2012年9月30日日曜日

花のき村と盗人たちー新美南吉(未完成)

 昔、花のき村という村に盗人と、その4人の子分がやってきました。彼らははじめこの村に盗みをはたらく為にやってきたのですが、盗人がある子供から牛の子を預かったことをきっかけにその考えが変わっていきます。というのも、盗人はこれまで誰かに信用されたことは一度もありませんでした。ですから、彼は子供が自分を信用して牛の子を預けてくれたことに関して、大変感動したのです。ですが盗人に牛の子を預けた子供は、一向に盗人の前に姿を見せません。そこで彼らは役人のところに行って、牛の子を預かってもらうことにしました。しかしそこで役人と仲がよくなった盗人は、自分が盗人であるということを隠すことが忍びなくなり、遂にはこれまでの罪を自ら役人に話してしまいます。
 こうして村の平和は保たれたわけですが、そのきっかけをつくった子供の正体は結局分かりませんでした。果たして、その子供は一体どこの誰だったのでしょうか。

2012年9月27日木曜日

登つていつた少年ー新美南吉

 一年に一回の学芸会が近づいてきた頃、ある小さい村の学校の先生は、そこで行う予定の対話劇の主役を誰にするかで悩んでいました。一方の子供達の間では、頭の中で2つの名前を思い浮かべでいました。一人は貧しい家の生まれでありながら才能と自信に溢れている杏平、そしてもう一人は、裕福な家庭に育ち先生からの信頼を得ていた全次郎。
 ですが杏平本人は自分が主役に選ばれる事を強く信じており、決して自分からは立候補しません。果たして彼の自信とはどこからきているのでしょうか。

 この作品では、〈他者よりも秀でた実力を持つが故に、他者よりも強い自信を持つことができた、また他者よりも強い自信も持つが故に、他者よりも秀でた実力を持つことができた、ある少年〉が描かれています。

 この作品は、学芸会の主役を先生が選考しており、それを杏平が自信をもって沈黙している場面と、子供達と木のぼりをして杏平が他者よりも高い場所まで登っていく場面の2つで構成されています。そして前者では彼の強い自信から沈黙を守っている事から、彼の自信の面が強くその場面にあらわれていることが理解でき、後者では実際に他の子供達よりも高い位置に登り、自身の実力を見せつけている事から、彼の実力があらわれていることが理解できます。
 こうして整理してみると、この2つの場面はそれぞれ独立しており、彼の大きな2つの性質を描いているに過ぎないと考えてしまうかもしれません。ですが、下記に注目してくだい。下記はそれぞれ、沈黙を守りきった後と木のぼりをしている最中の一文を抜粋しています。

校門を出てからも杏平の自信はくづれなかつた。杏平には自分の期待が裏切られるやうな経験はかつて殆どなかつたので、さういふことを想像することが不可能だつた。

杏平は恐怖を感じなかつたわけではない。しかし杏平の中にある不思議な力がどんどん彼をひきあげてゆくのである。

 はじめに第一文は、杏平はこれまでの事を想起して、改めて自分の実力を確認して今度も主役に選ばれるであろうという自信をつけています。ここから彼ははじめの場面において、自身の実力が彼の自信を裏付けているということが言えるのです。
 そして第2文では、杏平は地面から離れていくことに恐怖を感じながらも、何らかの力(自信)が彼を支えて他の子供達との実力の差を見せつける事に成功出来たと言えるのでしょう。
 ここまで話を進めると2つの場面の見方も変わってくる事でしょう。この2つの場面はそれぞれで杏平の自信と実力を積極面として描きながらも、その裏ではそれぞれがそれぞれを支えています。2つの性質は独立してそれぞれ存在しているのではなく、それぞれが支えあっているからこそ、杏平の性質として成立しているのです。

2012年9月20日木曜日

童話における物語性の喪失ー新美南吉

 この作品では著者が昨今の新聞社やラジオ局の物語の作品募集のやり方について、物申しています。というのも、それらのあるやり方が物語の面白さを失わせ、物語でなくしているというのです。では、それらの具体的にどのようなやり方が、そうさせているのでしょうか。

