得できる話です。
では、私達は小説というものをどのように修練すべきなのでしょうか。この作品の著者の主張では、ただ現実の生活に目を向けてさえすれば、他の小説家達の作品を多く読んで学びさえすれば、自然と小説というものは書けるのであると主張しています。しかし、誰しもが持っている素朴な実感としては、物事は見るのと実際にやってみるのでは大きな違いがあります。小説もやはり同じで、評論家のように批判はできても一流の作家の様にリアリティある文章を綴る事ができるとは限りません。駄作は駄作なりに、一度書いてみる必要があるのではないでしょうか。そうして現実と自分の作品を比較することで、自分の作品に対して欠けているところが見つかることでしょう。また、著者の重視している現実の見方も、実際に書くことで新しい発見があるはずです。
確かに、現実の世界の見方がよく分かっていないであろう人物が描く作品というものは、駄作には変わりないでしょう。ですが、その駄作を実際に書き続けない限り、傑作を書く事はできません。駄作を書くということは、著者が指摘しているように無意味なことではなく、寧ろ傑作を書くという過程の上では寧ろ重要なことなのです。

俊寛ー菊池寛

治承(1177年から1180年までの期間の元号)2年9月23日のこと、謀反を起こしたために流罪にされてしまった康頼、成経、俊寛の3人は厳しい孤島生活で心も気力も叩きのめされていた頃、一隻の船が彼らの前に現れます。それは清盛からの赦免の使者である、丹左衛門尉基康(たんさえもんじょうもとやす)を乗せた船で、彼は流人の身となった3人を島から助けるためにやってきたのでした。3人は喜び声をあげますが、基康の持ってきた教書には、俊寛の名前は書かれていませんでした。これには俊寛も怒りを露にして使者を罵りましたが、そうしたところで事態は変わりません。結局、彼だけが島に取り残される事となったのです。
そして源氏の世となった頃、かつて俊寛のもとで雇われていた有王(ありおう)は、彼の最後を見届けるべく孤島に足を踏み入れます。ですが、既に故主は死んだと思っていた彼の予想は大きく外れ、俊寛は南蛮の女と契を交わし子を生み、浅ましい姿をして生きていました。こうした主の姿を見て有王は、俊寛は流人になった事で心までが畜生道におちたのだと考え、都に帰るように説得します。ですが、彼に首を縦には振らず、「俊寛を死んだものと世の人に思わすようにしてくれ」と有王に言うばかりでした。やがて有王は、彼とその家族を帰りの船から見ることとなりますが、はじめはその姿を浅ましいと思っていましたが、そのうちになんとも知れない熱い涙が、彼の頬を伝っていきました。

この作品では、〈現在の環境に適応するために俗世の価値観を捨てたことにより、人間としての逞しさを手に入れた、ある男〉が描かれています。

この作品を最後まで読んだ時、私達は有王の「最初はそれを獣か何かの一群のようにあさましいと思っていたが、そのうちになんとも知れない熱い涙が、自分の頬を伝っているのに気がついた。」という彼ら家族を船から見ていた時の感想に目を見張ることでしょう。彼はそれまで、かつての主人の姿、孤島で手に入れたものをただ浅ましいとばかり感じ嘆いていたのにも拘らず、何故「熱い涙」を流したのでしょうか。それは、孤島の中で手に入れたものの中心にいる主人、俊寛から生きる逞しさを垣間見たからではないでしょうか。
そもそも彼ははじめ流罪になった2人と同様、孤島での生活を嫌っており都に帰ることを羨望していました。またそうした思いから、孤島の環境に自らすすんで馴染もうとはせず、ただ都に帰れないことを嘆くばかりでした。つまり彼は今ある価値観が環境に適応しない為に、そこに馴染めずにいたという事になります。
しかし、清盛の使者に捨てられた事により、彼は都への思いをも捨てる事になります。というのも、一人取り残された彼は、船に向かって叫び、それを追いました。そのうち彼は昏倒し、激しい水の渇きを感じはじめます。しかし、あたりを探しても水は一滴もありません。やがて彼は激しい渇きと飢えの末、自殺をも考えはじめす。しかしたまたま近くにあった泉と椰子を発見し、犬のようにはいつくばって水をがぶがぶ飲み、椰子の実を貪るとそうした気持ちも忘れてしまいました。そして気持ちが少し落ち着くと、彼は空腹が満たされるにつれて、それまであった都での出来事に対する思い、また自殺への気持ちを忘れていった体験から、それらの事が浅ましいと思うようになっていきました。そして、彼は俗世への思いを断ち切り、またそうした習慣も捨て、孤島を真如となるための道場だと考え、そこに自らを適応させていきます。こうして彼は今ある環境を自分の価値観に合わせるのではなく、自分の価値観を今ある環境に合わせた事で、あらゆる環境に対応できる逞しさを手に入れていったのです。

2012年3月27日火曜日

出世ー菊池寛

ある時、譲吉は1、2年ぶりに馴染みの図書館に向かっていました。そこは彼にとって、東京に馴染めず、お金がなく苦労していた頃、よく足繁く通った思い出の場所でもあります。そんな彼は道中、ふとそこで働いていた2人の下足番の事を思い出します。当時、彼らは図書館の薄暗い土足場で、口も開かず黙々と閲覧者の下駄を扱っていたのでした。譲吉はそんな彼らの姿を見て、日頃から同情をよせていました。そして彼はその同情心から、ある問題を発見してしまいます。それは今の彼はかつての貧しい学生ではなく、職業を得た立派な社会人だということです。恐らく、あのような生活から逃れられない彼らが、今の自分を見てどのような気持ちになるだろうと考えずにはいられません。果たして、2人の下足番は今どうしているのでしょうか。

この作品では、〈お互いの出世がもらたした、再会の感動〉が描かれています。

譲吉の予想は大きく裏切られる事になります。なんと下足番だったうちの一人は出世して、閲覧権売場の窓口にいました。この時、譲吉は当時から影で見ていた彼の苦労から、それは彼にとって、「判任官が高等官になり勅任官になるよりも、もっと仕甲斐のある出世」であろうと考え、心から喜びます。更にその下足番が下足番をしていた頃は、彼もまた学生として苦労していた頃だったので、自分の心の内だけでも、こうして2人が出世した事にシンパシーを感じ、嬉しがらずにはいられません。まさにこの感動は譲吉にとって、どちらか一方が出世していては味わえない、特別なものだった事でしょう。

2012年3月25日日曜日

勲章を貰う話ー菊池寛

士官候補生であるイワノウィッチは、ワルシャワで軍務についていた頃、白鳥座の歌手、リザベッタ・キリローナと恋いに落ちます。ところが、彼の恋敵であり彼の上官でもあるダシコフ大尉はこれをよしとはせず、「いいか、勲章(サン・ジョルジェ十字勲章のこと)の申請は、わしの思う通りになるのだ。どうだイワノウィッチ君! 安っぽい歌劇の歌手よりも、十字勲章の方を選んだらどんなものだ」と、自身の権力を使ってそれを阻止しようとするのです。しかし、正義感あるイワノウィッチはこの態度に激怒し、彼を罵りその申し出を拒否します。
ある時、それは戦火がワルシャワに近づいてきた頃、今度の戦争で生き残れないかもしれないと考えたイワノウィッチは、リザベッタに最後の別れを告げようと彼女のもとを訪れます。しかし、そこで彼は自分と恐らくは同じ事を考えていたであろうダシコフと鉢合わせしてしまうのです。そして取っ組み合いの末、彼はダシコフとリザベッタを射殺してしまいます。その後、彼はその罪を償う為に戦地へと赴き、やがてその功績は讃えられサン・ジョルジェ十字勲章を受け取ることとなるのです。

この作品では、〈自身の罪の償いの為に戦場に赴くあまり、かえって戦場そのものに価値を見出してしまった、ある男〉が描かれています。

もともと自分なりの正義感を持っていたイワノウィッチははじめ、ダシコフ大尉から勲章と引き換えに彼女を諦めよと言われた時、「権力と手段とで奪って行こうとするダシコフの態度に対する憎悪が、旺然と湧」きあがり、激しく拒否をしていました。この時、彼の勲章に対する印象というものも、当然いいものではなかったでしょう。しかし、いざサン・ジョルジェ十字勲章を受け取ることが決まった時、「今日、ニコライ太公からサン・ジョルジェ勲章を貰う欣びを少しでも傷つけるものではない。」と、なんとそれを喜んでいるではありませんか。一体、彼の勲章に対する印象はどこでどのように変わっていったのでしょうか。
イワノウィッチの心情が大きく変わった場面と言えば、言うまでもなくダシコフとリザベッタを殺してしまうシーンにあります。この時、彼は自殺を考えますが、「拳銃よりも、敵の巨砲の方が自殺の凶器としてはどれだけたのもしいものかも知れない」と、考えはじめます。そして同時に彼は、戦地に赴くことが自分の償いになるとも考えていました。こうして彼は自分で死ぬよりも他人に殺してもらう方が良いという消極面から、また戦場で活躍することが自分の罪の償いであり、自分の価値を高めるという積極面から戦場で戦うことを決意していくのです。またこれらの彼の心情は、「彼は、勇敢に戦い、自分の生命をできるだけ高価に売ることを考えた。」という一言に集約され、表現されています。そしてこの時はどちらかと言えば、上官と愛するものを自分の手で殺してしまった悔恨から、消極面が彼をつき動かしていたのでしょう。ですが、いざ戦場で戦いはじめると、次第に消極面が薄れていき、今度は「多くの人を殺して、価値を高める」という積極面が彼を殺戮へと駆り立てていきます。そして彼のそうした功績の末に、彼は勲章を貰うのですから、その時の彼には勲章が彼の価値そのものにうつった事でしょう。こうしてイワノウィッチは戦場への印象を変えていき、勲章を貰うことに対して喜びを感じていくようになっていったのです。

2012年3月24日土曜日

吉良上野の立場ー菊池寛

浅野内匠頭は京都から接待役の勅命を受け、その費用をどうきりつめようか苦心していました。彼としては、千二百両かかる費用をどうにかして七百両に抑えたいようです。しかし、その考えに待ったをかける人物がいました。肝煎りの吉良上野です。彼によると、それは慣例を破る行為である。ここは慣例に則り、前年よりも高い金額で勅使を接待すべきだといいます。ですが、どうしても費用を抑えたい内匠頭は、彼の助言を全く聞こうとしませんでした。
そして勅使の接待の前日、その接待方が少し変わった事を内匠頭は聞きのがしてしまったので、その場にいた吉良にそれを聞くことにします。ところが吉良は、先日彼が自分の助言を聞き入れなった事を理由に、教えることを拒みます。その挙句、癇癪を起こした内匠頭は刀を抜いて襲いかかりますが、同じくその場にいた梶川にそれを阻止されてしまうのです。やがて、乱心した彼はその場で切腹することになります。ところが、これを世間の人々は、殿中で切りつけるには、よくよく堪忍のできぬことがあってのことだろうと同情し、吉良を非難しました。そして浅野浪士の方でも、浅野の怨みを晴らす為、彼を討とうとしています。こうして、完全に世間から悪者扱いされる事になった吉良は、その命まで狙われてしまいます。ですが、彼は今逃げては世間の噂を肯定する事になり、それが気に食わないという理由から、その場を離れようとはしませんでした。結果、彼は赤穂浪士に打たれてしまい、悪者のままこの世を去ってしまったのです。
この作品では、〈世間の噂に反抗しようとするあまり、かえって事実として世間に知らしめてしまった、ある男〉が描かれています。
吉良は、世間の内匠頭に関する噂と自分に対する評価に関して、あまりにも事実とかけ離れている為に不快感を示していました。その思いから、当然彼は、自身にかけられた不当な汚名を晴らしたいと考えていたのでしょう。そして、その思いが強いあまりに彼は浅野浪士の敵討ちの噂を聞いた時、決して逃げようとはしませんでした。彼曰く、「わしと内匠頭の喧嘩は、七分まで向うがわるいと思っている。それを、こんな世評で白金へ引き移ったら、吉良はやっぱり後暗いことがあるといわれるだろう。わしは、それがしゃくだ」というのです。彼のこうした行動は、まさに世間の噂に対する反抗であり、噂が事実でないことを示す態度でもありました。ですが、彼はこうした態度をとったことにより、結局赤穂浪士に打たれてしまい、真実を伝える機会を永遠に失ってしまいます。もしこの時、彼が噂に反抗することよりも真実を伝える事を優先してその場から逃げていれば、このような結果にならなかったかもしれません。しかし噂に反抗するとを優先したばかりに、彼は噂に反抗するどころか、かえって振り回されてしまったのです。

