2014年3月23日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜3月20日(修正版2)

1躾期

3月6日ーヘレンの教育における方針の決定
 アン・マンスフィールド・サリバンは1887年3月3日のこの日に、ヘレン・ケラーと運命的な出会いを果たすことになります。
 ヘレンに出会うまでのサリバンは、彼女の事を色白く神経質な少女だと思っていました。これはハウ博士が書いた、ローラ・ブリッジマンのレポートを読んでそう推察らしい事を後の彼女自身が認めています。しかし実際のヘレン・ケラーそうではなく、血色もよく常に子馬のようにたえず動いているような少女でした。
 ですがこの少女には、同時に教育における大きな欠点があったのです。サリバン曰く、彼女には「動き、あるいは魂みたいなもの」が欠けているといいます。これはヘレンの精神的な未熟さを指摘しているのです。というのも、彼女は普通の6歳、7歳頃の少女と比べて、人のものを勝手に取らない、バッグの中を除かないといった、教育以前の基本的な躾が行き届いている様子がまるでありませんでした。そして、そうした躾の遅れが表情や態度にも表れている為に、反応はにぶくめったに笑う事はないのだと、サリバンは考えています。
 そこで彼女は、「ゆっくりやりはじめて、彼女の愛情を勝ちとる」という大まかな方針を決めていったのでした。

3月月曜の午後ー方針の転換
 しかし、その方針を大きく転換しなければいけない時期がはやくもきてしまいます。
 この日、サリバンはテーブルマナーの件でヘレンとひどく争っていたのです。と言いますのも、ヘレンの食事作法というものは、手づかみであたりのものを食べ散らかし、他人のお皿にまで手を突っ込むというすさまじいものだったのでした。そしてサリバンはこれを良しとはしませんでした。
 当たり前の事のように思われるかもしれませんが、私達がテーブルの上でナイフやフォーク、お箸で食事するのは自身の、人間たる両親からそうした教育を受けてきたからに他なりません。ですがもしこれが他の動物の両親だったならば、どうだったでしょうか。例えば、アマラとカマラのような、狼に育てられた事例はいくつか存在しますが、彼らは4足歩行し、調理されたものを嫌い、生肉を、勿論道具は使わず犬食いで食べていたと記録されています。つまり私達が人間たる所以は、人間的な躾や教育を受けてきたからであり、決してはじめから人間として完成していたわけではありません。ですからサリバンも、ヘレンを人間として躾けるべく、これまでのやり方を許さず、人間的な生活を強要したのです。
 しかしヘレン自身はそれを拒み、これまで好き勝手に食事してきた経験から彼女に抵抗を試みました。
 結果的にサリバンはヘレンに人間的な食事をさせることに成功しましたが、大きな課題が残ったのも事実です。やがてサリバンは3月6日にたてた方針を思いきって捨てる事を決断していきます。

3月11日〜13日ー土台からつくりなおす
 前回の失敗から、サリバンはヘレンと「つたみどりの家」と呼ばれる1軒家に2人で住むことを決めました。というのも、彼女の両親はこれまで、目が見えず耳が聞こえず、口もきけない事を可哀想と思う心、同情から、ヘレンに対して人間的な躾を施す事をせず、彼女の好きなようにさせてきたのです。その為、ヘレン・ケラーという少女は真っ当な人間としての振る舞いが出来ず、したいかしたくないかで行動する、野生動物のような人物になってしまっていったのでした。
 そこでサリバンは、いちど彼女を野生動物にしてしまった環境から離し、人間的な躾を施し、人間としての器を形成していこうと考えたのでしょう。
 更にその手段として、サリバンは「征服」という方法を使うことによって、それまで形成されつつあった土台を壊し、新たな土台をつくろうとしました。
 そしてヘレンの側でも、はじめこそこれを拒んではいましたが、徐々に否応なくそれを受け入れざるを得ないようになっていきます。彼女の振る舞いを許してくれる環境はもう何処にもないのですから。

2知性の生成期

3月20日ー器の形成と新たな課題
 ヘレンは「征服」という最初の難関を乗り越え、遂に人間としての土台を手に入れたようです。人間としての強制的な躾を受けてきたことで、彼女は人間たる表情や行動(笑みを浮かべたりキスをしたりする)をとるようになってきたのです。そして器が形成すれば、次に重要なのは、何を注ぐのか、ということです。サリバンに曰く、これを考える事が今後の彼女の楽しい仕事なのだといいます。

2014年3月9日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜4月3日(修正版1)

 1887年3月3日のこと、アン・マンスフィールド・サリバンは身体が震えるほどの熱い期待を胸に、ヘレン・ケラーとの出会いを果たします。そしてその出会いというものは、彼女にとって衝撃的なものでした。車から降りて階段に足をかけようとすると、突然小さな可愛らしい何かが、突進してきたのです。それがヘレン・ケラーその人でした。
 サリバンは彼女と出会う以前に、ハウ博士が書いたローラ・ブリッジマンのレポート(そこには盲目で神経過敏な少女が書かれていた)を読んで、それまでヘレンに対して青白く神経質な少女をイメージしていました。しかしそうした予想は、現実のヘレンの突進を受けた事によって大きく崩れ去ってしまいます。この小さな生徒は、自身の先生に思いっきりぶつかったかと思うと顔や服やバッグを触り、バッグを取り上げようしました。

