2012年12月7日金曜日

トロッコー芥川龍之介

 小田原熱海間で鉄道の工事がはじまった頃、8歳になる良平はトロッコ見たさに度々現場に通っていました。そしていつしか、自分も土工と共にトロッコに乗ってみたいと思うようになっていきます。
 そんな良平の願いは突如として叶えられました。彼はある日、現場にいた2人の若い土工に「おじさん。押してやろうか?」と声をかけた事で、念願のトロッコに乗る機会を得る事になるのです。ですが土工についていくうちに、はじめは楽しかったものの、時間が経ち徐々に遠くへ行くにつれて、不安がこみ上げてきます。
 ところが土工達はそんな良平の不安をよそに、なんと帰り道は別だから1人で家まで帰りなさいと言うではありませんか。そこで彼はなんとも言えない心細さを感じながら、自分の家まで帰っていきました。
 あれから長年の月日が経ちました。良平は上京し、妻子を持ち、職も持っています。ですが塵労に疲れた彼は、その時の心細さを感じながら日々を過ごしています。一体彼は何故、現在においてそれを感じているのでしょうか。

 この作品では、〈未知の世界を1人で進むことに不安を感じている、ある男〉が描かれています。

 上記の質問に答える前に、一度良平が1人で家まで帰る場面の彼の心情を整理してみましょう。彼は家まで1人で帰らなければならない事を知った時、「もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――」を悟りました。この事実は8歳だった少年に、どれ程の心細さを与えたことでしょう。それを顕著に表している一文が下記にあたります。

「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷(すべ)ってもつまずいても走って行った。

 1人で暗くなっていく中、殆ど歩いたことのない道を1人で帰らなければならなかった良平は、身の危険すら感じています。それは良平が無事帰宅してからも、暫くはおさまりませんでした。
 そして社会に出てからも、良平はこれと似たような感覚を感じています。というのも、恐らく彼には、社会という未知の世界が自分を生命を脅かす対象として見えているのでしょう。また人生を共にしている妻子はいるものの、それらと常に一緒にいる訳ではありませんし、何より自分1人がそれらを養っていかなければなりません。ですから、孤独と不安に耐えている彼は自身の生活の中に嘗て彼が少年だった頃、死ぬ思いをしながら通った道の続きを見出していくようになっていったのです。

2012年12月1日土曜日

てがみーアントン・チェーホフ

 10歳もに満たない少年、ユウコフは嘗ては母と2人でマカリッチという男の、村の裕福な家庭に住み込んでいました。ですが母が死んでしまいお金を稼がなければならなくなった彼は、3ヶ月前から靴屋のお店で奉公していました。しかしその家での自信の扱いの悪さに、ユウコフは次第に萎えられなくなっていき、ある時マカリッチ宛に手紙を出すことにしたのです。彼はそこに日頃自分が受けている仕打ちの数々、またマカリッチのもとでどうしても働きたいという思いを綴りました。そしてそれを書いてポストに入れてしまうと、彼は淡い希望を胸に抱きながら安らかに眠っていったのです。

 この作品では、〈不幸な暮らしから救われる事を信じている少年が、絶望する未来〉が描かれています。

 この作品は上記にある通り、9歳の少年ユウコフが日頃の不幸な暮らしに耐えかねて、嘗て自分を住み込ませてくれていたマカリッチに対して、その思いを手紙に綴る姿が描かれています。そして彼がポストに手紙を入れたその時、彼と私達読者はホッと息をついた事でしょう。ですが、物語の終盤にある、下記の一文に注目して下さい。

 だが、あんな上がきでもつて、マカリッチさんのところへつくでせうか。

 この一文によって、読者たる私達は、ユウコフの暗く閉ざされた未来(マリッチに手紙が届かず、不幸な日々を送り続けるユウコフの姿)を想像せずにはいられなくなって行く事でしょう。これこそがこの作品の最大の狙いなのです。作者たるチェーホフは、あえて自ら少年の一連の不幸な出来事を全て書かず、必ず近い将来に裏切られるであろう期待を少年が夢見ている姿だけを描くことで、かえってこれから待ち受ける彼の不幸を鮮明に描くことに成功しています。
 そしてこの彼の作家としての手法は、日常の私たちの精神のあり方をうまく利用しています。例えば、私達が小学生ぐらいの年齢だった頃は宿題をやっていなかった時などは、お父さんやお母さん、学校の先生たちに叱られる事がとても怖かったはずです。ですが叱られる事を想像している時間と、実際叱られている時とでは、前者の方が堪えられないものがあったのではないでしょうか。これは、前日には確実に起こりうるはずの出来事に注意を払うあまり、かえって現実に起こりうる事以上の恐怖を私達自らが想像してしまっていたのです。
 そして物語の私達の見方としても、同じ現象が起こっています。私達は少年ユウコフに感情移入すればする程、彼の描く将来が裏切られた時の彼の心の痛みをどんどんと膨らませずにはいられなくなっていくのです。