2012年3月22日木曜日

義民甚兵衛ー菊池寛(未完成)

農夫である「甚兵衛」は、自身が不具者(かたわもの)であり、また足に障害を持っていた為に他の家族から人間として扱われておらず、他の兄弟よりも劣った生活を強いられていました。
不作が続いた年のある時、厳しい年貢の取り立てから人々は一揆を起こします。それは甚兵衛の家も巻き込み、家の中から一人、一揆の参加者を選出しなければならないと告げられます。そこで他の兄弟を守るため、継母である「おきん」は彼らの身代わりと言わんばかりに、甚兵衛を一揆に参加させることにしました。
しかしこの一揆の事情は急転し、甚兵衛が一揆に参加して10日後に終焉の兆しが挿し込みます。彼らに年貢の取り立てをしていたお上は、この度の一揆の出来事については、「松田八太夫」に石を投げた下手人を差し出すことで、帳消しにするというのです。これに対して、おのおので石を投げていた人々は動揺を隠せません。早速、仲間同士で小競り合いをはじめます。そんな中、甚兵衛だけが自分が石を投げたことを正直に話し、役人に引っ捕えられてしまいます。こうして、甚兵衛とその一家は磔にされ、村の尊い犠牲となってしまったのです。

2012年3月19日月曜日

恩讐の彼方にー菊池寛

「市九郎」は主人である「三郎兵衛」の妾と非道の恋をした為に、主人の怒りをかい刀で斬りかかられます。ですが自身の命惜しさから、彼は脇差で主人を刺してしまいます。その後、彼は主人の妾であった「お弓」に従い、美人局(つつもたせ)、摂取強盗等を稼業として生計をたてはじめます。
そんなある時、市九郎は2人の夫婦をお弓の命によって手にかけてしまいます。この時、彼はこの夫婦を殺めてしまったことを後悔していましたが、お弓は彼とは対照的に、彼らが身につけていた櫛(くし)等の方が気になる様子。こうした彼女の浅ましさに嫌気がさし、市九郎はお弓のもとを離れることにします。
やがて、彼はこれまでの悪行を悔いるようになりはじめ、次第に真言の寺への得度を決意していきます。得度した彼は「了海」と呼ばれ、その後仏道修行に励んでいきます。そして、懺悔の心から人々を救いたいと考えていた市九郎は、やがて諸国雲水の旅出ます。その中で彼は、山の絶壁にある険しい道、「鎖渡し」という難所を渡ることとなります。そしてその難所を渡りきった時、彼は人々がここを渡らなくてもいいように、トンネルを掘ることを決心します。というのも、それこそが、彼にとって自身の大願を成就する為の難業でもあったのです。
穴を掘りはじめて19年、トンネルの完成も間近になった頃、彼のもとにある男がやってきました。それは市九郎が殺した主人、「三郎兵衛」の息子である「実之助」でした。彼は父を殺した人間はかつては父の下僕であったことを知ると、復讐を誓い、はるばる市九郎を追ってやってきたのです。彼と対峙した時、市九郎も実之助にその命を明け渡そうと考えていました。しかし、その時市九郎と共に働いていた石工の頭領が、20年に近い歳月を穴を掘ることに費やし、その完成を間近にして果てていくのは無念だろうから、トンネルの完成まで待ってはくれないかと、実之助に提案します。敵とはいいながらこの老僧の大誓願を遂げさしてやるのも、決して不快なことではないと考えた実之助は、この提案を受け入れることにします。こうして彼は市九郎の大願が成就する時を彼と共に待つにつれて、彼の内にある菩薩の心を目の当たりにし、やがては大願を果たした感動を共に分かち合うことなるのです。

この作品では、〈自分の目的の為に、穴を掘り続けた一人の男の姿〉が描かれています。

この作品はタイトルの通り、市九郎に対し復讐に燃えていた実之助が彼と触れ合うことでその怨みを忘れ、やがては市九郎の大願成就を共に喜びを分かつところを軸として描かれています。では、そうした実之助の心の変化を、彼の目的と市九郎のそれとを比較することで見ていきましょう。
まず市九郎の方ですが、彼は何もはじめから、人々を救いたいという目的をもっていたわけではありません。彼は、生きる為に主人を殺し、生きるために盗みを働き、生きる為に旅の夫婦を殺していました。そして、それらは自分の意思からではなく、「彼は、自分の意志で働くというよりも、女の意志によって働く傀儡のように立ち上ると」、「初めのほどは、女からの激しい教唆で、つい悪事を犯し始めていた」などの表現からも理解できるように、彼の行動の裏には、常にお弓の意思が働いていました。つまり彼は、「生きる為に(目的)、お弓に従い(主体)、盗みを働いていた、人を殺していた(手段)」(a)のです。
しかし、彼女に嫌気がさして自分のしてきた事に後悔を感じはじめると、彼は真言の寺に得度し、仏道修行に励みはじめます。すると、今度は懺悔の気持ちから、真言の「仏道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心」という教えに従い、難渋の人を見ると手を引き腰を押してその道中を助け、たま病に苦しむ老幼を負います。こうした彼の心の変化から、上記にある括弧の内容も自然と変わり、「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)となります。
ですが、彼はそうした人助けすらも、自分の犯してしまった罪の前では釣合いがとれないものと考え、より大きな苦難をさがしはじめます。その末、発見したものが鎖渡しの難所でした。この難所を発見した時、彼は早速自身の大願の為、穴をほりはじめます。そして、槌を振っている時の彼には人を殺した時の悔恨も、極楽に生まれようという欣求もありませんでした。そこには「晴々した精進の心」だけがありました。この彼の手段、及び心の変化から、括弧の中身は「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)となるでしょう。
さて、ここまでの市九郎の行動や心の変化を、更に括弧書きした箇所を中心に整理してしていきます。括弧の中身も分かりやすいように、矢印をつけてもう一度下に記しておきます。

「生きる為に、お弓に従い、盗みを働いていた、人を殺していた」(a)

「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)

「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)


次に、市九郎が具体的にどのようにして括弧の中身を変化させていったのかを見ていきましょう。まず(a)では、彼ははじめは確かに目的の為に主人を殺すという手段に至りました。ですが、美人局、強請、殺人とその行動がエスカレートするにつれて、彼の中でいつしか手段が目的よりもその意味を大きくしていったことが理解できます。またその行動の主体が、彼自身ではなく、お弓であった事も見逃してはなりません。ですが、こうして手段を優先していくにつれて、その目的を見失い、自分の行動に自信が持てなくなっていってしまいます。そして、彼はある夫婦を殺めたことをきっかけに、罪の意識を感じお弓のもとを離れていきます。
そしてお弓から離れた彼は、その罪をどうにかして悔い改めたいと考えはじめます。そこで彼は、宗教的な光明にすがり、その手段を模索しはじめます。やがて、彼は真言の教えに従い、人々を救うことが自身の懺悔につながる事を学びます。ここまでが(b)までの過程となります。また、(b)では(a)とは違い、市九郎は目的の為に手段を用いようとしています。ですが、この時点でもやはり、その主体は自分ではありませんでした。
しかし(c)、つまり穴を掘りはじめてからの彼は違いました。それは文中の、「人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。」という箇所からも理解できるように、穴を掘っている時の市九郎は、宗教的な教えのためにそうしているのではありません。彼は穴を掘り人々を救う行動をしている事に対して喜びを感じているのです。ここから、主体はいつしか仏道ではなく、自分そのものになっていったのでしょう。ですから、彼は作品の中で周囲の人々になかなか穴を掘ることに対して理解されず、また理解されたかと思えば再び彼のもとから離れていくこともありましたが、そうした人々の心の変化に一切動じず、ひたすら穴を掘ることが出来たのです。また、その目的も、「懺悔のため」という消極的だったものが、「人々の為」という積極的なものへと変化しています。これもまた、その主体が自分になったことからくる変化でしょう。こうして彼は、その主体を大きく変えていくことで、目的、手段を変えていき、自身の大願を成就させることが出来たのです。
では、一方の実之助の方はどうだったのでしょうか。彼は、「父の無念の為に、自分に従い、復讐する」ことを決意していました。ところが、彼は長年の穴掘りによって傷みきった市九郎の肉体を見た時、その復讐心が弱まってしまいます。そこで彼は、「しかしこの敵を打たざる限りは、多年の放浪を切り上げて、江戸へ帰るべきよすがはなかった。まして家名の再興などは、思いも及ばぬことであったのである。」と、復讐の目的を他のものに変えようとします。そうすることで、彼はどうにかして復讐を果たそうと考えたのです。こうした考えから、彼はその目的よりも、手段にこそその重きをおいていったことにより、その目的を見失ってしまいます。またこれは、はじめの市九郎の(a)の考えと同じ構造を持っています。そして、実之助もまた自分の行動に自信が持てなくなってしまいます。そして、そんな自分と懸命に人々の為に穴を掘る市九郎を比較した時、彼を斬る気にはどうしてもなれず、その復讐心を消し去り、やがては彼を支持するようになっていったのです。

恩讐の彼方にー菊池寛(メモ書き)

市九郎と実之助との夢の比較

◯市九郎
「生きる為に(目的)、お弓に従い(主体)、盗みを働いていた、人を殺していた(手段)」(a)

「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)

「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)

目的と手段の優先順位の変化
主体の変化

◯実之助
「復讐の為に(目的)、 市九郎を殺そうとした(手段)」

一般性
自らの夢の為に穴を掘り続けた、一人の男の姿

2012年3月16日金曜日

屋上の狂人(修正版)

身体に障害を持っている狂人、「勝島義太郎」は毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金毘羅さんの天狗や天女等の神、或いはそれに類するものたちが踊っており、自分を呼んでいるというのです。そうした彼の様子に、父親である「義助」は手を焼いていました。
そんなある時、彼らの家の隣に住んでいる「藤作」がやってきて、昨日から島に来ている「巫女」に義太郎を祈祷してもらってはどうかと、義介に提案します。もともと義太郎の狂人的な性質は狐にとり憑かれている為だと考えていた彼は、早速巫女に祈祷を頼みます。そして彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の身体にのりうつり、青松葉に火をつけて義太郎をいぶしてやれというお告げをしました。そこで義助は彼を可哀想に思いながらも、彼の顔を煙の中へつき入れます。そんな中、義太郎の弟、「末次郎」がたまたま家へと帰ってきました。彼は義助から一切を聞くと憤慨し、燃えている松葉を足で消してました。そして、自身を巫女と名乗っていた女を「詐欺め、かたりめ!」と罵倒し、追い払います。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上にあがります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。