 この作品では、〈あらゆる物語の重要性は、形式よりも内容にある〉ということが主張されています。

 上記にある、著者が物申したいあるやり方とは、作品に対する制限、特に文字数に関して物申しています。そもそも書き手の側からすれば、作品の重要性は文字数などといった形式にあるわけではなく、言うまでもなくその内容にあります。それを文字数を制限される事によって、その内容の重要性が希薄になり、結果として作品自体が面白くないものになっていると著者は主張しているのです。
 例えば原稿用紙3枚の作品を10枚にしてしまうと蛇足ばかりで退屈になってしまいかねませんし、10枚の作品を3枚にすると今度は内容が薄くなりこれも退屈なものになってしまう、ということです。
 こうした主張は至極当然な主張と言っていいでしょう。ですが中には驚くことに、物語の重要性は内容ではなく形式にあると考えている人物もいるのです。ある児童文芸家はこうした著者の主張に対して、「ストオリイの面白味なら実演童話に求めたまえ。われわれの創作童話にそれを求めて来るのはお門違いである」と反駁したというのです。しかし、当然これは誤りです。あらゆる芸術は表現する事を目的とするからには、必ず鑑賞者の存在を意識しなければなりません。文学作品もその例外ではありません。ですから、鑑賞者を退屈される事を前提とした作品など、あっていいはずがないのです。
 いかなるジャンル、いかなる目的があるにせよ、作品というものは内容を重視し、鑑賞者を楽しませるという目的を常に果たさなければならないのです。

2012年9月16日日曜日

張紅倫ー新美南吉

 奉天大戦争(※)の数日前、ある部隊の大隊長である青木少佐は、仲間の兵隊達を見回っていた最中、大きな穴に落ちてしまいました。ですが青木が穴に落ちていることに仲間たちは誰も気づかず、彼自身は敵兵に見つかってはいけないため、声もあげられません。そんな中彼を救ったのは、中国人である張紅倫(ちょうこうりん)とその父でした。青木は彼らに手厚くもてなされていましたが、ある時張紅倫の村の人々が青木をロシア人に売り渡そうという計画を企てはじめます。それを知った張紅倫は、青木を村から逃してやりました。
 それから戦争も終わり、青木が軍を退役して会社勤めをしていた頃、その会社にある若い中国人が万年筆を売りにきました。それは張紅倫でした。そして、彼は青木と運命的な再会を果たします。しかし、張紅倫は自分の事を張紅倫ではないと、嘘をついてしまいます。一体彼は何故嘘をついたのでしょうか。

 この作品では、〈相手への気持ちが強いあまり、かえって何も言わず相手の前から去らなければならなかった、ある青年〉が描かれています。

 青木は張紅倫と再会を果たした際、彼と話したい一心で張紅倫の素性を問いただそうとしました。ですが当の張紅倫と言えば、そんな青木の態度に応じようとはしません。しかし彼もまた青木と同じか、或いはそれ以上にそうした気持ちを持っていました。その証拠に彼は青木と再会した後日、彼にある手紙を送りました。そこには、自分は確かに張紅倫であることと、嘘をついた理由が綴ってありました。彼曰く、ここで中国人である自分が嘗て日本軍だった青木を助けた事が世間にばれてしまえば、青木の名前に傷がつく為、あの場では本当の事は言えなかったのだと言います。また、彼は明日、日本を旅立ち中国へ帰る事も書かれてありました。
 張紅倫は青木の事を大切な存在だと感じているからこそ、あえて青木と会わず去っていく道を選びました。またそうした彼の悲しくも強い決断が、この作品に感動という要素をもたらしているのです。

※奉天の会戦ー1950年(明治38年)3月、奉天付近で行われた日露戦争中最大最後の陸戦。日本軍が辛勝した。ここでは本文に即して、奉天大戦争としている。
大辞林参照

