2013年12月24日火曜日

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年9月4日

 ヘレンも漸く、人の気持ちになって考えるということが分かりかけてきたようです。
 ある時、彼女は自身の叔父であるケラー博士から貰った手紙を赤ちゃんのミルドレッドにくしゃくしゃにされてしまいました。憤慨したヘレンは手紙を引ったくり、その小さな手をピシャリと叩いてしまったのです。そこでサリバンは彼女を落ち着かせて、何故怒ったのか、理由を探ろうとしました。彼女は予め、ミルドレッドに手紙は大切なものだということを(指文字で)念を押して伝えていたのにも拘わらず、くしゃくしゃにされたから手を叩いたのだと主張します。しかし、当然満足に歩くことも出来ない赤ちゃんが、ヘレンの指文字を理解できるはずもありません。サリバンは彼女にそのことを伝え、赤ちゃんには優しくしてあげなければならない事を教えてあげました。するとヘレンは、ミルドレッドに悪気がなかったこと、考える事が出来ない事をその立場に立ち、瞬時に理解したのです。彼女もまた、数カ月前まではミルドレッドと同じように、考える事ができず、善悪の判断がつなかった少女だったわけですから、赤ちゃんの気持ちになることは難しくはなかった事でしょう。
 ですから、彼女は自分の行いを反省した後、数カ月前、ものを片っ端から壊していた頃の自分を想起し、破っても良い手紙をミルドレッドの為につくってあげたのでした。

2013年12月19日木曜日

レポート;ヘレン・ケラーははどう教育されたか1887年8月28日

 ヘレンはこの頃、性の誕生について、興味が尽きない様子。「生まれたばかりの仔犬」「生まれたばかりの子牛」「うまれたばかりの赤ちゃん」、それらがどこから来たのかについて知りたがっているのです。
 こうした質問を子どもたちにされた時、私達大人はとても動揺してしまいます。それは言い方ひとつでそれらの問題が軽々しく、卑猥なだけのものだと子供達思われてしまうことを懸念しているからに他なりません。ですがサリバンは、そうした問題に対して特別扱いし、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるといった嘘、またそうした問題を扱うこと自体をタブーにするといった対処はとりませんでした。彼女曰く、子供達のそうした純粋な質問が彼らの口から発せられる事は当然の事なのだといいます。ですので、それをタブーにしたり嘘をついたりして、説明する責任から逃れる事は、子供を教育をするにあたって、やってはならぬことだと考えたことでしょう。
 そこでサリバンは性の誕生における男性と女性、雄と雌の役割を、植物の雄しべと雌しべの受精に例えてできるだけ優しい言葉を選んで説明しました。ただし人間においては、そこに「愛」というものが重要な働きをすることも付言しています。
 子供に説明できない問題を扱う場合、そうした質問をする子供に非があるわけではなく、それをうまく伝えられない教育者の側に責任があるのです。

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年8月21日

 今回、ヘレンはことばの使い方で決定的な進歩を遂げたようです。彼女は先日、サリバンとハンツヴィルの近くにあるモンテサノ山の頂上までドライブした事をお母さんに話していました。この時、ヘレンはサリバンが自分に山の景色を説明したそのまま、一字一句変えずに話していたと言います。恐らく彼女の頭の中では、そうした景色のようなもの(ヘレンは視覚聴覚がないため、頭の中に描かれる映像も、私達とは質的に違うのだということを押さえておかなければなりません。)ぼんやりとおぼろげながらにもかすかに見え、またそうかと思えば再び霞み、そうかと思えば見えはじめという流れが繰り返されていた事でしょう。ところがある時点から、以前よりもそうした景色が明確なものとして現れてくる瞬間があったはずです。それが見えた時、ヘレンはお母さんに「とても高い山ときれいな雲の帽子」を見たいかと尋ねました。事実括弧書きの表現は、サリバン自身、一度も彼女に話したことはないといいます。
 この体験から、ヘレンは目が見えない、耳が聞こえないなりの、感覚的な、彼女なりの表現を手に入れかけたと見てよいでしょう。

2013年12月15日日曜日

レポート;レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年7月31日

 ヘレンは近頃、あらゆることに対して、「なぜ?」、「どうして?」という疑問が尽きないようです。サリバン曰く、こうした問は、「子どもたちが理性と内省の世界に入る扉」なのだと言います。
 ヘレンはこのように物事の仕組みに興味を持つことによって、周りの大人達から、或いは自分で経験しながらそれらを自分の頭の中で埋めていこうとするでしょう。時には子供ながらの感性故に、失敗をこすことも多々あるかとは思います。ですが、そうした積み重ねこそが、彼女に正しい知性と理性とを与えることになるのです。