この作品では、〈現実とかけ離れ、神々の世界に憧れを抱くあまり、かえって自分がそのような人物になってしまった、ある狂人への皮肉〉が描かれています。

この作品では、狂人である義太郎をめぐって、物語は展開していきます。そしてその中で重要になってくるものが、神の存在です。というのも、巫女と名乗る女は、自分は自分の身体に金毘羅さんの神様をおろすことができ、それによってお祓いができるのだと主張していました。そして、こうした彼女の主張を周りの人々は信じ、彼女の言うがままに義太郎の顔を煙におしつけてしまいます。ところが、末次郎だけはそんな彼女の胡散臭さを一見して見破り、「あんなかたりの女子に神さんが乗り移るもんですか。無茶な嘘をむかしやがる。」と述べています。そしてこのように断定している彼の主張の裏には、どうやらはっきりとしたそれはなくとも、神というものの像が朧げながらもあるようです。物語のラストで、彼は兄と話している最中、「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と言っています。つまり、彼は狂人たる兄の中に、彼が考えている神の一面を認めているのです。
では、彼は兄のどのようなところに神的な性質を認めているのでしょうか。そもそも、義太郎は屋根の上に登って、現実とはかけ離れた神の世界に憧れを感じるあまり、それが見えると発言していました。物語のラストでも、彼ははやり屋根に上がって、自分達とは違う世界の出来事を覗いています。そして、こうした義太郎と同じ見方を、違う立場から行なっている人物がいます。それが末次郎その人です。
現実と関わりを持ちながらも、そこで何が起こっていようと、またどれだけ自分が巻き込まれようとも、次の瞬間には自分の世界へと戻っていく兄に対して、末次郎は彼が全く別の世界を生きている印象を受けているからこそ、「あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と述べているのです。つまり彼が考えている神とは、巫女の神の様に現実に干渉せず、関心をよせず、ただ自分達の世界に没頭しているものということになります。ですから、彼ははじめから巫女の主張を信じず、兄を救うことが出来たのです。

2012年3月14日水曜日

大島が出来る話ー菊池寛

「譲吉」は高等商業の予科に在学中、故郷にいる父が破産して退学の危機に直面したことがあります。そんな彼を救ってくれた人物こそ、同窓の友人の父、「近藤氏」だったのです。以来、彼は「近藤夫人」の手から学資を頂いていました。そして、学校を卒業して社会人になっても彼と彼女の関係は変わることはなく、譲吉は何かあると近藤夫人を頼り、彼女は彼女で彼の欲しがるものを与えていました。ですが、そんな彼でもたったひとつだけ手に入らないものがありました。それが「大島絣の揃い」でした。彼は大島を買いたいとは思いつつも金銭の問題から購入には至らず、それを買う機会を次第に失っていきます。
そんなある時、譲吉は電報でお世話になっていた近藤夫人が突然亡くなったことを知ることになります。これまで彼の生活を影で支えていた人物の死を聞いて、譲吉の心には大きな穴が開いてしまいます。
そうして途方に暮れているある日、彼は近藤の家の人々から夫人の形見である大島を頂きました。念願の大島に彼の妻は大喜びしました。彼も妻と同じく大島を手に入れたことに多少の満足は感じていましたが、素直に喜べない様子。どうやら、彼は恩人の近藤夫人から大島の揃いを得たことに対して、複雑な心情を抱いているようです。では、一体それはどのようなものなのでしょうか。

この作品では、〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉が描かれています。

この作品のラストでは、近藤夫人からもらった大島の揃いに対して、譲吉と妻の心情が対照的に描かれています。妻は素直にそれを「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、素直に喜んでいましたが、当の譲吉はどうだったでしょうか。「一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って」いました。そもそも近藤夫人と「与えられる」関係にあった彼は、日頃から彼女に対して感謝の念を抱いていました。そんな彼のもとに大島の揃いが、彼女の形見として送られてきたのです。形見というからには、当然これは彼女が死ななければ手に入らなかったものであり、幾ら彼にとって欲しいものだったとは言え、素直に喜べるはずもありません。まさに彼は、彼女への感謝の気持ちがあったからこそ、その時の彼にとって、最大の贈り物であったであろう大島の揃いを受け取っても喜べず、複雑な気持ちにならなければならなかったのです。

2012年3月11日日曜日

屋上の狂人ー菊池寛

狂人であり自身の体に障害を持っている勝島義太郎は、毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金比羅さんの天狗が天女と踊っており、自分を呼んでいるというのです。こうした彼の様子に、父である義助は日頃から手を焼いていました。彼は息子の体には狐か、或いは猿が取り付いており、それが義太郎を騙しているのだと考えている様子。
そんなある時、彼らの家に近所の藤作が訪ねてきました。彼はよく祈祷が効く巫女さんが昨日から彼らの島に来ているので、一度見てもらってはどうかと義助に提案してきます。そこで彼は早速巫女に祈祷してもらうよう依頼します。そして、彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の体に宿り、木の枝に吊しておいて青松葉で燻べろ、というお告げを義助らに残しました。そこで彼らは気はすすみませんでしたが、神様のお告げならばと、義太郎に松葉につけた火の煙を近づけます。そんな中、義太郎の弟である末次郎がたまたま家に帰って来ました。彼は父から一切を聞くと憤慨し、松葉についた火を踏み消しました。そしてその発端をつくった父に対して、兄は狐の憑依でこうなったのではなく、治らない病によって狂人になっていることを説明し、巫女を帰しました。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上に上がります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。

この作品では、〈長男の病気が治らないという事実を、自分たち為に自分たちの物語を付け加えて捉えなければならなかった父親と、当人の為にありの儘に捉えようとする次男〉が描かれています。

この作品で起こっている事件というものは、あらすじの通り勝島家の長男である義太郎の狂人的な性質を中心に起こっています。そして、その性質に対する登場人物の考え方というものは大きく分けて2つあり、彼らはこのどちらか一方を採用しています。ひとつは、義助達が主張しているひ非現実的な狐憑依説。もうひとつ、弟の末次郎の主張する現実的な病気説。では、これらの考え方には具体的にどのような違いがあるのでしょうか。
まず義助が採用している狐憑依説ですが、彼らは義太郎の狂人的な性質が治る事を信じたいが為にこの説を採用しています。というのも、義助の「お医者さまでも治らんけんにな。」の台詞から察するに、恐らく彼ら一家は以前に医者から、義太郎の病気は治らないと宣告されたのでしょう。ですが、父である義助をはじめとする家族らは、「阿呆なことをいうない。屋根へばかり上っとる息子を持った親になってみい。およしでも俺でも始終あいつのことを苦にしとんや。」という台詞からも理解できるように、狂人の息子を持ったという事実をどうしても受け止める事ができません。そこで彼らは、自分たちの為に、病気とは別のところに狂人的な性質の原因を求めはじめます。そして次第に、狐、或いは猿が取り憑いているという結論に至り、祈祷にすがるようになっていったのです。
では、一方の末次郎の考えはどうでしょうか。彼は兄の病気を病気として捉え、それと向き合っていこうとしています。そうした姿勢は、(義太郎)「末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。」、(末次郎)「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。」という彼らのやりとりからも理解できます。また、彼は狐憑依説を唱えていた父達を喝破する際、次のように述べています。「それに今兄さんを治してあげて正気の人になったとしたらどんなもんやろ。(中略)なんでも正気にしたらええかと思って、苦し むために正気になるくらいばかなことはありません。」彼は、単純に正気に戻す事を考えるよりも、現在の当人の事を考えた上でも現状が一番ではないかとここでは述べているのです。

2012年3月9日金曜日

M侯爵と写真師(修正版)

「僕」と同じ会社に務めている杉浦という写真師は、大名華族中第一の名門で重厚謹厳の噂が高く、政界にも大きな影響を及ぼすであろう人物、M侯爵の特種を日頃からねらっていました。そんな彼の苦労も実ってか、杉浦はその後侯爵と親交を深めていき、やがてはすっぽん料理をご馳走になったことを「僕」に話して聞かせます。「僕」は「僕」でその話を聞いて、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることに」感嘆しました。
そんなある時、「僕」は仕事の関係でM侯爵と話す機会を得ることになります。もともと侯爵のことを尊敬していたこともあり、仕事を引き受けて早速一人で出かけて行きました。ところが、用談が済んでしまうと、侯爵は急に杉浦の話に話題を変えて、「ああ杉浦というのかね。ありゃ君、うるさくていかんよ」と言い出します。そして、その言葉に「僕」は驚くと同時に不快感を覚えました。やがて彼は、そうした2人の食い違いはどこにあったのかと考えていきます。さて、一体それはどのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈社会的な立場の違う相手にタテマエで話すあまり、かえって素直に受け取られてしまった為に起こった、ある食い違い〉が描かれています。

まず、2人の食い違いを考えるにあたって、「僕」は一度、お互いの気持ちをもう一度確認しはじめます。杉浦の話では、「侯爵ぐらい杉浦に好意を持っている人は、ちょっとなさそうに思われ」ます。ですが侯爵の話では、杉浦は侯爵にとってうるさいいやがられ者だというのです。しかし、ここでひとつ大きな疑問が残ります。それは杉浦が侯爵にすっぽん料理をご馳走になったことです。幾ら杉浦が図々しいは言え、突然押しかけてご飯をたかるとは考えにくいものです。ですが、侯爵は彼にご馳走する意思はなかったと話していました。ともすれば、侯爵はご馳走する意思はなかったが言葉の上ではそう言ったのではないか、という考えに「僕」は至りました。
そして次に「僕」は何故侯爵は口先だけの約束をし、杉浦はそれを素直に受け取ってしまったのか、と考えはじめます。そもそも、M侯爵は華族であり、政界にも少なからず精通している為、常日頃からタテマエで話す事に慣れているのでしょう。つまり、タテマエで話す事がひとつの技として完成しているのです。そしてこのすっぽんの一件の際も、言葉の上ではご馳走に誘っているものの、それは彼を拒否する皮肉としてそう言ったに過ぎないのです。ですが、写真師である杉浦は、日頃から他人の事情は二の次にして、図々しいとも言える方法で写真を撮ってきたこともあり、相手に言葉の上でも強く拒否される事も多々あった事でしょう。そんな彼がタテマエから「ご馳走してやる」と言われたところで、その意図に気づくのは難しいはずです。こうした2人の立場の違いから、この食い違いが起こっているのです。

2012年3月6日火曜日

M公爵と写真師ー菊池寛

「僕」と同じ社に勤めている杉浦という写真師は、華族の中でも第一の名家で、政界にも影響を及ぼす可能性のある人物、M侯爵の写真を撮るため、日頃から彼を追っていました。そんな杉浦の努力が実を結んでか、彼はM侯爵に顔を覚えてもらい、やがてはすっぽん料理をご馳走してもらう仲にまで2人の関係は発展していきます。これを聞いた「僕」ははじめ、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることにもかなり感嘆」していました。
「僕」はある時、仕事でそんなM侯爵と話す機会を得ることになりました。もともと公爵を尊敬していた彼は、早速一人で侯爵家へと出かけます。ですが、やがて「僕」はこの対談で、M侯爵の話と杉浦の話との間には、ある大きな食い違いがあるということを知ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈他人に好意のあるフリをする事は不快なものである〉ということが描かれています。

まず、上記にある大きな食い違いとは、実は侯爵は杉浦に対して嫌悪感を感じているということです。しかし当の杉浦の話ではあらすじの通り、彼は侯爵に気に入られていると言っています。そして、この2人の意見を聞いた後、「僕」は「どんな二人の人間の関係であるとしても、不快ないやな関係であると思いました。」では、彼は具体的に一体どのようなところに不快感を示したのでしょうか。どうやら彼は、侯爵が言ったであろう、「フランス料理を食わせてやる。金曜においで」という一言に関してそう感じている模様です。というのも、「僕」はこの台詞から、次第に侯爵は大なり小なり、杉浦に対して好意のある「フリ」をしていたのだろうと考えていきます。少し余談になりますが、この「フリ」というものは、実は現実の私達の生活にもありふれているものではないでしょうか。本人の前では好意的に友達として仲良く接していても、その人がその場を離れた途端に非難する人々もいますし、仕事の上、組織の上で致し方なく付き合っているとは言え、周りの人々にその人の非難の言葉を撒き散らす人々だっています。そして、こうした人々の行動はどうにもやりきれない不気味さがあるように感じます。というのも、彼らは相手に自分の気持ちを決して知らせません。それがお互いの溝をより深めていってしまいます。つまり、一方は関われば関わる程好意を持ちますし、もう一方は嫌悪を助長させていくのです。これが「僕」の感じた不快感の正体なのではないでしょうか。そして、この不快感を感じているからこそ、何も知らず、いつものようにM侯爵のところに向かう杉浦「僕」は哀れみを感じているのです。