2012年9月14日金曜日

最後の胡弓弾きー新美南吉

 竹藪の多いある小さな村では、旧正月になると百姓たちは2人一組になって鼓と胡弓を持ち、旅をしてお金を貰う門附けという風習がありました。そしてこの村で育った木乃助は胡弓を弾くことが好きで、12の歳から門付けに参加していました。しかし月日が経つにつれて、門附けそのものが流行らなくなっていきます。更に月日は経ち、やがては彼自身も体の健康を失っていきます。ある年、そんな彼を見かねて妻と娘が木乃助に門附けをやめさせようとします。ですが、それでも木乃助は、自分が門附けをはじめた頃から彼の胡弓を聴いてくれている味噌屋の主人の事を思い浮かべると、「聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは、俺あ胡弓はやめられんよ」と言って、最後の門附けに出ていったのでした。

 この作品では、〈表現する事が好き過ぎるあまり、かえって芸を捨てなければならなかった、ある男〉が描かれています。

 そもそも他の人々が門附けをやめていく中で、木乃助だけは続けていけたのは、彼の目的が表現することそのものにあったからです。というのも、他の人々が門附けをする動機は、その中で貰ったお金で生計を立てる事にありました。ですが木乃助の場合、お金を貰うことよりも家々をまわり自分の芸を披露する事が目的でした。そしてその目的の手段のひとつとして、味噌屋の主人の家を訪れる事があったのです。
 そして彼がこの主人に対し、その目的の重きを置いていたのは、主人が熱心な鑑賞者だったからに他なりません。恐らく日頃から胡弓を練習していた彼は、「本当に胡弓が好きな人に自分の胡弓を聴かせたい」という思いが何処かにあったのでしょう。つまり彼の「聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは」という言葉の裏には、(熱心に自分の胡弓を聞いてくれる人物)という条件が存在していた事になります。
 ですが木乃助は最後の門附けに出かけた時、その熱心な鑑賞者であった味噌屋の主人がなくなっていた事を知ってしまいます。こうしていよいよ自分の胡弓を聴かせる人物を失ってしまった彼は、絶望のあまり自身の胡弓を売ってしまったのです。もし木乃助の胡弓に対する気持ちがもう少し弱ければ、あまり胡弓に興味のない家族に聴かせるだけで満足していた事でしょう。しかし彼がそうではなく、胡弓が好き過ぎた事が仇となっているとことが、なんともやるせない気持ちを私達に持たせているのです。

2012年9月11日火曜日

正坊とクロー新美南吉

 村々を興行して歩く、あるサーカス一座にクロという熊がいました。クロはある村で公演をしている最中、腹痛にかかってしまいます。そこで一座の人々は薬を飲ませようと試みました。しかし、クロは一切口を開こうとはしません。その時、彼をクロを助けたのははしごのりの正坊でした。彼は初日のはしごのりで怪我をしていましたが、クロの事を聞くとすぐに駆けつけていったのです。そしてクロのもとへ行き、すんなりと薬を飲ませることに成功しました。こうの事件があって以来、クロと正坊は一層その絆を深めることができました。
 しかし一座の収入が僅かだった為に、ある時とうとう解散する事になりました。そしてクロも動物園に引き取られっる事になってしまいました。果たしてクロと正坊はこの儘二度と会えないのでしょうか。

2012年9月9日日曜日

お母さんたちー新美南吉(未完成)

 ある日、小鳥のお母さんと牝牛のお母さんはこれから生まれてくる自分の子どもを自慢していました。しかし自慢話はエスカレートしていき、お互いが自分の子どもの方が可愛いはずだといい張り合い、喧嘩腰になっていきます。そんな中、一匹の蛙が間に入り、自慢話よりも赤ちゃんに聴かせる子守唄を覚えるほうが先である、と注意します。そこで小鳥お母さんと牝牛お母さんは、歌を覚えることが苦手でしたが、夕方、風が涼しくなるころまで練習したのでした。