 ここで多くの方々は彼女のこうした行動を受けて、脳に物理的な障害があることをまずは疑うのではないでしょうか。結論から述べると、それは間違いであると言わざるを得ません。何故ならヘレンは他の子供達と同様に、ビーズに糸を通したり、その糸がするする抜けてしまう場合には大きな結び目をつくって自分で解決したりといったのうに、人間として、ある程度高度な遊びが可能だからです。
 ではヘレンの場合、教育にあたっての問題というものは何処にあるのでしょうか。それは外面ではなく内面、彼女の精神的なことろにこそあったのです。と言いますのも、それまで彼女は両親の同情、目が見えず、耳が聞こえず、可愛そうだなという気持ちから、彼女の好きなようにさせてきました。ですから彼女はこれまで教育らしい教育を受けてこなかったどころか、気に入らないことは一切せず、あたかも「野生動物」のように、ただしたいかしたくないかによって行動してきたのです。(よって、ここでは現在のヘレンのこのような状態を「野生動物期」と呼ぶことにします。)

 それでは、このような状態にあるヘレンを「正しく」教育する為にはどうすればよいのでしょうか。結論から申しますと、彼女に必要なのは「躾」です。そもそも彼女がこのようになっていった原因は前記した通り、両親の彼女に対する接し方にあります。そしてそうした接し方を続けていくうちに、ヘレンはヘレンでしたいかしたくないかという段階から次の段階には進めず、ある程度の土台をつくりあげてしまい、両親は両親でそれを容認していく中で、ヘレンのそうした精神性を、その行動がエスカレートしていっただろうにも拘わらず、自然と受け入れてきたのでした。だからこそ、サリバンはヘレンを「服従」させることで、強制的に躾し、それまでの土台を壊して新しいそれをつくっていく必要があったのです。
 ですがこう述べると、一部の方々から、「服従とは何事か、それでは虐待している親たちと変わらないではないか!!」という罵詈雑言にも似たような批判が飛んできそうなものでしょう。ですがそうした方々も、きっとサリバンが何を基準にしてヘレンを「服従」させていったのかを知ったならば、そうした感情の牙をおさめてくれるはずです。というのも、勿論彼女は自身の感情の起伏によって、或いは大人の目線(これはしていい、してはいけない)によって、彼女を征服したのではありません。サリバンはヘレンのいちいちの行動を、好奇心からきているのか、或いは動物的な本能のようなもの(寝たいから裸で寝る、食べたいから手で掴んで食べる)からそうしているのかを区別し、前者が勝っている場合にはそれを容認し、後者が勝っていると思った場合には力によって抑制していきました。

 すると、彼女の内面にはどのような変化が表れていったのでしょうか。
 例えば皆さんには小さかった頃、好きな食べ物、嫌いな食べ物はありましたか。私の父は野菜が嫌いだった為に、よく皿の端にビーマンや茄子が残していたのを記憶しています。そんな父の後ろ姿を見てきた私も、昔は茄子が嫌いでした。逆に牛や豚などの肉類は大好きで、現在でもそうです。ところでそうした食べ物の好みというものはどのようにして決まっていくのでしょうか。私自身、きっとはじめから肉の味を好んでいたわけではないと思います。恐らく、最初は肉を食べても美味しいとは思わなかったと思います。何度も何度も食卓に出されていくうちに、その味を覚えていき、やがてそれを食べることに快感を覚えていったはずです。そしてある時点から、それを見た瞬間に顔が綻ぶようになっていった事でしょう。要するに、同じ刺激を何度も何度も与えられる事によって、私は肉という食べ物の像を深めていきました。
 そして「野生動物期」から次の段階へと移り変わっていくヘレンにも同じ現象が起こっていきました。ただ彼女の場合、多くの快感は知っているものの、それが豚肉なのか鶏肉なのか、それぞれの像が漠然としていたために、更に言えば美味しいと不味いということしかない為に、自分が何を食べているのかについてはまるで分かってはいなかったのです。(本書の中で彼女の表情が動き、あるいは魂みたいなものが欠けていると表現されていたのは、この為でしょう。)そこでサリバンは躾によってそれぞれの刺激を整理していくことで、この場合にはこうした快感が得られる、この場合にはこうした快感が得られるといったように、刺激や快感にも種類があることを教えていったのです。そしてヘレンの方でも、それぞれに合わせた反応を取るようになっていき、(勿論、その反応の仕方については、サリバンが自分の顔を触らせたり、彼女の顔を触ったりするといった方法で教えていったのではないかと考えています。)それが感情としてあらわれはじめます。その結果、3月20日以降のヘレンは、晴れやかな顔で編み物をしたり、気分の良い時にはサリバンの膝に乗るような、快活で表情豊かな少女へと変わっていきました。「知性の生成」段階です。