2012年3月4日日曜日

易と手相ー菊池寛

この作品ではタイトルの通り、易と手相の2つの占いについて、著者の個人的な意見が書かれてあります。その中で著者は、易占いよりも手相占いの方が信用に足るものであると主張し、その理由を2つ述べています。ひとつは実際に当たっているのか、どうなのかとういう自身の経験的なものから。では、もうひとつは一体どのような理由なのでしょうか。

この作品では、〈現実の対象と向き合っていない、ある一部の占い師への批判〉が描かれています。

まず、易よりも手相を信用するもうひとつの理由について彼は、「人間の身体についているものだけに、まだ易などよりは、信じられる」のだと述べています。つまり彼は、人間を占っているのだから、人間の一部を対象として占っている手相の方が信用出来るのだと述べているのです。言わば、これは著者の今まで生きてきた中での実感として述べているものでしょう。私達は何かを創作したり仕事をする時、必ず自分たちが扱う対象と向き合いながら作業をするものです。例えば、医者や介護士であればその人の状態や表情を見ながら作業しますし、画家ならば描く対象を観察しながら鉛筆をはしらせます。そして、占い師はその人の未来を占うものです。ですが、易占いなどの一部の占いは、その人ではなく本やゼイチクなどを睨みながらその人を占います。著者は、そうした対象を見ずして、メスや絵の具などの道具を見ながら占っているところに所謂、「胡散臭さ」を感じており、手相の方が信用できるのだと言っているのです。

2012年3月3日土曜日

入れ札ー菊池寛

州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次(くにさだちゅうじ)は、11人の子分を連れて信州追分(おいわけ)の今井小藤太の家を目指していました。しかし11人全員を連れて行っては目立ち過ぎる為、3人の子分を残し、残り何人かの子分を始末する必要があります。ですが、これまで自分の為に命を投げ出してきた子分達に対して、自ら甲乙をつける事が忠次にはどうしてもできない様子。そこで彼は、子分たちに入れ札で投票させて自分たちで誰が忠次についていくのかを決めさせる事にしました。
そして、この入れ札に関して一番嫌な心で見ていたのは稲荷の九郎助でした。彼は子分の中では一番の年輩であり、本来ならば忠次の第一の子分でなければいけませんでした。ところが、彼は忠次からも他の子分たちからもそのように扱われた事がありません。子分たちは表面的には「阿兄!阿兄!」と慕ってはいるものの、内心はそう思っておらず、忠次までもが自分を軽んじている事を彼は知っていたのです。そして今度はが入れ札をする事で、これらの事実が明るみに出ようとしているのです。そうすれば、九郎助の自尊心はますます傷ついてしまいます。そこで、彼は自分の自尊心を守るため、ある卑怯な手口を使ってしまいます。それは一体、どのようなものだったのでしょうか。

この作品では〈表面的な自分の地位を守ろうとするあまり、かえって自尊心を傷つけてしまった、ある男〉が描かれています。

まず、九郎助の考えた卑怯な手口とは、自分に票を入れるというものでした。そうすれば、自分の他にあと数票誰かが入れてくれれば自分の体裁は保たれ、親分である忠次の付き添いが出来ると考えたのです。ところが蓋を開けてみると、本人以外、誰も九郎助の名前を書いているものはありませんでした。札は彼以外は他の何名かの名前に集中していました。そこから彼は、他の者達は心の底から忠次の事を考えて投票した事を察します。そして、その一方で九郎助は自分だけが自らの自尊心を守るために投票した事を悔いはじめます。
そして、そんな彼に更に追い打ちをかける人物がいました。それは九郎助が自分に票を入れてくれるだろうと期待していた人物の一人、弥助でした。彼は、「十一人の中でお前の名をかいたのは、こ の弥助一人だと思うと、俺あ彼奴等の心根が、全くわからねえや」と嘘を言って、彼に近づいてきました。これに九郎助は怒りを感じるも、その怒りを沈めるしかありません。というのも、弥助の嘘を咎めるのには、自分の恥しさを打ち開ける必要があります。ですが、これ以上自分の自分の自尊心を傷つけたくない彼はただ黙っているしかありません。その一方で、九郎助は弥助がこんな白々しい嘘を吐くのは、自分があんな卑しい事をしたのだとは、夢にも思っていなければこそなのだと思い、ますます情けなくなっていきます。まさに、彼は自分の自尊心を守ろうとするあまり、かえってそれに振り回され、結果的に傷つかなければならなかったのです。

2012年3月1日木曜日

仇討三態・その三ー菊池寛

宝暦三年、正月五日の夜のこと、江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、奉公人達だけで祝酒が下されていました。そして、人々の酔いがまわってきた頃、料理番の嘉平次はその楽しさのあまり、自分の仕事を放り出して酒の席へと顔を出してきました。そして、一座の人々は「お膳番といえば、立派なお武士だ!」と、彼を煽てはじめます。すると、嘉平次もその気になりはじめ、あたかも自分は刀が振れるかのように、武士であったかのうに語りはじめます。やがて、調子にのった彼は旧主の鈴木源太夫が朋輩を討ち果たした話を、あたかも自分の話のように話しはじめてしまいます。そして一座の方も、嘉平次の話を一切疑わず、彼の話をすっかり聞きいっている様子。
ですがその晩、彼はつい先頃奉公に上ったばかりの召使いのおとよという女に刺し殺されてしまいます。実はおとよは鈴木源太夫の娘であり、母が死んで以来、父の仇を討つ機会を待っていたのでした。

この作品では、〈武士に憧れるあまり、かえって武士になる危険を理解できなかった、ある男〉が描かれています。

まず、嘉平次は酒の席で、自分が煽てられて気持よくなる手段として、自分はかつて武士であったという嘘をついています。つまり、彼は武士に対して、強い憧れを抱いていると言えるでしょう。そしてその憧れが強くなっていくにつれて、彼の嘘は大きく膨れ上がっていきます。ですが、この時彼は、武士とはどのような職業か、或いはどうやって生計をたてているのか、全く理解出来ていません。これは、病人を看病する姿に憧れるも、血や摘便(便を肛門から取り出す作業)を体験して退職する看護師や、或いは雄弁に語る姿に憧れ立候補するも、当選した後、他人からの批判に堪えられず辞任してしまう政治家と同じです。いずれの人々も、自分の職業が何をするのかが理解できていないのです。看護師は人の健康を守るため、血や尿、必要ならば便を扱うこともありますし、政治家は人々に批判されながらも、お互いの意見をぶつけて国を運営していくことが仕事です。武士という職業もやはり同じで、彼らは人を斬り殺して生計をたてています。つまりその一方では、自分が斬り殺される側の人々がいるのであり、自分が知らない何処かで誰かに恨まれているのです。また相手に斬りかかるということは、当然相手も反撃してくるので、自分がいつ死んでも可笑しくありません。ですが、そうした危険を嘉平次は一切理解していませんでした。彼は、武士という言葉の響きの良さに酔いしれて、それを全体に押し広げていたに過ぎないのです。もし、彼がそうした危険性を少しでも考えていたならば、平然と自分は人を殺した事がある等とは言わず、こうした悲劇は起こらなかったことでしょう。

2012年2月28日火曜日

仇討三態・その二ー菊池寛

越後国蒲原郡新発田(かんばらごおりした)の城主、溝口伯耆守(ほうきのかみ)の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出てから、八年ぶりに仇人を発見することができました。ですが、不運にも彼らが敵を討つ前に、仇人は死んでしまいます。そして彼らはそれ以来、世間の人々の非難の的となってしまいます。
一方、そんな彼らの避難の声もおさまってきた頃、彼らと同じ藩士である、久米幸太郎兄弟が三十余年の時を経て仇討ちに成功し、帰還してきました。そしてその十日後、兄弟の帰還を祝う酒宴が親族縁者によって開かれることとなりました。そして不幸にも、仇討ちに失敗した鈴木兄弟は久米家とは遠い縁者に当たっていました。当然ながら兄弟はその席に行きたくはありませんでしたが、そうなればまた世間の非難の的になると考えた忠次郎は、しぶしぶ参加しました。
その当日、夜が更け客が減りだした頃、幸太郎は忠次郎からも盃を注いで欲しいと申し出てきます。そして、幸太郎は彼からもらった酒を快く飲むと、真摯な同情を含んで、「御無念のほどお察し申す」と述べました。これには忠次郎も思わず無念の涙を流しながら、「なんという御幸運じゃ、それに比ぶれば、拙者兄弟はなんという不運でござろうぞ。敵をおめおめと死なせた上に、あられもない悪評の的になっているのじゃ」と言いました。すると、幸太郎は「何を仰せらるるのじゃ。一旦、敵を持った者に幸せな者がござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」と言い、やがては互いに目を見合わしたまま涙を流し合いました。

この作品では、〈過程を重視した為に相手の気持ちが正しく理解できた、ある討人〉が描かれています。

まず、この作品での鈴木兄弟の仇討に対する見方は2つに分かれています。一つは仇討に失敗したことを非難する、世間的な見方。もうひとつは彼らに同情をよせている幸太郎の見方。では、この2つの見方には、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。
まず兄弟を非難している世間的な見方の方ですが、彼らは「鈴木兄弟が仇討ちに失敗した」という結果だけを見て、あれこれと非難しています。更に彼らはその結果を受けて、「二人は、敵を見出しながら、躊躇して、得討たないでいる間に、敵に死なれた」、「兄弟は、敵討に飽いたのだ。わずか八年ばかりの辛苦で復讐の志を捨ててしまったのだ。」と、その失敗の過程まで想像しています。言わば世間の見方の順序としては事実とは逆の流れで考えられており、結果が先にあり、過程はその後にあります。その結果、彼らは兄弟の気持ちを正しく読み取る事が出来ず、単なる解釈になってしまったのです。(余談ですが、これは現代を生きる私達の日常にもよくある見方ではないでしょうか。例えば、スポーツ等で自分が応援しているチームが試合に負けてしまい、悔しさのあまり大人げなく怒りを露わにする人々がいます。また逆に、次の日に試合に勝つと、「いや、今日の◯◯はよかった。」などと、急に評価を一転するような発言をすることがあります。こうした見方も同じで、やはり結果から見ているからこそ、昨日と今日でものごとの評価が一転してしまっているのです。)
一方、幸太郎の見方はどうだったでしょうか。彼は「御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」という台詞からも理解できるように、過程的なところを中心に見て相手を評価しています。つまり彼らは事実の流れと同じく、過程を先に考えた為、兄弟の気持ちを正しく読み取る事ができたのです。やはり事実を正しく読み取るためには、事実と同じ流れで物事を考える事が重要なのです。

