2013年2月3日日曜日

変な音ー夏目漱石

 著者は自身が入院している時、一人一人仕切りで隔たれた部屋で、おろし金をすっているような奇妙な音を耳にします。どうやらそれは彼の隣から聞こえてくるようです。ですが気にはなっているものの、そこまで大した事でもないと判断したために、彼はそのままにしておくことにしました。
 それから著者はめでたく退院できたものの、体調が再び悪くなってしまい、再び入院することになりました。しかし前回入院した時以上にその体調は深刻だった為に、彼は心身共に弱っていき、自分と立場が近いであろう、死を間近にした人々の事を考えはじめます。ところがそうした彼の考えとは逆に、体調は快方に向かっていきました。
 そんなある時、著者は以前入院していた時、例の変な音を出す患者を担当していた看護師と遭遇します。話を聞いていると、例の音はやはり看護師が胡瓜を擦っている音で、その胡瓜で足の火照りを冷やしていたといいます。そしてどうやら例の患者も、著者が毎朝革砥(かわど)を磨いでいる音を気にしていた様子。ですが隣の患者は、それを運動器具を動かしている音だと勘違いして羨ましがっいたのだといいます。そしてその患者は退院した後、すぐに亡くなってしまったそうです。しかしこの話を聞いた後、著者は、自分が胡瓜を擦る音に焦らされた事と、例の患者が自分の革砥の音を羨ましく思い死んでいった違いについて考えずにはいられなくなっていきます。では、その違いとは一体なんだったのでしょうか。

 この作品では、〈他人の存在を感じようとするあまり、かえって孤独感を深めていってしまった、ある男〉が描かれています。

 上記の問題に答える為に、まずは著者と変な音の患者に共通していた事を整理してみましょう。2人は病気によって入院しており、ほぼ個室のような部屋にいました。そしてそれぞれがそれぞれの、生活音にある程度の興味を示していました。つまり彼らは一人一人が隔離された空間の中で、その孤独や不安を埋めるように、自分以外の他人がそこにいることを感じようとしたのです。そして著者の側は病状もそこまで深刻ではなかった為に、自分以外の人間が同じように入院している事にある程度の親近感をもって受け入れていました。
 しかし、隣の患者の場合はどうだったでしょうか。彼はそこまできている自分の死を悟っていました。それは彼がその時、見ていたもの、聞いていたものはその先関係なくなってしまう事を意味しています。そしてそうした事への孤独や不安は、著者以上に強かったはずです。この事情こそ、著者が音によって自分の存在を主張している事を、通常とは逆に作用させてしまっていたのです。つまり隣の患者は死を受け入れているあまり、彼の発する音を運動器具を動かす音という、現在の彼とは最も程遠いの部類の音と勘違いしてしまった事により、著者に対して親近感を持つどころかかえってその孤独感を増してしまっていたのです。また彼は著者のそうした音を聞く度に、そうした思いを募らせていったのでしょう。他人を感じることが、かえって孤独感を増すことだってあるのです。