 こうして彼女は、「野生動物期」という曖昧で無秩序な世界を脱出し、「知性の生成期」という、人間として必要な、教育という扉を開いたのです。

2014年3月2日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたか−1887年3月6日〜4月3日

 サリバンがヘレン・ケラーという少女と出会った時、彼女はある衝撃を受けました。ケラー大尉の車を降りて階段に足をかけようとした瞬間、小さな可愛らしい少女が彼女目掛けて突進して来たのです。それがヘレン・ケラーという小さな女の子でした。サリバンはそれまでヘレンの事を、ハウ博士が書いたローラ・ブリッジマンのレポート(※1)から、青白くひ弱な子供を彷彿していたのです。しかしヘレンはそれとは対照的で、活発で動きをとめる事を知らない元気な子供だったのでした。
 そしてサリバンは彼女に対して、もうひとつ、大きな違和感を感じはじめます。それは彼女は他の同年代の子供達に比べて、明らかに精神的な未熟さがあった、ということです。彼女にはここまではしていい、してはよくないといった線引きが全く出来ず、常に自分のしたいように行動しているのです。この為サリバンはヘレンを「野生動物」だと称しました。ですから、この時期の彼女の段階に名前をつけるとすれば、「野生動物期」と呼ぶことが出来るでしょう。
 ではこの「野生動物期」にあるヘレンを教育していくにはどうすれば良いのでしょうか。結論から述べますと、ヘレンに必要だったのは教育以前の段階で行うべき、躾です。彼女の両親はそれまで同情の気持ち、目が見えず、耳が聞こえず、口がきけないという状況を可愛そうだと思う気持ちから、彼女の好きなようにさせてきました。しかしそれは彼女の我儘を助長させ、したくない事は絶対にしない暴君をつくりあげる結果となってしまったのです。
 そこでサリバンはヘレンを自分に「服従」させ、しては良いこといけないことを「形式的」に強要させようとしました。そしてこの「服従」という言葉には、教育において必要な条件とヘレンの特殊性を示す、2つの意味合いが込められています。前者は教育とは生徒が指導者の言うことを聞くことが前提となっていること。後者はヘレンがこれまで躾をせずに人格が形成されてきたために、土台の部分からつくりなおさなければいけないという意味において使われているのです。
 しかしこのように述べると、一部の方からは、「それでは一方的に自分の感情によって子供を育てている為に、虐待をおこなっている親とまるで同じじゃないか」という反論がきてもおかしくはありません。ですが彼女は何も、感情的に「服従」
させたわけでもなく、また大人の目線によって、「してもいいよくない」を区別させたわけでもありません。2通目の手紙において、サリバンはヘレンと食事の作法において、正しく食事をさせることに執着しました。ところが1通目の手紙においては、バックをひったくりその中身を確認しようとしたり、インク壺に手を突っ込んだりした時にはそれ程怒ろうとはしなった様子なのです。恐らく彼女はヘレンの行動における「したい」という衝動を、動物的な本能によるものなのか、子供らしい、なんでも気になってしまう好奇心とに区別し、前者のみを「してはいけない」部類にカテゴライズしたのでしょう。こうする事で、彼女は動物的本能にエネルギーを注ぐことをやめていき、好奇心のみに注意を払うことが出来るようになっていったのです。
 そしてこの好奇心こそ、サリバンの教育論において重要な役割を果たす要素になっています。

 私はいつも、何が彼女の興味を最もひくか見つけだし、それが計画した授業に関係があろうとなかろうと、それを新しい出発点にした。

 これはヘレンとの授業を振り返ったサリバンの言葉ですが、ここでサリバンは、あくまでも教育とは教育者が主体ではなく、生徒の好奇心こそが主体であり、教育者はそこに目線を合わせ指導を行うべきであると述べているのです。
 「野生動物期」のヘレンにも好奇心と認められるものは確かにあった事でしょう。しかしそれを伸ばす方法がありませんでした。というのも、サリバンの方法論のひとつとして、頭をなでたり、褒めたりして、子供達の心を満たし、好奇心を正しい方向へと導くという方針を掲げていましたが、ヘレンにはそれが通用しなかったのです。何も響かず、気が向かないことは一切してきませんでした。ですから彼女はそうした器を形成する意味においても、「服従」させる事が必要だったのです。(※2)

 こうして「服従」を経て、「教育者の言うことには従う」、「相手の気持ちを受け止める器がある」という条件を揃えた、次の段階こそ、「知性の生成期」(※3)なのです。彼女は「服従」という苦難を経て、教育における土台を形成していったのでした。

※脚注
1・ハウ博士のレポートには、ヘレンと同じような境遇であるローラ・ブリッジマンは、青白くひ弱そうな子どもとして書かれていた。

2・1887年3月20日の日記においてーこの子どもの心のなかで動き始めている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。