2012年2月26日日曜日

仇討三態・その一ー菊池寛

父親を殺され、復讐を誓い長年旅をしてきた討人、惟念は母親が死んだことを知らされて恐ろしい空虚におそわれます。そしてその事をきっかけに、彼は浪華に近い曹洞の末寺に入って僧になりました。
一年後、ある時彼は薪作務(農作業、清掃等の作業のこと)を行なっていると、仇人と同じ紋のはいった羽織を着た老僧を見かけます。更にその老僧には、仇人と同じ箇所に刀傷があり、これらを見た惟念は再び復讐の炎を燃やしはじめます。ですが今の彼は僧の身であり、人を殺すことはできず、仇人が見つかったからといって再び俗世に戻ることにも抵抗を感じている様子。そこで彼は自ら仇人に自分の身の上を打ち明けて、道心の勝利を誓うことにしました。ところが仇人は惟念に対して、しきりにここで復讐することをすすめてきます。ですが、彼はぐっと自分の気持ちを抑えて、その誘惑に打ち勝つことができました。
その晩、惟念はその仇人によって命を狙われてしまいます。ですが、彼は防ごうとも逆にそれを討ち取ろうともいう気にもなれず、ただ自分を信用していない彼を憐れむばかりでした。そしてただ一言、「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」と仇人に告げます。結局、仇人は彼を手にかけず、その翌日に寺から逃げ出しました。

この物語では、〈他人に誓いを立ててしまった為に、かえって他人の信用を失ってしまった、ある僧〉が描かれています。

この物語の面白いところは惟念が自分の身の上を仇人に打ち明けたことにより、二人の心情が大きく揺れ動いていくところにあります。まず惟念の方ですが、彼は自分の復讐の心をなんとか抑えてはいるものの、彼は今後の自分の行動に自信が持てず、いつか仇人を手にかけてしまうのではないかとう不安を感じはじめています。そこで自分を信用出来ない彼は、仇人に仇討ちをしないことを宣言することで、仇人に対して誓いをたてることにしました。こうして自分以外の誰かに自分の行動を見てもらいプレッシャーをかけることで、惟念はその決意を確固たるものにしていったのです。
ですが、一方の仇人の方はどうでしょうか。仇人は惟念の身の上を聞いた後、あたかも彼の心の中を見透かしたように、「我らを許して安居を続けられようとも、現在親の敵を眼前に置いては、所詮は悟道の妨げじゃ。妄執の源じゃ。心事の了畢
などは思いも及ばぬことじゃ。」と述べています。恐らく、仇人は惟念が何故自分に身の上を明かしたのかを理解していたのでしょう。そして当然ながら、自分の事を信用していない者から自分を信用してくれと言われても、信用出来ないのは無理もない話です。こうして仇人は惟念に対する疑いの心を募らせていき、彼を殺そうという気持ちにまで至ったのです。

ある恋の話ー菊池寛

著者はある時、自身の妻の祖母から誰にも打ち明けた事のない、恋の話を聞かされることとなります。というのも、彼女はそもそも借金の抵当といった形で酷い男と結婚し、死別したという経験から、男という生き物から一線を引いている節がありました。ところが、ある時彼女は染之助という役者の舞台を見たことをきっかけに、彼に恋をしてしまいます。さて、彼女は彼のどういったところに惹かれていったのでしょうか。

この作品では、〈表現と表現者を区別しつつも、それらの関係性に目を向けずにはいられなかった、ある町女房〉が描かれています。

まず、上記のように祖母は染之助に恋をしたはいいものの、ある日を境に彼女は彼に幻滅してしまいます。祖母は舞台以外での、実際に生活している彼の姿を目の当たりにした時、彼を「少しどす黒い頬のすぼんだ、皮膚のカラカラした小男」と嫌悪したのです。この体験から彼女は、自分は「染之助と云うような役者ではなく、染之助が扮している三浦之介とか勝頼とか、重次郎とか、維盛とか、ああした今の世には生きていない、美しい凛々しい人達」に恋をしていたのだと考えるようになっていきました。つまり、彼女は彼そのものではなく、染之助が表現している人物たちに恋をしていたのです。
ですがそうは理解しつつも、染之助の一座が上方へ帰る事になると、これまで彼との現実的な関わり合いを拒んでいた彼女も、「今まで自分の眼の前にあった華やかなまぼろしが、一度に奪い去られるような淋しさ」から、彼からの袱紗包を受け取ることにしたのです。更に、その中に入っていた手紙を読んで、彼に会いに行ったというではありませんか。一体これはどういうことでしょうか。
確かに彼女は、染之助そのものではなくて、彼が表現している役を好んでいたのは事実です。そして、それは彼女の中で舞台と現実との間にある境界によって区別されていました。ですが、彼がその土地を去ろうという時、その境界にヒビがはいってしまいます。何故なら、舞台の中の染之助と現実の染之助とは、彼女の中で区別され独立はしているものの、結局は舞台の役をつくっている人物は現実の彼そのものな訳ですから、当然彼がその場を去れば、自然と舞台の彼も姿を消してしまうことになります。だからこそ、彼女は自身がつくった境界の間で心揺らぎ、彼に会うことを決心していったのです。まさに、表現者と表現とは独立はしているものの、一方ではある繋がりを持っていると言えるでしょう。

2012年2月23日木曜日

仇討禁止令ー菊池寛

幕末の時代、当時徳川宗家と親しい間柄であった高松藩では、幕府存続派と朝廷帰順派に分かれて議論が行われていました。ですが、成田頼母率いる幕府存続派の圧倒的な勢力によって、藩のあり方もそちらに傾いている様子。そこで、朝廷派の小泉主膳とその有志達は、ある晩頼母の首を打ち取ることを決意します。その中にいた天野新一郎という男は、成田家と親しい間柄にあり、頼母の長男、万之助は彼を慕っており、娘のお八重とは結納が取り交わされていました。彼もその事に関しては辛いものを感じてはいますが、同時に大義の前では仕方がない事だとも考えていました。やがて、彼らは見事成田頼母の首を打ち取る事に成功します。ですが、この出来事が後の新一郎を一生苦しめる事となってしまうのです。

この作品では、〈夢を追い求めるあまり、かえって自らの倫理によって身を滅ぼしてしまった、ある男〉が描かれています。

まず、上記の一般性をより理解する為に、その後の物語を新一郎の心情を中心にして追っていきましょう。
その後彼は頼母を殺した事に耐えかねて、成田家からやがて足を遠ざけてしまいます。ですが、これは何も殺人そのものに罪悪を感じているわけではありません。むしろ頼母を殺した事は大義、つまり自分の夢を実現するにあたって致し方ない事だったと考えています。では新一郎は一体何に耐え切れなくなり、成田家を離れていったのでしょうか。それは、頼母の息子娘である、万之助、お八重の彼に対する扱いに他なりません。というのも、新一郎の倫理で考えれば、自身の夢の為致し方ないとは言え、自分は彼らの父を殺した身であり、彼らに憎まれる事は仕方のない事だと考えていました。ですが、その一方で弟は父を殺した相手を憎みながらも彼を慕っていますし、姉は彼を愛してすらいるのです。こうした扱いからくる矛盾が彼を苦しめる為に、新一郎は姉弟のもとを離れなければならなかったのです。
しかし、そんな彼の思いなどいざ知らず、姉弟は彼がその身を置いている東京へと向かい、やがて彼の厄介になります。そして、彼らは単に新一郎をたよって上京してきた訳ではありません。姉のお八重は彼恋しさに、弟の万之助に至ってはなんと父の仇を打つために彼のもとを訪れたというではありませんか。ですが、「新日本の民法刑法などの改革に、一働きしたい野心もあった。」という一文からも理解できるように、彼にはまだ夢があります。そこで彼は自身の倫理観からくる苦しさに耐えながらも、どうにか弟の復讐心だけでも改心させることで、少しでもその苦しさから逃れようと考えます。当初彼は仇討禁止令が出れば、万之助も復讐を諦めるだろうと考えていた節があります。ですが彼の決意は固く、仇討が禁止されて自分の命と引き替えになってでも、敵を打つことを新一郎に伝えます。そして、この決意が彼の心を更に苦しめ、やがて不治の病へと追いやってしまいます。そして、彼は自分の命を限界を知り、これ以上は夢を追えないことを理解すると、自害してはじめて自分の倫理に従い、遺書に全てを書き記したのでした。

2012年2月21日火曜日

青木の出京ー菊池寛

最近になって世間からその才能を認められはじめてきたもの書き、雄吉はかつての畏友、青木との再会を果たします。ですが、彼らには並々ならぬ因縁があるらしく、目を合わせるなり、一方は怒りと恐怖を、もう一方はそれに対する反抗と憐憫を感じている様子。一体、彼らの過去に何があったのでしょうか。
事のはじまりは、彼らが高等学校に在学している時のことです。当時、雄吉は勉学に優れており、極度に高慢な態度をとる青木に、異常なまでの尊敬の目を向けていました。しかし青木の実家が破産した為に、彼は金銭的な支援を受けれなくなってしまいます。そこで雄吉は、自分が書生として住まわせてもらっている、近藤家の主人に彼の救済を頼みました。こうして、青木は雄吉と共に近藤の家で起臥することになりました。
そんなある日、雄吉は青木から百円の小切手を受け取り、現金を引き出す事を頼まれます。実はこの小切手は近藤の主人のものなのですが、青木は自分の仕事によって稼いだものなのだと言って彼にそれを渡しました。しかし後にこれは近藤の主人にばれてしまいます。ですが、雄吉はまたしても青木への尊敬の念から、全ての責任をかぶり、近藤の家を去っていきました。ところが、青木はその後も近藤家の貴金属を持ちだして、家を追い出されてしまい、彼の好意を踏みにじってしまいます。
以来、雄吉は青木に対して並々ならぬ憎しみを抱いているのです。ですが、一方の青木も雄吉に何処か挑戦的なところがあり、やがては彼よりも精神的に優位に立っていきます。一体、何故雄吉は青木に圧倒されていったのでしょうか。
この作品では、〈自らすすんで恩を売った為に、かえって仇で返されなければならなかった、ある男〉が描かれています。
まず、この作品の問題を紐解く為に、雄吉と青木の力関係を整理しながら作品を振り返っていきましょう。
もともと、雄吉は自分よりも勉学に優れていた青木に対して、狂信的と言って良い程の尊敬の念を抱いていました。彼は青木の為ならどんな事でも、例え自分に見返りがなかったとしても彼に尽くしていました。一方の青木は、彼を無論対等とは見ておらず、寧ろ彼を見下していました。この時、青木は雄吉よりも力が上だということになります。
ところが、青木の悪事が近藤の主人にばれて、雄吉が青木に変わって自分が全ての罪をかぶろうとする場面から、この力関係は逆転していってしまいます。この時、雄吉の心には彼への同情と、これまで自分を見下していた青木が自分に哀願している快感とがありました。やがて、彼のこうした快感は膨れ上がり、「俺は貴様の恩人だぞ、貴様の没落を救ってやった恩人だぞ。俺のいうことに文句はあるまいな」と、彼は恩を武器に青木に対して高慢な態度をとるようになっていきました。では、青木の方はどうだったでしょうか。恐らく、雄吉の申し出を受け入れた時は良かったのでしょうが、その後の雄吉の態度は元来高慢な彼にとって、とても堪えられるものではなかったことでしょう。彼に対して謙っている一方で、屈辱を感じていたに違いありません。ですが、雄吉に恩がある限り、青木は彼に対して優位に立つ事はできません。だからこそ、彼は雄吉への恩を仇で返し、その立場を一度元に戻す必要があったのです。まさに雄吉は自ら進んで恩を売った為に、青木に仇で返されるという災難を自ら招いてしまったのです。
そして六年経った今でも、雄吉がその当時の裏切りに対して怒りを感じているのと同じく、青木も彼に屈辱を与えられた事を根に持っており、彼を追い詰めていったのです。

2012年2月19日日曜日

船医の立場(修正版2)