2013年12月13日金曜日

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年7月3日

 この日の朝、ヘレンはひどい癇癪を起こし、ヴィニーをひっかいたり掻きむしったり噛んだりしました。恐らくヴィニーは彼女に何かちょっかいを出したのでしょう。そしてヘレンはこれに腹を立て、今まで大人しくさせていた野獣のようなむき出しの感情を彼女に向けてしまったのです。
 というのも、これまでヘレンが他人に危害を加えなかったのは、「こういう理由があるからこそ、危害を加えるべきではない」という倫理的な理由からではなく、「先生が危害を加えるべきではないと言ったから加えるべきではない」という道徳的な価値観からそうしていたに過ぎません。ですから、彼女はヴィニーにちょっかいを出された時に、感情を抑えることなく攻撃してしまったのです。
 そこでサリバンは彼女とスキンシップをとることを拒み、暫く一人にして危害を加えてしまったことについて考えさせました。彼女ははじめの方こそ、自分は悪くないのだということを主張していましたが、徐々にその事が彼女の頭の中で膨らんでいき、やがて「どうやらこんな惨めな気持ちになるということは、自分が悪かったようだ」と反省するようになっていったのです。
 こうして彼女は道徳的な価値観から、「他人に危害を加えると自分が惨めになる、悪い子になってしまう」といった、素朴ながらも倫理的な価値観への過程を経て、これまでよりも寛大な少女となっていったのでした。

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月19日

 ここではヘレンの、主にその記憶力と理解力について触れられています。サリバン曰く、彼女ははじめの頃と変わらない熱心さを今もなおもっているそうです。
 現在の彼女は新しい単語はすぐに覚え、一度会った人々の事は決して忘れません。そして片言だった話し方は“Helen wrong,teacher will cry.”“Give Helen drink water”といったように、随分と流暢になりました。また手紙という、自身にとっては新たな表現方法に関しての興味も尽きないようです。

2013年12月11日水曜日

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月15日

 この日の前夜に雷雨があり、ヘレンはこれに興味をもったようです。彼女はいよいよ、他の子供達と同じように、自分の身の回りで一体何が起こっているのかについて知りたがり、サリバンに雷雨についての質問を次々と浴びせていました。

2013年12月10日火曜日

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月12日

 熱い日が続き、ヘレンもどうやらその暑さにやられてしまっているようです。
 ですが、サリバン以外の人々(恐らく文中から、医者などの人々の事ではないかと考えられる)はどういうわけか、彼女がくたびれている原因が暑さのせいではなく、その熱心過ぎる頭脳活動のせいだと考えています。一体この2つの見方の違いはどこからきているのでしょうか。
 そもそもサリバン以外の人々は、耳と目が見えない事からヘレン・ケラーを普通の子どもとして捉えてはいません。ですから彼らはヘレンがサリバンの教育を受ける以前は、彼女に魂があるとは考えておらず、また彼女が言葉を覚えたかと思えば、頭の働かせ過ぎであると診断してしまっているのです。
 彼らの人間観というものは、普通かそうでないか、人間としてのこころがあるのかないのかという平面的な構造でしかありません。ですから、現場でヘレンを教育しているサリバンのように、ない状態からある状態へという過程構造を捉える事が出来ず、同じ人間を扱っているはずなのに突拍子のない、的外れな見解を述べることになってしまうのです。そしてサリバンはこれを強く批判し、寧ろヘレンの唯一のエネルギーの発散方法である頭脳を使うことによって、暑さの気晴らしをしたのでした。

2013年12月6日金曜日

雑記;実家について

 書き物のジャンルが多くなってきましたので、今回から雑記、評論といったように、タイトルの前にそれぞれの属性をつけていきたいと思います。定期的に読まれている読者の方々、今後もよろしくお願い致します。