2012年9月7日金曜日

いぼ−新美南吉

 去年の夏休み、小学生の松吉とその弟の杉作のところに、いとこで町の子どもである克己が遊びにきました。彼らは家が離れていたためにもともと深い交流はなかったのですが、池で漂流しかけたために、3人で力を合わせて難を乗り越えたことをきっかけに強い絆を結んだように思われました。
 その後日、松吉と杉作はお母さんに頼まれて、克己の家までおつかいに行くことになりました。2人は夏休み以来克己に会っていなかったので、彼との久しぶりの再会と、また彼のお父さんから小遣いを貰うことを楽しみにしながら出かけて行きました。しかし彼らを待ち受けていたいたのは、予想だにしない出来事でした。

 この作品では、〈いかなる事があろうとも気丈に振舞っている、子どもの底抜けの明るさ〉が描かれています。

 上記にあるように、2人は克己との再会と小遣いを貰える事を楽しみにしていました。ですが克己は克己で、松吉と杉作と貴重な体験を共有したにも拘わらず、彼らの事を忘れたような素振りを見せました。2人はそれにショックを受けて、小遣いを貰わずに帰っていってしまいます。しかし、帰りの途中、彼らは「きょうのように、人にすっぽかされるというようなことは、これから先、いくらでもあるにちがいない。おれたちは、そんな悲しみになんべんあおうと、平気な顔で通りこしていけばいいんだ。」という結論に至り、ふざけ合いをはじめます。ここに、この作品の力強さがあるのです。
 私達大人は職場や家庭など、様々な場所で様々な問題を抱えながら生きています。そのような中で、押しつぶされそうになる場面もいくらかあることでしょう。そうして生きていっている私達に、この作品に登場する子供たちは素朴で子供らしい発想ながらも、ひとつの答えを身をもって示してくれています。ですから、私達はこの作品を読み終えた後、子供の気丈なまでの明るさに感心せずにはいられなくなっていくのです。

2012年9月2日日曜日

去年の木ー新美南吉

 一本の木と一羽の小鳥とは大変仲がよく、小鳥は一日中その木の枝で歌を歌い、木もそれをずっと聞いていました。ところが冬が近づいてきたので、小鳥は木のもとを離れなければならなくなりました。そこで小鳥は木に来年もそこに来ることを約束し、その場を去っていきました。
 ですが、春がめぐって小鳥が帰ってくると、木はそこにはなく、根っこだけが残っていました。木は一体どうなってしまったのでしょうか。

 この作品では、〈火の中に木の精神の存在を認めている、小鳥〉が描かれています。

 実は木は小鳥と別れた後、木こりに切られてしまい、谷の方へ持っていかれてしまったのです。そこで小鳥は様々なものから木の行方を聞いて、探しはじめます。そうする中で、小鳥は木が最終的にマッチ棒になって燃やされた事を知るのでした。ですが、それでも小鳥はランプの火をじっと見つめて、去年に木に歌ったうたを歌いました。この時、「火はゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。」
 こうした小鳥の一連の行動と上記の括弧書きから、小鳥はかつての木の精神の存在を火の中に認めている、ということが言えます。
 そもそも小鳥は木の行方を知る中で、それがどのような形に成り果てようとも決して探すことをやめることはありませんでした。それは、小鳥が素朴ながらも物質がどのように変化し消滅しようとも、精神のあり方は同じであるということを信じているからに他なりません。だからこそ小鳥は、木が物質的には消滅し、火となってもその中に木の精神の存在を認めることが出来たのです。
 そして私達の方でも、この小鳥と同じように物質は滅んでいても、精神の存在を別に認めている時があります。例えば墓参りなどは良い例でしょう。たとえ物質としては骨だけになっていたとしても、死後の者の魂が墓の中に眠っていると考えるからこそ、私達は毎年お盆の時期には墓参りをしているのではありませんか。そしてこうした習慣、価値観でものごとを見ている私達だからこそ、小鳥が火に向かって歌っている姿に心を暖かくせずにはいられないのです。