日本がまだ鎖国政策をとっている時代、武士である吉田寅次郎と金子重輔は、どうにかしてアメリカ船に乗り込もうと苦心していました。彼らの目的は、そうしてアメリカに渡る事でその技術を学び、日本からアメリカ人を追い払うことにあるのです。そして数々の苦難の末、彼らは漸くアメリカ船、ポウワタン船へ入船するこに成功します。
一方、そのポウワタン船では、この日本人二人をめぐって激しい議論が展開されていました。というのも、彼らのアメリカに対する熱意に感心した副艦長、ゲビスは是非とも彼らをアメリカに招くべきだと主張する一方、提督であるペリーをはじめとするその他の人々はこの意見に反対していたのです。しかしそれでもゲビスは諦めず、彼らはここで自分たちが断れば、日本の厳しい法律によって死ぬことになる事を覚悟して乗り込んでいるのだが、それでも何か感じるところはないのかとペリーらに問いかけます。そしてこの彼の熱弁は、次第に周りの人々の心を動かしはじめます。ですが、船医であるワトソンの次の一言がその流れを変えました。彼は日本人の一人が皮膚病を患っている事を思い出し、その病気が未知数のものである以上、医師として乗船は許可できないと言いました。これには流石のゲビスも言葉を失い、アメリカ人達は日本人達を下船させることにしました。
ですが、実際にその日本人達の処刑の一端を見たアメリカ人達は、改めて彼らに関して検討し、提督であるペリーはその時の自分の判断を反省して、彼らを全力をもって助けると意気込み出します。一方、船医であるワトソンだけは悄然として、船の文庫へと歩いて行きました。

この作品では、〈感情を優先できないことに苦しさを感じながらも、結局は立場によってそれを抑えなければならなかった、ある船医〉が描かれています。

では、この作品のテーマにもなっている船医ワトソンの心情をより深く理解する為に、もう一度二人の日本人に関するアメリカ人達の議論を振り返ってみましょう。まず、副艦長のゲビスは二人の日本人達の熱誠に心打たれ、アメリカへと連れて帰るべきだと主張していました。言わば彼は自身の感情にそのまま従ったことになります。そして、このゲビスが感じていた日本人に対する思いというものは、他の人々も大なり小なり持っていました。しかし、ペリー提督をはじめとするゲビス以外の人々は、日本人達を受け入れる事は日本政府を刺激する事でもあり、日本に開国を求める自分たちの立場としては、それは避けるべきだと述べています。つまりこのアメリカ人達の議論では、彼らの感情を優先する心と立場を優先する心とがせめぎあっているのです。そして、このせめぎあいに終止符を打ったのが、船医ワトソンの一言でした。この彼の放った「彼の青年の一人は不幸にも Scabies impetiginosum に冒されている。それは、わが国において希有な皮膚病である。ことに艦内の衛生にとっては一つの脅威である。」という一言によって、アメリカ人達は日本人達を拒絶する事を決定しました。
ところが、二人の日本人が実際に処刑されている姿を見た途端、彼らは再び自分たちの判断を検討します。その際、提督ペリーは「そうだ。君の感情がいちばん正しかったのだ。」と、立場よりも感情を優先させるべきだった事を認め彼らを日本の法律から救うことを心に決めます。
しかし、医師であるワトソンは提督のようには振る舞えず、心の痛みにも堪える事ができませんでした。彼は医師という立場上、日本人二人に対して重要な決定を下すための決め手を言い放ったにも拘らず、その立場故に彼らの為に出来る事を見い出せずにいたのです。ですが、その一方で日本人達への申し訳なさだけが募っていき、「彼の心には Scabies が、この高貴にして可憐な青年の志望を犠牲にしなければならないほど恐ろしい伝染病であるかどうかが、疑われてきた」と、次第にその時の自分の判断にすら自信が持てなくなっていきます。そこで彼は、せめて医師としての立場に責任を持つために、船の文庫へ向かい自分のその時の判断が正しかったのかどうかを調べる事にしたのです。

2012年2月14日火曜日

船医の立場(修正版)

日本がまだ鎖国政策をとっている時代、日本人である吉田寅次郎と金子重輔(じゅうすけ)は異国からきた黒船に乗り込む事を計画していました。彼らはそうして船に乗り込み、外国へ渡りその文化を知ることで異人を追い払おうと考えたのです。やがて、彼らは様々な苦難を乗り越えて、黒船に乗り込むことに成功します。
一方彼らが乗り込んだ黒船、ポウワタン船では、彼らを巡って会議が開かれることとなります。副艦長のゲビスは二人の日本人の熱意に動かされて、彼らを受け入れるべきだと主張します。ですが、提督であるペリーと艦長は、彼らを受け入れる事は日本政府を刺激する事になり、開国を求める自分たちの立場を危うくする危険性があると主張するのでした。しかし、それでもゲビスは二人に、この日本人たちは自分たちに追い返されてしまえば処刑される事を覚悟でこの場にいる事を告げます。この彼の主張に二人は何も言えなくなってしまい、提督は苦しまみれに他の者に意見を求めはじめます。すると、船医であったワトソンは、二人の日本人のうち一人が疥癬(しつ)という皮膚病にかかっている事を思い出します。そしてこれはアメリカでは珍しい病気であり、船内での感染は脅威にもなり得るというのです。結局一同は彼の言葉を信じ、二人の日本人を追い返す事にしました。
ところが、彼らは実際に罰せられている彼らの姿を目の当たりにした途端、その時の判断をもう一度検討しはじめます。そして、その決定的な言葉を述べたワトソンは、心の苦痛を抑えるために、文庫の方へ向かっていくのでした。

この作品では、〈感情に振り回される事なく、最後まで自分の立場に責任をもとうとした、ある船医〉が描かれています。

まず、物語の中で、会議に参加したアメリカ人達はある共通した心の悩みを持っていました。それは、自身の感情を優先させて二人の日本人を受け入れるべきか、或いは立場を優先させて彼らを拒絶すべきかということです。この問題に際して、副艦長のゲビスはしきりに己の感情に従い、彼らを受け入れるべきだと考えています。それに対して、提督や船長の意見は、確かに自分たちも日本人達の気持ちは痛いほど感じてはいるが、まずは現実的に自分の立場を考えて行動すべきであると述べています。やがて議論の末、ワトソンの「船医として」の一言が決め手となり、彼らは全員が一応はそれぞれの立場を優先させることとなります。
しかし、その日本人二人が実際に罰せられる一端を見て、彼らは再び上記の問題を考えはじめます。それでは、この時の彼らのそれぞれの反省に注目してみましょう。まず、提督のペリーはこうした現実を知り、「君の(副艦長ゲビスの)感情がいちばん正しかったのだ。君はこれからすぐ上陸してくれたまえ。そして、この不幸な青年たちの生命を救うために、私が持っているすべての権力を用うることを、君にお委せする」と述べています。つまり彼はそれまでの自分の考えを否定し、副艦長の考えを全て採用しようとしています。ここから、彼は感情か立場かと問題に対してどちらか一方を採用し、どちらか一方を切り捨てるべきであるという考え方をしていた事が理解できます。それでは、この問題に対して決定的な言葉を放った人物、船医のワトソンはどうだったでしょうか。彼はこの事実を知ると、誰よりも自らの言葉に責任を感じ、果たしてその時の自分の判断は正しかったのか、もしかしたら日本人が持っていた病気は大した事はなかったのではないか、と自ら審査をはじめます。そうしてその揺れ動きを感情で解決しようとはせず、あくまで「医師として」自分の判断に責任を持つため一人書庫へと向かいます。つまり彼はこの問題に対して、立場は優先すべきものであるが、自身の感情はその立場に支障をきたさなければそれを遂行しても良いと考えています。ワトソンは提督のように、あれかこれかで考えていたのではなく、あくまで自分の立場にかえった上で自分の感情というものを考えており、そう考えているからこそ、他の人物たちよりも一層その問題に対して深く悩んでいるのです。

2012年2月11日土曜日

船医の立場ー菊池寛

日本がまだ外国と自由に貿易をしていなかった時代、武士である吉田寅次郎と金子重輔(じゅうすけ)はどうにかしてアメリカ船に乗り込めないかと試行錯誤していました。彼らは、そうして外国へ渡りその技術を盗む事で、外国人を追い払おうと考えていたのです。そして数々の苦難を乗り越えた末、やがて彼らは念願のペリー提督が乗っているアメリカ船、ポウワタン船に乗り込むことに成功します。
一方、彼らが搭乗したポウワタン船では、この二人を受け入れるか否かをペリー提督と艦長と副艦長を中心に会議が開かれていました。まず艦長と提督の主張では、現実的に考えて彼らを受け入れる事は日本政府を刺激する事になり、二国間の友好関係を悪化させる恐れがあるというのです。ですが、副艦長は二人のアメリカの文化に対する関心は本物であり、二人を受け入れるべきだと主張しているのです。そして彼は、そもそも自分たちは閉鎖された日本国の人々を解放することが目的であり、提督らの主張はそれとは矛盾している事を指摘しました。この弁には提督も感動してしまい、何も言い返せなくなってしまいます。やがて提督は、苦しまみれに「ほかに意見はありませんか。」と、他の者に助けを求めはじめます。すると、船医であるワトソンは、その日本人の中の一人の手指に腫れ物があったことを思い出します。これは、寅次郎が旅先である女中に感染された、疥癬(※しつ)と呼ばれる皮膚病だったのです。そして、彼らの国ではこの病気が珍しい事を理由に、ワトソンは彼の皮膚表を脅威と見なし、彼らを受け入れる事を拒否すべきだと主張しました。この彼の一言によって、結局、寅次郎と重輔は船から追い出されてしまいます。
その三日後、アメリカ船に乗った日本人二人はその罰として、その首を切断される事になってしまいます。この事態を知ったポウワタン船の一同は、彼らを助けるのだと意気込みはじめます。しかし、そんな中、船医のワトソンはその時の自分の判断に自信が持てなくなり、果たして日本人が持っていた皮膚病が本当に脅威であったかどうかを、改めて調べはじめるのでした。

この作品では、〈正論を認められない為に、別の大義名分を用意して自分の主張を正当化する事がある〉ということが描かれています。

まずこの作品の軸というのは、下記にある、船医であるワトソンが会議の中で発言した一言にあります。

「私は船医の立場から、ただ一言申しておきたい。彼の青年の一人は不幸にも Scabies impetiginosum に冒されている。それは、わが国において希有な皮膚病である。ことに艦内の衛生にとっては一つの脅威(メナス)である。私は、艦内の衛生に対する責任者として、一言だけいっておく。むろん私はこの青年に対して限りない同情を懐いているけれども」

この一言によって、それまで日本人を受け入れる事を主張していた副艦長も、言葉を失ってしまいます。またその事に反対していた提督の方では、「青年の哀願を拒絶するために感ずる心の寂しさを紛らす、いい口実を得た」と考えていました。こうして、彼らは二人の日本人を拒絶することにしました。ところが、実際にその日本人たちが罰せられているところを目の当たりにした事で、ワトソンは自身の上記の主張に疑問を感じはじめ、再びそのそれが正しかったのかどうか、改めて検討しはじめます。つまり、彼はこの発言をした時、「艦内の衛生に対する責任者として」という言葉の裏には別の意味合いがあったのです。そこには恐らく、提督と同じような心持ちがあった事でしょう。だからこそ、彼は日本人を受け入れる事が決定しそうなタイミングで、寅次郎が皮膚病を患っている事を思い出し、それが本当に脅威なのかどうかをまともに審査せず、船医として上記のように発言してしまったのです。そうして彼は結果的に、寅次郎と重輔が罰せられている姿を見た時、良心を痛めて自分の判断を再び検討せずにはいられなくなっていったのです。