 さて、ここからは私の近況となるのですが、現在関西を少しの間離れ、高知から執筆をしています。といいますのも、私の母が腸閉塞を患ってしまい、家の方でもいろいろと不都合が生じるだろうからと考えたからです。しかし私の予想とは裏腹に、母は食事制限がついているものの、仕事に行ったり料理をつくったりと平生となんら変わらない生活を送っています。
 彼女は10年前ぐらいに子宮を全摘出して以来、度々こうした病気にかかっているので、恐らく本人自身としてはうまくその要領を得て対処しているのでしょう。しかし他の家族は我が身ではないだけに、かえって気を遣ってしまうようなのです。父は母が再び腸閉塞と診断された時、慌てて私に電話し、私も急に心配になり一週間ばかり休みをとって帰ってきました。
 ですがだからといって、それらの心配が全くの杞憂であったとも言い難いことも事実です。母は無理をし過ぎると寝こむ時もあると言いますし、父は父で母がいない間にカップ麺を大量に買っていたのでした。
 そして私の急な帰郷は、私の家族に思わぬ変化をもたらしています。母は私が夕飯をつくっていると嬉しそうにしているのです。私は素直ではありませんので黙って料理をつくります。普段口数の少ない父は、とてもくつろいだ表情で箸をとりながら団欒に交じってくるのです。そして弟は、なんだかんだといって私のつくったものを食べませんでしたが、今では黙って箸をつけ、残した時は「ごめん」と一言いいます。
 土佐の潮風は冷たい冬の中をのんびりゆったり吹いて、私達の村を包んでいます。そしてそれは私達の心の中をも通り、あらゆるものもを取り払い、調和だけをそこに残していくのです。






余談;最後に先日友人と宇佐というところに行き、貝を食べてきましたので、その画像を添付しておきます。場所は南国から宇佐へ、国道23号線を走らせたところにある、「萩の茶屋」というところです。ここで私は、「トコブシ」(高知では「ナガレコ」と呼ぶ方が一般的です。)と呼ばれる貝を推薦しておきます。これはアワビと同じ種類の貝なのですが、栄養価はこちらの方が高いそうです。食感はアワビと同じく弾力のある歯ごたえをしており、焼いても美味しいですし、煮物にして食べるところもあります。こちらでは特性のタレにつけて食べることが出来ます。



次にこれは宇佐から帰る途中に見つけた、龍馬空港の近くにある喫茶店(場所は分かりづらいところにある為、あらかじめインターネット等で調べて行かれる事をお薦めしておきます。)、「えんのお菓子屋さん」のかぼちゃのタルトとアッサムです。ここは店内がとても静かで、特にいつも通勤時間電車に乗っていたり、人が絶えることのないチェーン店で働いている方々にとっては、そうした忙しさを忘れさせてくれるはずです。私が行った時だけかもしれませんが、そこにはお店のおばさんがお菓子づくりをしながら聞いているラジオの音しかしませんが、それがかえって高知ののどかさを演出してくれています。そして肝心のお菓子の味は、控えめな甘さですが、かぼちゃの甘さはそれでも十分に口に広がっていました。付け合せのシャーベットもさっぱりしているので、紅茶や珈琲は砂糖がなくともその香りや苦味を堪能できるでしょう。

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月5日

 ヘレンはここのところ、自身の掌の中で卵からひよこがかえる瞬間を観察して以来、生命の誕生について興味をもちはじめたようです。そして、それらは「豚の赤ちゃんは卵の中で大きくなるの?たくさんの殻はどこにあるの?」といったように、大人の私達でも用意には答えられないものばかり。恐らく、彼女が自身の誕生の起源について興味を持ちはじめる時も、そう遠くはないでしょう。

2013年12月2日月曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月2日

 ヘレン・ケラーの勉強に対する意欲と能力には目を見張るものがあります。彼女は夜中でも寝る間を惜しんで読書をしようとし、知らない単語を文章全体の文脈から掴んでくる力も持ち合わせているのです。
 しかしその一方で、サリバンは人々のそうしたヘレンに向けられる眼差しに注意を払っています。彼女は自身がこれまで教育してきたヘレンを、「神童」にはしたくないのだというのです。結論だけ見れば、確かにヘレンは目が見えず耳が聞こえず、他の子供達よりも非常に大きなハンデを抱えています。だからこそ、彼女のそうした熱意や能力の高さに、人々は目を引かれてしまいます。ですが、ここまで本書を読んだ読者の方なら分かるかとは思いますが、彼女のそうした才能というものは、教育というそれなりの必然性、合理性があってこそのものなのです。サリバンが一番懸念しているのは、それら、つまり彼女の教育論そのものが無視され、神童ヘレン・ケラーという結果だけが後世に残っていってしまうことに他なりません。
 ヘレンが神童となっていったのは、決して彼女側の条件だけが優れていたのではなく、教育によって成し得られた業績の結果なのだという事は、何よりも一番押さえておかなければならないでしょう。