2012年2月8日水曜日

尾生の信ー芥川龍之介

この作品では、故事に登場する、橋の下で女と会う約束をした男、尾生が橋の下で彼女を待ち、死ぬまでが描かれています。そして著者は、こうした女を待つ彼の姿にシンパシーを感じている様子。では、彼は具体的に尾生のどのようなところを見て、そう感じているのでしょうか。
この作品では、〈自身が本当に描きたいものを待ち続ける、ある作家の姿〉が描かれています。
まず、この作品に登場する尾生という人物は、女を待っているうちに大雨のせいで河が増水しても尚、待ち続けていた為に死んでしまいました。著者はこの姿が、「この魂は無数の流転を閲(けみ)して、また生を人間に託さなければならなくなった。それがこう云う私に宿っている魂なのである。」という表現からも理解できるように、自身の文学への向き合い方と同じだと考えています。自分が向きあうべき対象が何かは理解できないまでも、そこにある、またはいつかはやってくる事は理解できる。しかし中々それはやってこないし、見える気配すらない。それでも、必ず来るものとして、命尽きるまで頑なに信じ待つ。この随筆では、著者のそうした作家としての苦悩、また覚悟が尾生の姿を通して描かれているのです。

2012年2月5日日曜日

友情送信

私は自分の部屋の中でシャカシャカと鉛筆を動かしていた。この前まで受験生であった私も、すでに大学には合格していた。しかし、それまでの勉強する習慣が身についていた私はなんだがやることがなくて、結局はこうして勉強を続けていたのだった。そこには鉛筆の芯がノートの上を滑る音以外、何もなかった。ただ少しばかり窓の向こう、机の向こうからは何か聞こえていたが、それはきっと私には何も関係のない事なのだろうから、やはり私の部屋には鉛筆以外音というものはそれ以外存在しない。だから、その静寂を破って機械的なメロディがどこからか流れてきた時は、驚きを隠せなかった。よく聴いてみると、それは自分の携帯電話のメールの着信音だということに気がつく。耳をすまして、どこから鳴っているのかを探ってみる。どうやらベッドの方角から鳴っているようだ。そう言えば、今日学校から帰ってきて、携帯を鞄の中にしまった儘にしておいた事を思い出す。私は机から重たい腰をあげて、鞄のファスナーを開けてみる。すると、それはその中の暗闇からチカチカとなんだか怪しい光を放っていた。私はそれを取り出し、折りたたまれていた画面のディスプレイを開いてみる。驚いた。そこには、私と小学校時代を共に過ごした、懐かしい友人の名前が表示されていたからだ。前原優子……。彼女は小学校の途中で転校して少し離れてしまったが、それでも私達はメールやチャット等で連絡を取り合い、その関係を保っていた。しかし、中学校3年生ぐらいの頃、受験勉強が忙しくなるに連れて、自然と彼女との交流は毎日が2日に一度、一週間に一度、二週間に一度という具合に次第に減っていって、やがて途絶えてしまった。しかし、彼女はまたこうしてメールを送ってくれたのだ。久しぶりに彼女から連絡が来たことへの嬉しさ、緊張を抑えながら、早速その内容に目を通す。そこには、なんと彼女はこの春第一志望だった大学に合格し、晴れてこの町に戻ってくるらしい事が、女の子らしい可愛らしい絵文字とデコレーションで書かれてあった。そして、その志望校というのが、偶然にも私がこの春から通うことになっていた大学と同じ所で、私との再会を楽しみにしているというのであった。ますます嬉しくなった。が、それと同時にあろうことか、私はかつての親友に対して警戒心を持ってしまっていた。あれから3年以上の月日が流れたのだ。きっと、私には分からない、彼女とのなんらかのすれ違いがあるのかもしれない。かつて私の周りにいた友達がそうであったように……。しかし、結局私は、彼女からメールがきたことへの嬉しさに従い、メールを返信することにした。そして、私は期待する気持ちを必死で抑えながら、再び鉛筆の音のする世界へとかえっていった。

20XX年3月27日
宛先:前原優子
件名:Re:
ゆうちゃん、久しぶりだね。メールありがとう。なかなか連絡できなくてごめんね。あの後、気にはしていたんだけど、送っていいものかどうか分からなくて、その儘にしてあったんだ。でもまたこうして、連絡撮り合う事ができて、本当にすごく嬉しいよ。ありがとう。
それにねゆうちゃん、実は私もゆうちゃんと同じ大学通うんだよ?これって凄いことじゃない!!?そしたら入学式であえるんじゃないかな?もし会った時は、その時はよろしく。それじゃあ、また学校で会おうね。



入学式当日、私はゆうちゃんと再会を果たした。見た瞬間、すぐに彼女だと分かった。小学校の頃の彼女の面影がそこにはあったからだ。彼女も私の事に気がついたらしく、自分の顔の横で手を降ってくれた。そして、二人はあれこれと最近の近況、高校での事、音楽の話などで盛り上がった。ゆうちゃんは何も変わってはいなかった。相変わらず世間知らずで、人を疑う事を知らないし、愛嬌があって、私にすごく優しかった。何よりもそれが嬉しかった。また再び出会えて良かったと心の底から思えた。でも少し変わった事もあった。ゆうちゃんの体つきは十八歳の女の子らしく、腰は丸みを帯びて大きくなり、それでいて太ももやふくらはぎはスラっとしていて、胸は豊かになっていた。そうした彼女の変化は、女性の私ですら、息をのんでしまうほどであった。私は今日一日、ゆうちゃんとの会話、ゆうちゃんとの時間を楽しんだ。
そして、家に帰った私は早速今日の楽しかった出来事を思い出しながら、ゆうちゃんにメールを送信した。

20XX年4月7日
宛先:前原優子
件名:Re:
ゆうちゃん、久し振りに会えて嬉しかったよ。大人っぽくなったね。なんだ引っ込むところ引っ込んで、出るところ出たっていうか……。兎に角、すごく大人の女の子っぽくなった。女の私ですら惚れちゃいそうだよ(笑)あ、だから変な男に捕まらないようにしないと駄目だよ。ゆうちゃんは性格もいいから、それなりの人を選ばないとね。ゆうちゃんには幸せになってもらわないといけないし。なんてたって、ゆうちゃんは私の大好きな友達なんだからね。


3日後、それは確かゆうちゃんからの365通目のメールだったと思う。急にゆうちゃんは、昔の私たちのかつての友達であった、奈々子や恵とも遊びたいと言い出した。私は返信に困ってしまい、一度携帯を机の上において椅子の上で膝を抱えて考えはじめた。彼女達は私を裏切った者達だった。奈々子は他のグループの子たちと遊び、私の知らない音楽、私の知らない映画に興味を持ってしまい、私から離れていった。恵は中学校を卒業して、化粧を少し覚え、クラスの男の子たちの前で大胆になっていき、私とは距離をおくようになった。やがて、そうした彼女たちの末路を考えていると、急に私は恐ろしくなった。確かに優子は小学校の時と変わらない。だけど、これからはどうか分からない。あれから6年経った彼女は美しく、そして女らしくなった。性格も可愛らしい。そんな彼女を他の男は勿論、女の子ですら放っておくわけがない。そして、そうした事態は今まさに起ころうとしているかもしれない。この儘では、優子も私を裏切った子達のように私から離れていってしまうのではないか。そしたら、私はもうそんな思いには耐えられない。私は頭を自分の膝にうずめながらも、上目遣いで細長い板をじっくり眺めた。どう返信すべきか……。優子は私と彼女たちの間に何があったのか、一切知らない。だから、返信が遅れすぎてしまえば、彼女との仲も気まづくなってしまう。兎に角、メールを返信せねば……。よく考えてみれば、ありの儘を返信したところで問題はないのだ。ただ、彼女さえ、私の傍を離れなければ良いのだ。ただそれだけの話なのだ。そう思い直し、机の上の携帯を手にとって、彼女たちとは高校に入学してからはあまり関わりがなく連絡をとることが気まづいこと、そしてメールアドレスも変わっており連絡が取りづらいこと(最も、これは嘘であり、一方的に私が連絡をとることを避けていた)を打って送信した。返事はすぐに返ってきた。画面の文面を見た時、私はほっとため息をついて、全身の肩の力が抜けていくのを感じた。そこには、たった一言、「そっか、じゃあ仕方ないね。」と書かれてあったのだ。良かった。彼女がこの件に関して、言及しないでくれて本当に良かった。安心しきった私は椅子にいることすら苦しくなって、ベッドへと倒れ込んだ。そして携帯を枕元へと落とし、天井を向いて物思いにふけった。今回は良かった。だが、問題はこれからだ。これから、彼女は様々な人々と出会い、様々な事を経験していく。それは誰にも止められない。だから、彼女がずっと私の友達であるという保証もない。そんな事が許されるはずがない。優子は私の友達なのだ。私の、たった一人の親友なのだ。私は私と彼女の友情を守っていく義務がある。責任がある。私はこの自分の決意を次の一文に打ち込み、その日のメールを終えることにした。

20XX年4月12日
宛先:前原優子
件名:友達だから
優子、優子と私は何があっても友達だからね。

おやすみ。


それ以来、私はゆうちゃんと以前よりもべったりとくっつくようになった。朝学校で会って授業を受ける時も、ご飯を食べている時も、サークル見学の時も。出来るだけ彼女といれる時は、彼女と同じ時間を過ごしていた。ゆうちゃんも私といると、楽しそうに笑って話してきてくれるので本当に嬉しい。だけど、時々少し辛そうな表情を見せる時があるので少し心配でもある。それは私が彼女から目を離した、ほんの一瞬、下を向いて疲れた顔をするのだ。優しいゆうちゃんのことである。きっと私に心配をかけまいとして、そうした表情を私の前で隠しているのだ。
そこで私はゆうちゃんの気晴らしの為、次の休みの日、昔二人でよく遊んだ商店街へ出かける事にした。これには彼女も喜んでくれたみたいで、彼女は遠い目をして、クレープ屋さんの跡地、名前のロゴを新しく取り替えた喫茶店、昔も今も変わらない美容院の店内をきょろきょろと見回していた。私はそうした彼女の何気ない仕草が愛しく感じられた。この儘ずっと彼女と遊んでいたい。この儘ずっと彼女の傍にいられたらどんなに幸せな事だろうか。だから、私は私と彼女との関係を守っていく。守りぬいて見せる。私は彼女のあどけない表情を見ながら、そうした決意の炎を更に激しく燃え上がらせた。
そして家に帰り机に向かっている今も、その炎はめらめらと燃えている。同時に、私はこの時淡い気持ちも持ちあわせていた事もここで告白しておく。シャワーを浴びた私は、早速今日彼女と共に買ったおそろいのTシャツに袖を通していたのだった。それを着ているとなんだか常にゆうちゃんと一緒にいるような気がした。何から何まで彼女と繋がっている気さえした。すると、私の頬は熱くなり、私は机に埋もれて足をバタバタさせずにはいられなかった。もうこうなっては満足に勉強もできないし、寝ることもできない。しかし、何があっても彼女とのメールはやめない。私は彼女に今の気持ちを少しだけメールで告白して、自分の気持ちを落ち着かせようとした。だが、これは逆効果で、彼女にメールを返信すると私は更に、自分の気持ちを抑えつけることができなくなっていった。結局この日、私はゆうちゃんが寝るまでずっとメールのやり取りを続けることとなった。

20XX年5月4日
宛先:前原優子
件名:Re:Re:Re:
ゆうちゃん、今日のデート、楽しかったよ。ありがとう。昔よく行ってた商店街の小物屋さんや、クレープ屋さん、潰れちゃってたのは残念だったよね。でも地元の私ですら、普段あの商店街いかないんだから、潰れたって可笑しくないよね。でも、その分ゆうちゃんとプリクラ撮ったり、ごはん食べたり、お揃いのお洋服買えたから満足。嬉し過ぎて、私なんてもう服に袖とおしてるからね(笑)今日はこれ着て寝ようかな。
ゆうちゃんの方は楽しかった?なんだか最近暗い顔してる時があるから、少し心配してるんだ。だから今日の事が少しでも気分転換になるといいかなと思って、誘ってみたんだよ。何があったかは知らないけど、あんまり無理しちゃ駄目だよ。
また明日、学校で会おうね。おやすみ。



しかし、私のそんな気持ちとは裏腹に、ゆうちゃんは相変わらず苦しそうな顔を見せるのだった。そして、日に日にその表情を見せる回数が確実に多くなっていった。おまけにゆうちゃんは私の知らない友達をどんどん増やしていき、私と同じ授業以外は、毎回別の友達と授業を受けているようだった。毎日続けているメールの頻度だって少なくなってきている。それらの事が私にとって何よりも苦しかった。ゆうちゃんは何を悩んでいるのだろう。何故多くの友達をつくろうとするのだろう。私はゆうちゃんがいればそれで充分。もう他には何もいらない。だけど、彼女の方はそうではないのだろうか。いや、そんな事は決してありえない。だって彼女は笑っていた。私の傍で確かに、昨日も一昨日も笑っていた。そしてこれからも、彼女は私の傍でずっと笑うのだ。だとすれば、彼女の悩みというものは寧ろ、私以外の友人関係にあるのではないか。そうだ。きっとそうに決まっている。少なくとも、私の前では彼女は明るいのだから、きっと他の友達の前ではそうではないのかもしれない。ならば、他の者達から私が彼女を守ってやらなくてはならない。この私が……。
ある日の昼下がり、ゆうちゃんと学校の廊下で話していると、突然知らない男子学生がなれなれしく「ゆうちゃん」と遠くから手を振ってきた。ゆうちゃんも、それに笑顔で応じる。ゆうちゃんがそうした態度をとったことをいいことに、男子学生は晴れ晴れとした表情で私達との距離を詰めてくる。私は彼をきっと睨んだ。しかし、男子学生は気づいているんだがいないんだか、それに構わず、なんと私を無視してゆうちゃんと会話をはじめたのだ。二人は楽しそうに互いの近況、授業の事を話しているようだった。はじめは私も、平常を装ってそれを聞いてはいたのだが、この男子学生の態度、そして彼に向ける彼女の笑顔、更にリズムの良い会話。これらが私の仮面を徐々に剥がしていく。遂に耐えられなくなった私は、ゆうちゃんに「ごめん、先帰ってる」と言い残し、その場を後にした。
帰ってきてからの私は手に負えなかった。まず、背負っていたショルダーバックを床に叩きつけて、携帯をベッドに投げつけた。そして自分もベッドに投げ込んで、顔を埋めて蒲団を片手で殴った。声は決して出さなかった。その代わり、泣きながら散々暴れてやった。そしていつもの私に戻るまでに、結構な時間を要した。
落ち着いてから、私はゆうちゃんとあの男子学生が、あの後どうなったのかを考えた。一緒に授業を受けたのだろうか、一緒に下校はしたのか。もしかして、ゆうちゃんの家に行ったなんて事はないだろうか。私ですら、大学に入ってまだ一度もその敷居を跨いだ事がなにのに、そんな事が許されるはずがない。そう考えると、再び抑えていたものが私の底から湧き出て私を暴れさせた。しかしまた落ち着きを取り戻していった。まだそうと決まった訳ではないのだ。それにゆうちゃんは私の友達だ。友達であるなら、私を悲しませるような事はしないはずである。そうして自分を納得させながらも、不安は完全には拭えなかった。そこで私はゆうちゃんに直接聞いてみることにした。

20XX年5月9日
宛先:前原優子
件名:すごくムカついたんだけど
なんなのあの子?私がゆうちゃんと話してる時に、急に割って入ってきて。ごめんね、突然いなくなっちゃったりして。ちょっと邪魔かなと思って先に帰っただけだから。それにしても、あの子が途中から話しかけなければ、もっと一緒に話せたのに……。ゆうちゃんも、そう思うよね?その後、あの後どうしたの?あの男の子と一緒に遊びに行ったのかな?ちょっと心配。あの子、きっと下心があって、ゆうちゃんに近づいているんだもん。だってずっとゆうちゃんの唇や胸ばかり見てたんだもん。汚らしい。だから、もうあんな子と付き合うのやめときなよ。ゆうちゃんには……私がいるじゃん。それで充分じゃん。

送信した後、中々返信が来ない。勉強しても、読書しても、好きな音楽を聴いて気を紛らわそうとしても駄目だった。何度も何度も、携帯のディスプレイを見てしまう。結局、彼女のからメールがきたのは私がいつも寝る時間になってからだった。そこには、あの後すぐに帰ったこと、彼とは何もないことが書かれてあった。充分満足のいく返信ではなかったが、そのメールは私を幾分か安心させた。私はすぐにおやすみのメールを打ち、蒲団にくるまった。蒲団にくるまりながら、私はこれからはより彼女と一緒にいる時間を増やさなければならない事を悟った。この儘では駄目である。この儘では優子を私以外の誰かに奪われてしまう。だから、今まで以上に彼女と時間を共にすべきなのだ。例え、それで授業の単位を落とすことがあっても仕方がない。私には彼女が必要なのだ。私は再びそう決意し直し、朝を待った。



しかし、優子からのメールはそれ以来来なかった。電話にも出なかった。学校でも彼女を探した。しかし、彼女はいつも私の知らない友達に取り囲まれていて、中々話す機会を得られなかった。仕方がないので、私は何通も何通も何通もメールを打ち、何度も何度も何度も電話をした。

20XX年5月11日
宛先:前原優子
件名:どうしたの?
ゆうちゃん、昼間電話したんだけど、でなくて心配してメールしてみました。大丈夫?何かあったの?困ってることがあったら、なんでも相談してね。メール待ってるよ。

20XX年5月12日
宛先:前原優子
件名:どうしたの?
ゆうちゃん、メールや電話には気づいているよね?気がついたら連絡してきてよ。心配してるんだよ。お願いだから連絡して!!

20XX年5月12日
宛先:前原優子
件名:優子、
どうして連絡くれないの?私に話したくない事でもあるの?何があったの?お願いだから連絡頂戴!!!心配してるのが分からないの!?友達なら連絡してよ!!



そして、遂に彼女から連絡がきた。それは彼女とのメールが途絶えて、一週間程してからの事であった。これには私も驚いた。それと同時に、そこには今更メールを寄越したのかという思い、散々人を心配させたことへの思い、やっと返信がきたことへの思いと様々なものがあった。そして肝心の中身だが、そこには「一度会って話をしよう。1時に学校の食堂に来て。」とあった。私はすぐに支度をはじめた。その最中、私の目にあるものが飛び込んできた。それは私に何か訴えているような感じがした。「万が一の為、持っておいたいいのかもしれない。」そう思った私は、ズボンのポケットにそれを突っ込んで部屋を後にした。
彼女が指定した時間は、丁度学生たちが授業に向かう時間であり、食堂の学生たちの人数が少なくなる時間でもあった。食堂に入ると、私はすぐに優子を見つけることができた。彼女は建物の角の、丁度食堂全体が見渡せるところにいた。そこは食堂の中でも優子のお気に入りの席でもあった。彼女の顔は相変わらず、小さくて、スタイルも良くて可愛らしい。そして彼女の着ていた白いワンピースは、彼女の持っているふわふわした、また柔らかい雰囲気をより引き立てていた。私は彼女に近づいて行くも、未だどういう顔で彼女に会えばいいのか、その心構えはだまできていなかった。どうやらそれは彼女も同じようであった。私を見つけた彼女顔は笑っていたが、唇の辺りの皺がひきつっている。それに応じる私もやはり、笑っているものの目線を少し下に下げる。
「なんだか久しぶりだね。」
と、まずは彼女から話しかけてきた。
「そうだね、元気だった?」
彼女はただコクリと頷くだけだった。その後、私は彼女が口を開くのを待った。というのも、彼女は私に何か話したい事があるらしく、口をもごもごさせている。やがて彼女の口は少しだけ開いた。
「あのね。」
私は手に汗をかいた。生きている心地がしない。センター試験の時よりもはるかに緊張していた。息が止まりそうだった。そんな私の気持ちを察してか、彼女も話したい内容まで行きつくには時間がかかった。
「あの、前からずっとずっと言おうと思っていたんだけど、なんていうか、どうしても言い出せなくて。でも言わなきゃ駄目って思ったからこうして話しにきた。」
「……うん。」
そして、こう言った。
「メールするの、正直つらいっていうか、しんどいっていうか……。はじめは楽しかったんだ。でも、段々あっちゃんの気持ちについていけなくなったっていうか、なんていうかさ。だから、……連絡暫く取らないで欲しい。ちょっとだけ、だから。ちょっとだけ、ね?」
「……うん。」
「別にあっちゃんの事嫌いになったとかじゃないのね。ただね、ちょっと疲れてんだ最近。それで、ちょっとメールするの、しんどくなっちゃって……。」
「……うん。」
「でもほら、元気になったらあたしからメールするし。ずっとじゃないから。ごめんね、私の都合で……。」
「……うん。」
私は優子の言葉を一切聞いていなかった。優子はそんな私をよそに、あれこれと話の方向性を変えて、次々と言葉を並べ立てている。こうして私は彼女に裏切られるのか……。いや、彼女に決定的な言葉を言わせない。そして、これからもそんな事は言わせないし思わせない。そう考えた私は、「万が一の為」に持ってきたものをポケットから取り出し、優子に切りかかった。優子は「ヒャッ」と声を裏返らせながら、それを防ぐようにして手を出してきた。その腕からは赤い血がまるで線でも引いたように浮き出てきた。そして彼女は椅子から転げ落ちたかと思うと、酔っぱらいのようにふらふらしながら食堂を走り去っていった。私はゆっくりと、まるで何かにとり憑かれたかのように椅子から立って彼女を追った。そして、漠然と「いつになったら捕まるのだろう」という事を考えていた。こういう時、勇敢な男子学生が私をすぐに取り押さえてもよいものである。しかし、意外に誰も私の事など止めようとはしない。取り押さえられたのは、結局事が起こって数分経ってた後であった。取り押さえたのは、ある中年の教授であり、彼は「手に持ってるもんを捨てて、こっちに来い。」という、なんだか間の抜けた台詞を吐いた。だが、この時の私は頭にのぼっていた血も少しは引いたのか、すんなりと彼の言うことを聞いたのだった。

それからが大変だった。私はまず大学の学長のもとに行き、あれこれと説教された。もともと周りの大人たちに取り入る事が上手だった私は、あえて学長の言うことに逆らわず、じっと話を聞き、相槌を打ち、涙を流した。そして私の両親と、優子の両親がやってきた。私は自分がありの儘に思っている事のほんの一部をそこで話した。私の親は泣き崩れ、優子の母親は私を睨みながら泣いていた。ただ、彼の父親だけは複雑そうにしている。実は優子の両親とは面識があり、彼女の父親とは何度か話もしたことがある。それだけに彼女の父にとって、私が実の娘を傷つけたことが信じられなったのだろう。私は彼に取り入るために、彼らの前で両親と共に謝罪の言葉を、出来るだけ誠意を込めて述べた。そして、私のそうした試みは上手くいったらしく、私が退学する事を条件に、彼らは私を訴える事を取りやめてくれた。こうして、私は優子に対しての友情を確かなものにすると共に、自身の社会的な立場をも守ることができたのだ。これで優子も私から離れたり、誰かにその事を相談しようなどとは考えないだろう。私は再び、優子に向けて新たなメールを送信することにした。彼女は新しくアドレスを変えていたらしいが、私はそのアドレスを奈々子か恵かどちらかが知っていると考え、彼女たちから優子のアドレスを聞き出すことにした。案の定、その予想は的中した。菜々子は返信も返してくれなかったが、恵はすんなりと何も言わず、彼女のアドレスを渡しに教えてくれた。アドレスを受け取ると、私は早速優子に対して、メールを打つことにした。


20XX年5月20日
宛先:前原優子
件名:優子
この前はごめんね。手の傷、まだ傷んでるかな?はやく治るといいね。ねぇ優子、これで分かったよね?私たち、何があっても友達だからね。何があっても……。